在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
根本的 さん
>へええ、吉田●和さんてそういうひとでしたか。私もあんまり好みではないんです。音楽評論家なら、いろいろ言われていますけど、私はやっぱり宇野功芳さんなんかが好みなんですけど、どう思いますか?
はっきり言わせて貰います。
大嫌い!
あと、中学受験が曲芸であると言う考えなのだけれど、曲芸は誰にでもできるものかなと
思って見ると、同じサルでも、なかなかできるサルはいないですよね。
親は、教育方針を決めるにしろ、子供がそれに気持ち的に乗るかと言う事と、実際に乗れるかどうか
と言う問題があります。
綺麗に曲芸ができると言う事は、その子の実力があると言う事です。
すなわち、社会に出ても、伸びる資質は十分にあるし、思考も備わっていると言う事です。
社会に貢献する期待は、十分にあるし、そのような子を生かせる方法論というものも必要ですね。
なんか、私のタワゴトが波紋を呼んでいて、スレ違いですし、申し訳ない。
原千恵子、田中希代子、という、世界が認めた才能を、故意に、徹底的に黙殺したのは、吉田●和と井口基成を中心とするコミュニティ、そして、野●光一でした。また、日本に居住した世界的ピアニスト、シロタやクロイツァー、を黙殺したのも、この一派でした。そして、ギーゼキングの奏法を「ポジションを使う」という意味不明の言葉で否定し(井口基成)、ミケランジェリのタッチをモノトーンと評し(吉●秀和)、ひたすら、日本の音楽教育界を、ピアノを機械的にぶったたく方向に誘導していきました。
これに比べれば、コーホー先生なんぞ、カワイイものです。評論に値するかどうかは、ごにょごにょ。
さらにスレ違い失礼。
私立中学の価値=中学受験の価値 と言う事で考えると、中学受験の勉強をする事自体は、
知力の成長に何の妨げを起こす事は無いが、その外側に存在する、塾の勉強に対する所要時間、偏差値闘争、
優劣の偏見など、親が作り出した虚像に対して、子供が呼応してしまい、親がその全体をカバーできなく
子供に過度のストレスがかかった場合には、かなり問題があり、結果として価値観は無くなってしまうものと思われる。
スパイラルで単一な大人が出来上がると言う事だが、思い出して欲しい。
学生時代、1番をとったものの勉強過程を考えた場合、それこそフォトメモリーな人で、一目で覚えてしまえれば問題ないが
、普通の人の場合、回数を数えたら、100回以上繰り返したかな、と言うものは山ほどある。
それで、繰り返したからと言って、自分の場合、それが原因で、思考力のない単一な人間になっているかと言うとそうは
思わない。
「一生懸命がんばることがかっこ悪い。」なんてのは嘘で、単なる逃げ口上ですよ。
一生懸命がんばって、結局成績が上がらなかったり、東大に合格しなかったらかっこ悪いから、一生懸命がんばってないふりをするんです。
「一生懸命がんばっていなかったから合格しないで当然。おれの能力がない訳ではない。」と言い訳するためです。
自分がそうだったので良くわかります。
若気の至りとかじゃなく、単に弱い人間なんですよ。
逃げ口上様
弱い人間だと分かっている人間で、弱い人はいないですよ。
分かっていない人間の方が、崩れるともろいですから。
そもそも、一人の人間が、全ての事において、一番を取ると言う事は、ありえません。
何か一つあるかないかの違いです。
一生涯見つからないかも知れないし、見つかるかも知れません。
例えば、やなせたかしさんは、晩年からですよね。
結局、人の役に立っている物であれば、それが何であれ、自分の一番だと思います。
一番でない物ばかりを見るのではなく、いつも何かを捜し求めていれば、きっと楽しい一生になるでしょう。
いつからでも、始まりはあるので、人生の決定は、やがてくる天国に行く日まで分からないと思います。
偉人を見ても、不幸な人もいれば、一生幸福だった人もいます。しかしながら、死後には、形勢が逆転したりします。
今の成果を求めるか、未来の成果を求めるかという事でも、人生の選び方はあると思います。
それは根本的な間違いだった さん、根本的さん
いえいえ、脱線させたのは私のせいですので申し訳ありませんでした。
ただ、思わぬ名前が出てきたことから、つい懐かしく書き込みしてしまいました。
私の青春時代は、宇野功芳の全盛時代で彼の論評について、仲間内でいつも論戦
(というのも、おこがましいですが)したのが思い出されます。
カラヤンについて「実に軟体動物のような演奏で、寒々とした人工美の極致、精神性
のかけらも無く、薬にもしたくない演奏と言えよう」などと上から目線で書かれると
お前が言うなよと、演奏の中身云々よりその姿勢に反発したものでした。
とは言え、演奏の中身について色々考えさせてくれた恩人なのかもしれません。
本当に脱線しました、皆さんすみません。
どうか、スルーしてください。




































