在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
<手法>
1.まず、少数説・異端説を人に吹っかけて反論を待つ。
2.反論が来れば、相手の主張は肩透かしし、自説をとうとうと展開し、相手が怒るのを待つ。
3.相手が怒ると、「じゃあAならばBですね」という非難を必ず展開してくる。
ここがポイント。
ここで、論点が、「Aの真偽」から「A→Bという命題の真偽」に移り、立証責任が命題を主張した反論側に移ってしまう。
そうした上で、「違う、AだけどBとは限らない」と言って相手をやりこめる。
客観的・常識的には、どう考えても、A→Bとなるはずなのだが、
後出しジャンケンでA→Bとならない理屈を考えるから、反論側には不利に追い込まれる。
反論側を否定するときは、できるだけ正論を述べるのが効果的な反論。
(例)亀田親子はすばらしい→そんなことを言う人は反則を認めるの?→違う、一線を超えてはいけない。
教育は洗脳だ→そんなことを言う人は子供を洗脳していいと思ってるの?→違う、子供の自主性は尊重しないといけない
注1:Aを主張するとき、相手を怒らせるために言葉が過ぎたり、それまでの主張と前後矛盾することがあっても
反論側のA→Bさえ否定したらいいのだから、さらっとかわして気にしない。
注2:Aが少数説・異端説であることを突かれた場合には、「少数説の中に真実がある」と主張する。
注3:Aに反論しないと「Aを認めるんだな」と言う。
<対処法>
1.反論してはいけない。相手は反論を待ってるのだから。
2.「ユニークなご意見ですね」と一言対応し、後はスルー。
>これまではいろいろ考えてやってきました。
>今後はというと、正直私達が経験したのとは違う世界(周りの人々のレベルと言う意味で)で今子供は生きていると思うんです。
ご自分たちをそんなに卑下される理由もよく分かりません。
私自身は、人間の価値は人間性で決まると思っているので、賢かろうが金持ちだろうが、全く関係ないと思っているんです。
エリートより、そこら辺を歩いている苦労人のおばあさんのほうがずっと上かも。
どんなことでも認め見守れるならば立派なんですが、かなり限定されているように感じました。
娘さんがもうその枠を知っていて、はみ出さないようにしているから平穏なんじゃないかしら?
今はまだ子どもだから、あまり疑問に思っていないかもしれません。
昔は子どもさんがご自身のことを話してくださいましたが、私も全く同じことを念頭に置いて話してきました。
たしか東ちづるさんもそうでしたよね。
ひそかに苦しんでいる心優しい人はいらっしゃるんですよ。特に女性はね。
地頭ってなに?さん、ごめんなさいね。真面目で優秀な娘さんだからこそ気になってしまうんです。
携帯もお持ちじゃないお嬢さん。
本当に要らないのか、本当は欲しいけど親が喜ばないことが分かるから要らないと言っているのか、
どちらか分かりますか?
幼いころに親が欲しいもの、やりたいことを取捨選択していくと、自分が欲しいものもやりたいことも見えなくなるんです。
本当のことを言ってもいいんだよと言っても、そうですか、じゃあなんて簡単には言えないんです。
誰でも心の奥に封印したものを持っているんだと思います。封印して、何とかやり繰りして生きているんでしょ。
子どもは自分じゃないから、それは見えない。それが見えないからといって、ないわけじゃない。
それが見えないのに、子育てに自信満々はあり得ないと思うんですよ。
そこを気づいておかないと、子どもを苦しめるだけなんだと思います。
私は反発されたらムッとするけど、ホッとします。ちゃんと自分があるなって。
私は私にとって不満のない真面目な子どものほうが心配です。無理しているんじゃないかしらって。
>Aがすばらしいと書くと、Aしか認めないのだと勘違いされる。
>でも、Aはすばらしいけど、Bもありという考えなのですね。
>判断する時点とならざるをえないでしょう。
>時が経つにつれて評価がかわることもありますね。
Aもいいけど、Bもありってことは結局何でもありなんじゃないの?
通過点に過ぎない受験のことをああだこうだ言っても、視点さんが大好きな結果がどうなるかも分からないんだし。
視点さん中心にコロコロ変わる判断なんて、こういうところで披露する意味があるんですか?
