在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
学ランのカラー、必要ですか?
学校教育現場は閉鎖的で、なにかと制度改革が遅れている感が否めません。
体罰問題しかり、人間ピラミッドしかり、働き方改革しかし、そして教育内容しかりです。
そして、これ、制服の問題です。
学校や地域によって違うでしょうが、私の場合は小学校が私服、中学は制服(学ラン)でした。まあ日本の場合はこの組み合わせが最も多いと思っていますが、皆さんの地域や学校はいかがですか。
そういえば、中学校の入学準備をしているとき、はじめて「カラー」の存在を知りました。襟周りについている、白くてかっっったい物質。
わたしは最初、あれは新品の液晶についているフィルムのようなもので、使うときは外すものだと思っていました。
しかし、どうやらあれをつけたまま制服を着用するということです。
当然のごとく、首周りにあたって痛い。
ちなみに、カラーの正式名は「襟カラー」だそうで、カラーは「Collar=襟」、つまり襟カラーは襟襟です。サハラ砂漠みたい・・・
着用している時の不快感はみんな感じていたので、カラーが柔らかい素材でできているソフトカラーや、襟の縁より上に出ない、幅の狭いカラーも売ってました。
しかしそもそも、あれいるんですか?何のために?
同調圧力もあって当時は普通にはめてましたけど、考えてみれば違和感たっぷりです。
おそらく、ですが、それをつけた「パリッ」とした格好が学生らしい、という昔からの考えでしょう。学生らしいという言葉には、実は何の根拠もありません。なぜなら学生らしさは限りなく個人的だからです。
万人が「風紀が乱れる」と思うレベルになるのはどうかと思うので、身だしなみに関するある程度のルールはあってもよいと思います。
しかし、そのルールは時代に見合ったものでないと説得性に欠けるし、それを押し付けすぎるのは、ある意味パワハラです。
そのボーダーをどこに引くか、という議論はあって良いと思いますが、殆どの人が「??」と思っていることは、それまでの決まりにとらわれず変えていって良いと思います。
もう一度問いますが、学ランのカラー、必要ですか?
カラー必要ですかと同意を求められたとしても、私だったら「必要です」と答えます。
ネットだからではなく、もし直に問われたとしても答えは同じです。
ご子息が洛星に通う以上は、学校が定める服装規定に従うのが筋ではないでしょうか。
入学式等の写真をご覧になればお分かりいただけると存じますが、カラーの有無はかなり目立ちますよ。
確かに慣れるまでが大変でしょうし、親の私も見ていて授業に支障がないかしらと思ったりするのですが、だから外して済ませようというものではないと思います。
洛星ですか。なつかしいですね。いまでも、紺の詰め襟なんですね。
もう何十年も前ですが、私は、洛星には力が及ばず、野球で有名なHに進学しました。
今では制服がブレザーになったようですが、当時は詰め襟で、カラー装着も厳しかったです。
朝礼の時、先生が並んでいる生徒の列を見回って、カラーをつけていない生徒を見つけると、すぐ注意して、買いに行かせていました。
当時は、襟の高い学生服を着るのが結構流行っていて、4.5cmくらいのはクラスに普通にいましたが、これについて規制はありませんでした。
やっぱり、襟の縁から白くカラーが出ていないと、制服がみすぼらしい感じになりますよ。痛いかもしれないけど頑張って、きちんとつけておいた方がいいと私も思います。
そもそも要否以前に、邪魔にならない。
割れたカラーは挟まりやすくなり違和感を感じたりして良いことないが、それは付け替えるべきを付け替えないから招いた苦痛。
通常の着用において苦しいとか当たるとか、マオカラーであればサイズ相応にはあたりまえの事。カラーさえ外せば苦しくないなど、サイズが誤っている何よりの証拠。それはカラーのせいではなくサイズ選びの誤りにほかならない。
また、ワイシャツにネクタイなら大丈夫なのだろうか?幼少時に七五三などよそ行きを着用した際、首回りが窮屈で嫌がる経験と何が違うと言うのだろうか?
要するに子供が慣れない格好に愚図るのと何ら違いがない。こういう輩は、ハダカか金太郎の腹巻きでもして暮らせば宜しい。
「サイズが誤っている何よりの証拠。それはカラーのせいではなくサイズ選びの誤りにほかならない。」とおっしゃいますが、詰め襟のサイズを大きくし過ぎると、襟が首にブカブカになってみっともないですし、襟の先が顎にあたり、勉強の時下を向いたとき襟が邪魔になって、かえって鬱陶しいですよ・・・
詰め襟は、サイズがある程度首にきっちりフィットしていないと見栄えがよくありません。ホックをかけたとき、首との間に指1本入るくらいの襟のサイズが理想ですね。




































