女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
全共闘世代とその下の世代には、深~い溝があると思います。
私は40代中ですが、
”動機”さまのノスタルジー、もうなかったです。”地域、時代”さまのおっしゃる通りです。
私も大阪ですが、それは「大阪だから」ではないと思います。時代の反動だったのでなないでしょうか。
もっとドライというか現実的というか、
背伸びしていた子は「甘ちゃん」と思われていたようなところがありました。
理屈をいくら言っても、現実が伴わないと(大学合格しないと)なんにもならん、という雰囲気がありましたね。
勿論、「本物」はスゴイ!と思われていたと思います。
残念ながら、そんな秀才、私の周りにはいませんでしたが。
でも私は動機さまの言うような世界、ちょっと憧れがあります。
<本物の数学(解析概論や整数論)かじるのがかっこいいという雰囲気。>
高校生当時、周りがあまりに現実的だったので、こういう空気に憧れましたよ。
こればっかりで染まってしまうと、また疲れるのでしょうけれど。
どの時代でも「ちょうどいい」というのはないのでしょうね。
いつもバランスが悪い状態ですね。
以前立てたスレッドで、「ゆとり教育は正しかった」と書いていらっしゃいましたよね。
その頃と今では、気持ちは変わっていませんか?
動機さんにも心境(信教)の変化があるのかな、と質問してみる気になりました。
『高校生』のありよう(by動機さん、それは根本的な間違いだったさん)、
興味深いですね。
地域や時代の違いを感じます。
ただ、『まじめな小学生』(byまじめな人を茶化す日本人さん)にとってはかなり先の話なものですから、
「高校生のありようの歴史的変化」と「今を生きる小学生」との繋がり、落とし所は一体何か、ここが理解を超えるところです。
『まじめな小学生』が『会話が楽しくてしょうがない』(byなるほどさん)という状況が
公立でも私立でも学校に関係なく普通にあたりまえのことになるといいですね。
みんなが『エエ感じ』(by地域時代さん)と思えるように。
>>「勉強したせいで成績がいい生徒」は日比谷高校的美意識からすると
>>「並の生徒」にすぎなかったからである。努力のせいで得たポジションで
>>同期生のリスペクトを得ることはできない。
(内田樹氏の文)
>チャレンジの条件さんの引用は大変参考になりました。内田樹さんて、
>こんなこと言うひとだったんだ。適性さんなんてどう思うんですかね、これ。
私?私としては、勉強できる学校なのに、「それ以外」で「も」評価される環境は、好きですねー。
ちょと内田樹氏の話を補足させてもらえば・・
日比谷高校的美意識「空気」が存在したが、それを体現できた生徒はほんの一握であること。
内田氏は、それを体現出来る(リスペクトされる)側の人間ではないこと。
その空気に同調でなはい、別の形で影響を受けていること。(反発というかたちだが・・)
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日比谷高校にも小石川高校にも、灘や麻布や神戸女学院にもそれぞれの校風があり、それを一度でも吸った人間は、その残存臭気を消すことができない。
「その残存臭気を消そうとする」否定のみぶりそのものまでが、「残存臭気を意識している」ということを逆証してしまうからだ。
もちろん日比谷高校にも「日比谷高校らしくない生徒」はたくさんいた(私がその代表だ)。
私はぜんぜんスマートではなく、ソフィスティケートもされてなく、ミスティフィケーション抜きの向上心むき出しの「たいへん感じの悪い」ロウワーミドル階層出身の子どもであった。
でも、自分が「そういうふうなことばづかいで類型化される」人間だということは日比谷に行くまで気がつかなかった。
「それのどこが悪い」と居直って、私は校則を破り、教師に噛みつき、同級生を罵倒し、あげくに高校を中退してしまうけれど、これは私が日比谷高校的なものに過剰反応したことの結果であって、私が日比谷高校的なものと無縁であったからではない。
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と内田樹氏は書いている。
しかし、その後、時代背景と行政の都立教育改革によって、この強烈な「エートス」は、急激に薄まっていく。薄まったエートスでは、それに薄くて反発することもできない。
そして、ぬるま湯の「エートス」が残り。ゆるやかに、凋落していったということだ。
ところが・・上の「灘や麻布や神戸女学院」の私学には、まだ、都立と比較すれば「エートス」が残っている。
理由は明白だ・・
・学校のポリシーが、行政で歪められることが少ない。
・同じ先生が長期的に学校にいることで、校風をつないでいる。
(先生に権限もあるが、責任もある環境)
・強烈な選抜がある。
・進学結果を出す。(学校のポリシーとは別だけど)
動機さん・・あなたの本質的に求めるのは
は「学力」ではなく『エートス』なのではないか?そうであるなら・・
失われた「学力」を戻すこと可能だが『エートス』を戻すことは困難なことは、わかってるだろ。
また、時代背景によって、これも変化する。
日比谷の『エートス』が、「強烈な選抜」によって支えられていたことを考えれば「強烈な選抜」を復活させている現状は、動機さんにとってもは、評価できることなんだろうけど。
が『エートス』を育む、学校行事を「軽視」する方針とセットだ。
これは、当然、動機さんも、評価できないよね。
しかしながら、今の方向性で、都立が結果をだせば・・・当然・・、
その理由は・・
●「エートス」を『軽視』したから「学力」が向上した。
とう結論が導き出される。そして、その方針は『強化』される。(さらなる学力を求めればね)
何時になったら、「エートス」が重視される都立になるんだ?