結局そこには何の信念も基準もないってことになっていると思うんですけど。
>「亀田父の子育てはすばらしい」と本当に言えるのでしょうか?
子育ての評価は、どういう人間に育ったかではないですか?
>私の甥は現役で理3に行きましたが、だからといって、兄夫婦の子育てを、その実情を知らない人が、すばらしいと言えるのでしょうか?
>たとえば、理3へ行ったが、その後にニートになった子供の親の子育てもすばらしいと言えますか?
通過点にすぎない受験結果で子育てを判断できるとは思いませんから、理3に合格したから子育てがすばらしいとは思いません。
立派な医者や研究者になったとき、子育てがすばらしかったのだと思います。
>受験に関しては結果オーライなのですが、「最後に頑張れば何とかなる」という考えが刷り込まれたような気もします。
「受験のための勉強」の弊害でしょうね。
なるほど視点詭弁学解説さんの「反論のため」に納得・・。
いつ読んでもひっかかるんですよね。「各論賛成、総論反対」みたいな
感じがつきまとってスッキリしませんでした。
身勝手ママさんと同じく、「亀田父の子育て成功説」がどうしても
腑に落ちないのは唱え方にからくりがあるということなのですね。
どうも、ボクシングを勉強に置き換えて整理すると、
子どもたちに受験勉強と医師になること強要親→子どもたち東大合格
→医者になる=子育て成功=社会的成功?→人生成功??
と、どこが違うの?と思っていて、
(医者の前に「立派な」をつけてないけど、それは視点さんの
主観的な言葉だったので、つけません。)
そんなにマイノリティには感じない図式なんですよね。
で、「結果」を東大、とか医者とかの時点で見たら成功、でも
その後はわかんない・・・とこうコロコロ変わるのが子育てだと
いうのでしょうか?
「結果を出す」ことへの評価はあくまで第三者の目線でしかなく、
タイガーウッズであれば、少し前までは「大成功」最近のスキャンダルで
「大失敗」になるんでしょうけど、タイガーは一貫して一人の人間として
ずっと生きているわけで、その時々で他人が結果を評価することと
親として子どもに価値観を教え、生きるベースを養うことを
同列で語ってしまうのはどうもおかしい・・・。
でも視点さんのレスに対する形でスレが伸びてる感もありますが、
それなりに触媒となって、みなさんのレスが整理されまとまって
読めるというのは利点かもしれないですね。
その意味では有り難い燃料投下?かも。
以前、高校の子どもの面談で担任から「この進路はお子さんの
希望ですか?」と聞かれました。
「親御さんと衝突するならむしろいいのです。一番心配なのは、
子ども自身が自分の目標と言っているものが実は親の目標で、
その事に対して子どもが親に何も言えない状態であることです」
と。往往にしてそういうことがあるので、とお話されました。
息子(興毅)を2階級制覇の世界チャンピオンに育てたのに、「亀田父は子育てに成功した」って考えはそんなに少数派なんですかね。
亀田父のブログも父親としての共感できるところもあり、人間味があって面白いですよ。
あ、ちょうど視点さんと重なって投稿してしまいました。
やっぱり「立派な」をつけられたんですね。
>立派な医者や研究者になったとき、子育てがすばらしかったのだと思います。
じゃあ、亀田こうきが「立派な」チャンピオンだとどうして言えるの
ですか?
私はよくわからないけど、ボクシングで相手に勝っただけのことです
よね。
何をもって「チャンピオンは立派だけど、理Ⅲとか医者ってのは
それだけでは立派とは言えない」んでしょう?
私から見れば、どちらも優れた結果だと言えると思いますが。
(結果が全てとは思いませんが。)
これ、以前も「立派」について、適性ある子さんが指摘されましたよね?
ノーベル賞受賞者といえば、「立派な」をつけなくても、立派な研究者でしょ。
チャンピオンは頂点ですから、それ自身に「立派な」という意味が含まれているのです。
医者はピンキリですね。
「立派」とは「すぐれている」という意味です。
ボクサーとしてすぐれているか。
研究者としてすぐれているか。
医者としてすぐれているか。
を問題にしているわけです。




































