アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>「なるようになる」とか
なにかにつけ、“偶然だよ、偶然” と、子に摺り込んでますよ。
必然性を知ってしまうと、「なるようになる」を覚えちゃうんじゃないかなぁと思いまして。
あと、サイコロ。
ふらなきゃ目は出ない。
やみくもにふっても困るから、どんなときに、どのタイミングで、ふるか、ですかね。
そこらへんの感覚を覚えて、子にはうまくふる人間になってほしいと思います。
他人がふったサイで動くのも一つの人生なんですけど、
それは、
ローリスク・ローリターンの穏やかなものなんかじゃなくて、
実は、ハイリスク・ローリターン かな。
“自分でふる”こそ ローリスク、 そして リターンはふり方次第。
中学受験するっていう選択も、サイをふる、のひとつでしょうね。
ふり方 は百人百様。
親が子供の代わりにふる最後のサイなのかな。
そんな風にとらえるのはちょっと大げさかな。
中学受験って、してもしなくてもいいものだし。
自分でふる子もいるでしょうし。
吉田さんは自分でうまくふってるひとりですね。
>必然性を知ってしまうと、「なるようになる」を
>覚えちゃうんじゃないかなぁと思いまして。
そうなの?
なんだかよくわからないんですが、興味があるので、
余裕があるときに、詳しく説明してくださ~~い!
遺伝さんに説明を、ですか・・・。
ギョギョッと、ちょっと困惑する状況ですが・・・。
“電車の発射時刻に間に合って、その電車に無事乗れた”という事象があるとします。
このとき、この事象は、既にあらかじめ決まっていた、とするのが必然の概念ですが、
このように、必然を強く意識してしまうと、
なにごとにおいても、「なんとかなるさ」「なるようになるさ」と考えがちになってしまうのではないかと・・・。
それよりも、
本人が電車に乗るという決定をしたこと
しかもその時刻の電車を選んだこと
本人が時刻を調べたこと
電車のダイアが予定通り運航していたこと
駅の込み具合
駅までの道のりの状況
・・・・
のすべての積み重ねがあってはじめてその事象がたまたま成立した、ラッキーだった、
とそれらの偶然性を意識する方が良いと思うということ、なんですが・・・。
上記は、遺伝さんの
>たとえばがむしゃらに生きろ、やるなら必死でやれと…。 私たち世代も含めて、最も欠けていることかもしれませんね。 「なんとなく」とか「なるようになる」とか 「そうはいっても、のたれ死にするわけじゃなし」なんていう すべての甘えが通用しなくなると思っておいたほうがいいのかも。
の御意見に賛同したうえで、甘えを排除することを念頭に、「なるようになる」を 必然/偶然 性から うちのガキンチョに対して 思うところを ちょっと書いてみた次第で・・・。
遺伝さんの御意見に対して自分の意見を対立させたのではなく、対立軸は必然と偶然ってことです。
そんなところです。
先日、子供のオープン模試と一緒に、説明会があったもので参加させて頂きました。
先生のお話を聞いていて、ひとつドッキリした事がありました。
ルソーの言葉で、「子供に全てを与えてしまうと、子供はダメになる。」
そうだ、そもそも、私立の学校を子供に選んだのは、子供にその事を分かってもらう為だった。
勉強もしつけもその他の事も、大事にしてもらいたいから選んだんだと初心に返りました。
今回は、この言葉を聞けただけで、説明会に非常に感謝しました。
老眼様
そんな、ギョギョッとしないでくださいよ~。
よくわかりました。ありがとうございます!
たぶん必然という言葉の捉え方が、私とは微妙に違うので気になったようです。
で、必然と偶然についてちょっと調べたら、
あまりに壮大な哲学的テーマになっていることを知り、
ちょっと手に負えないなと、早くも挫折しました~(笑)
ほ、、ほんとうですね。
私も今ネットでちょろちょろ見ていたら、壮大なテーマみたいで、さすが老眼様です<(_ _)>。
面白い事に、人間って一生懸命生きていれば、なんとなく「必然」みたいなものがわかってくる。
でも、これは、たぶん必然というにはあまりに弱いもので、それは「自分の中の経験則」みたいなものなんだろうな~と。
そして、親はその「自分の経験則」を子供に教えたがる。
(私自身は、その「親の経験則こそ曲者」だと思っております。)
簡単な言葉で言えば、老眼様は「こうすればこうなる」これをあえて子供さんに教えないスタンスでいる。
そう捉えて良いのでしょうか?
あまりにも、私の主観が入り過ぎた解釈ですか?(笑)































