アートの才能を伸ばす女子教育
学校の全能神話は終わらせるべきでは
ここ最近、辺野古転覆事故や北越高校のバス事故を契機に、学校の安全管理能力されているが、議論の方向性がズレていると感じる。
やるからには安全管理すべきだと思うが、ポイントは「それ本当に学校で提供すべきサービスですか?」を問うてます。
本質的な問題は、学校が負いきれないほど巨大な責任と業務を抱え込んでいる構造そのものにあると思う。
1. 安全管理責任の限界
校外学習や部活動におけるリスクをすべて学校が背負うのは、もはや物理的に不可能だ。事故が起きれば管理体制を槍玉に挙げるが、教育現場はリスクマネジメントの専門機関ではない。
2. 宿泊行事における異常な労働実態
修学旅行や合宿などの宿泊を伴う活動は、教員の労働環境としてあまりに劣悪である。
8時間労働どころか、生徒の行動を24時間監視し、教員が眠ることすら許されないような環境が常態化している。こうした異常な拘束を前提とした業務は、直ちに廃止すべきだ。
3. 「教職」というシステムの崩壊
部活動や行事への対応は、教員の献身という名の「働かせ放題」によって維持されている。このブラックな労働環境を放置すれば、教員の質は低下し、志望者もいなくなる。学校に全責任を丸投げする社会の期待は、もはや暴力に近い。
4. 学校の役割の再定義
校外での活動やスポーツは、学校の業務から切り離すべきだ。これらは本来、各家庭が個別に判断し、民間のサービスなどを通じて「勝手に」行うのが健全である。
学校は「教育の場」に限定されるべき。過剰なサービスと責任を削ぎ落とし、リスクを家庭や地域へ返還すること。これ以外に教育現場を正常化する術はないと思う。
>極論を言えば、修学旅行すら現地集合・現地解散で構わないはずだ。
全く極論ではありません。むしろ修学旅行の必要性も見直す時では。
見聞や体験を豊かにするのは保護者の役割だと思います。実際、昭和の働き方とは違い連休も取りやすくなったので家族旅行も今後増えます。
まして高校生なら団体行動より自主的に動きたい。
法的に「業務」として定義されていることが、この問題の根源的な歪みだ。
実態として、24時間監視が必要な宿泊行事や、プロの技能を要する輸送業務を「教員の通常業務」に含めている現行制度自体が、現代の労働基準やリスクマネジメントの観点から見て、もはや公序良俗に反するレベルに達している。
「制度だから仕方ない」と受け入れるのではなく、その制度自体が現場を破壊しているという事実を認めるべきでは?
もし法的に業務から切り離せないのであれば、せめて学校側が「指導の限界」を明文化し、受益者である保護者に対して、自己責任の原則を再認識させる契約(免責合意)を徹底させるべきだと思う。
「義務(高等)教育だから」「学校行事だから」という言葉を免罪符に、学校や教員に無限の責任を押し付ける時代はもう終わらせなければならないと思う。
というか、保護者側がその辺りのリスクを割り切らない限り、教職は責任過多で割に合わない「回避すべき職業」に成り下がる。
賢明な学生ほど、こうしたリスクマネジメントの欠如したブラックな環境には近づかないだろう。このままでは教員の「質」も「量」も低下の一途をたどり、教師不足という形での教育崩壊が加速するのは目に見えている。
もしかして教員ですか?
私も身内が教員だったのでその苦労はわかります。
でも業務が大変だからと言う理由ではなかなか国は動きません。
修学旅行や部活が学校教育の一貫として意味がない、むしろ生徒へのマイナスとなる事を実証できないとなくならないと思いますよ。
だったら教員の業務補助として非常勤職員を増やしたり外部委託する事の方が近道ではないでしょうか。
「意味があるかないか」という情緒的な話をしたいのではないです。どれほど教育的価値があろうとも、それを支える組織の仕組みが物理的に破綻していれば、継続は不可能だと言っています。
予算やリソースを度外視すれば「外部委託」は理想的な解決策に見えるかもしれないけど、現実はどうか。慢性的な教師不足、そして委託先となる民間企業ですら人手不足に喘いでいる。この状況で「誰かが代わりをやってくれるはずだ」という前提で議論を組み立てること自体、あまりに現実味に欠ける。
また、「業務補助を増やす」といった微修正も、結局は学校が管理責任の主体であり続ける以上、現場の心理的・構造的負荷を根本から取り除くことにはならない。
仕組みとして無理があるものを、精神論や小手先の延命策で動かし続ければ、いずれシステムそのものが瓦解する。その時、最も大きな不利益を被るのは生徒たちですよ。学校を「万能な福祉機関」と勘違いしている層こそ、この切迫した現実を直視すべきではないかと思う。
学校運営も、保護者の要求も「教師(個人)の善意」に甘えて成立していることが多すぎると思う。
部活の顧問なんて、担当教師がその分野に知見なくとも「学校側責任者」として割り振られる。そして、競技や発表会の引率(休日出勤)や合宿などに借り出される。保護者はそれが当たり前だと思っているんだよね。
運動会とかもそうだよね。体育科でないのに、組体操の補助とかさせられて、生徒が怪我でもしたら、これまた「安全管理が!」とか言われるのが目に見えてる。
昔は、もう少し教師に対してのリスペクトもあったし、世の中もおおらかだったけど、今や「学校(教師)の責任問題」って刺される。「あれもこれも責任おいたくないからやめよう」って時代がもうすぐくるよ。
エデュにいる保護者の多くはスレ主さんと同じように考えているのでしょう。レスが少ないのはそういう意味。
修学旅行や校外学習を改変してゆくのは時間が必要だけど、取り急ぎ部活遠征の交通手段については保護者が声をあげるようになると思う。
話を拡げます。
◾海外研修の危うさ
海外研修や国外修学旅行に、現地の言語すら覚束ない教諭を同行させるという現状も、今の学校教育が抱える「無謀な万能感」の象徴だと思う。
一歩国外に出れば、そこは日本の法律も常識も通用しない世界。トラブルが発生した際、言語の壁に阻まれた教諭がどうやって生徒の安全を担保し、現地の法執行機関や医療機関と対等に渡り合うというのか…
結局、現地ガイドや旅行会社に依存せざるを得ず、学校(教諭)は「引率」という名目で同行しているだけの、責任能力を持たない傍観者と化しているのが実態ですよね?
これほど危うい体制で「海外研修」という見栄えの良いパッケージを提供し続けるのは、学校側の無責任であり、同時にそれを「安価な教育機会」として享受しようとする保護者側の甘えでもあると思う。
各家庭で、自分達の安全基準にあった外部サービス使うのが、最も納得感ありそう。






