さてさて「エートス」も重視する親は、中学受験は問題あるが、中高一貫校のエートスは『魅力的』だ。(笑)
だから、進学結果「のみ」前面にだした、中高一貫校は、評価はするけど「私は」好きにはなれない。とうい感じだね。
評価するっていうのは、それも「あり」だからね・
そういう学校に行ってる生徒でも、充実した学生生活を送っている子もたくさんいるし、自分の行きたい大学にいけて、感謝してる子もいるからね。
個人的好き嫌いは、学校選択に影響を与える。
私は、子供に、エートスを感じられる学校に行かせたいねー。
もし、新しい学校なら、エートスを「学校と先生が生徒と」作ろうとする学校にね。
勉強+「それ以外」で評価されるということは、必然的に、勉強「だけ」では評価されないわけで、外に目が行くようになるからね。
俺の「それ以外」はなんだ?ってね。いいことだね。
>勉強+「それ以外」で評価されるということは、必然的に、勉強「だけ」では評価されないわけで、外に目が行くようになるからね。
俺の「それ以外」はなんだ?ってね。いいことだね。
適性さんいいこと書きますね。やっぱり単純な私立中高一貫礼賛者ではないんですね。嬉しくなってまた登場しました。
旧制高校的雰囲気が昔の旧制中学あがりの伝統校には残っていました。目の色変えて受験勉強させるのではなく(今の都立はちょっと残念)広い視野を持てという全人教育?でしょうか。
教師も雑談ばかりでそれがまた面白い。この年になってもふと思い出して「ああ、あの先生はこういうことを言っていたんだ」と気付くことがあります。学力以外の人間にとって必要なこと・・・・・・を沢山学んだ気がします。
絶望しても立ち上がれる勇気やら自分を信ずる心。どこかに道を見つける諦めない粘り強さ・・・・・・・これって後年の失恋や浪人の時に最後に自分を支える武器になったと思います。多感な青春時代には学力以外の読書や友人の言葉から得たものがいかに重要であるかと思います。
ノスタルジーモードに入っていますので論理的な文章を書けません。
「ゆとり」についてまたいずれかの時に。
>教師も雑談ばかりでそれがまた面白い。この年になってもふと思い出して「ああ、あの先生はこういうことを言っていたんだ」と気付くことがあります。学力以外の人間にとって必要なこと・・・・・・を沢山学んだ気がします。
だから、そういうのは今の公立には無いですね。
私学に行っている子どもの話を聞くと、そちらの方が教師の雑学が面白そうです。
何より今の公立の授業時間では、雑談している時間もないのが現状でしょうね。
>過去半世紀、国民が力を合わせてよく働いたのに、なぜ人々の暮らしは 悪くなる一方なのか。稼いだ金をアメリカに貸し、その金で日本製品を 買ってもらうという不思議な事をやり続け、その結果、借金漬けのドルは今かぎりなく紙屑に近づきつつあります。
日本がアメリカに金を貢ぐという構造は、たぶん、日本がアメリカに軍事的に支配されている結果、できあがったものではないでしょうか。敗戦国だからどうしようもなかったのか、日本人の自立心が足りなかったのか。私は後者のような気がしますけど。
>初めから日本人の金を日本人のため(たとえば教育費や研究費)に注ぎ込んでいたならば、日本オリジナル の研究結果がドンドン出ていたでしょうけどね。
金はもちろん必要だけど、オリジナリティは、金さえあれば出てくるものではない。やはり、出てくるようなシステム作りが大事では?アメリカは、第二次大戦前にそれに成功したのでしょう。アメリカの国力は、経済力も軍事力も、そうしてできあがった学問研究の力によるところが大きいと思います。その力はまだ余裕で世界一です。ドルが紙屑になるとは、私には到底思えません。
>日本が世界一金持ちだった時も、何故か日本人はありがたがってアメリカ留学を さかんにしていましたよね。なぜ自国の大学を充実させるのに金を使わなかったので しょうね。
それは今も言えますね。日本人のアメリカ留学生が減少していると騒がれています。とくに中国韓国と比べて。でも、日本の大学が、世界から留学生を集められるようになることの方が、ずっと大事だと思います。いまさら中韓と同じことをやってどうしようというのでしょうね。




































