在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
そして、高校生親様がおっしゃりたい事も、私はすごく良く理解出来ます。
日本って、正味、文系の学生が「弱い」ですよね。
法政経、文学部以外の学科の男子学生は「なんの意思も持たずに偏差値だけ、大学名だけで選んでねえか?」の、側面は「ある」と私は思います。
(理系は逆に、職人道に通じるものがあるんじゃないか?と思うのですが。→理系でないので良くわかりませんが。。)
そこに歯がゆさを感じ、焦点を当ててらっしゃる高校生親様の言いたい事は非常に良くわかります。
信頼感様
ただ、、どうなんでしょう?
信頼感様はリアル社会ですごく「市場原理」に対してお強いキャラではないですか??
私は、私達のような分野に飛び込み、それで飯を食っていけるタイプの奴等がどれだけ「強い」かわかっておりますので、信頼感様自身が、ご自分の強さに無自覚なんではないかな??と思いながらお話を読ませて頂いているのですが。。。
地域、時代様
【2517766】の話は、100%同意見です。
【2517778】に関して私の文章力の問題でしょうが、誤解されています。
私だって市場規範で生業を得てます。だから市場規範を否定してませんよ。生業の為に折り合いをつけたりしますよ。そんな純粋無垢な話をしているつもりはありませんから。ただね、学習や志の部分にまで市場規範が介入してくると「学ぶ」、「心」も損得の方向に引っ張られてしまうということが述べたいのです。少なくとも成長段階の子どもたちに市場規範優先で思考することを良いとは思えないということです。それをやれば好奇心や主体性も育めないと思っているからです。
日本のアニメ、ゲーム分野が世界から注目される理由はと考えると・・・その分野の人が好奇心を十分満足するまで放っておかれたからだと思うのです。市場からの価値が低いとみなされていたお陰で市場規範の介入が比較的に遅かったからじゃないかなって思っています。
>信頼感様はリアル社会ですごく「市場原理」に対してお強いキャラではないですか??
「強い」ってどういう意味でしょうか・・・ちょっとイメージできないな。
ボランタリーは自分自身をコントロールする意味合いがあり市場規範は、市場価値にコントロールされる意味合いがあります。高校生親様の発想は、程度の差はありますが、ボランタリー部分も市場規範で一部コントロールしましょうという意味合いだと思います。ただ、そっちの方向は根本的じゃないと感じているだけです。高校生親様のお考えはとても参考になりました。どうにかしたいという方向は一緒だと感じています。
アイエンガー教授も述べられていますが、追求者は給料も高く地位も高いが満足感はない。常に他者と比較して自分より大きな相対性を周りに配置し、それを目標に拡大する向上心のあるグループとも云えます。満足者のグループは他者とあまり比較せず与えられたもので満足するグループです。どちらが自分にとってより幸福か・・ということだと思います。正解はありませんから。ただ、現代の世相は、追求者のグループの圧力が強いと感じています。市場規範が一度人々に受け入れられると元に戻すことは困難ですよ。だからこそ比較できるものと出来ないものを知る必要があると感じています。
学習や志の部分にまで市場規範が介入してくると「学ぶ」、「心」も損得の方向に引っ張られてしまうということが述べたいのです。少なくとも成長段階の子どもたちに市場規範優先で思考することを良いとは思えないということです。それをやれば好奇心や主体性も育めないと思っているからです。
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信頼感様
私も、この部分、強く同意いたします。
私がなんとなく思うのは、信頼感様は赤ちゃん~ずっとの事を考えてらっしゃっていて、高校生親様は、「高校生位から」のかなり自我が確立されてきた位の時期の話をしているような気がするのです。
実際、私自身は、うちの子の成長段階とともに、「話す内容」を「我が子中心」の内的な話から「その事がらを’別の価値観で’見ている人もいる」という話をすごくするのですよ。
どうでしょう?
ここの部分、高校生親様??
投稿者名も高校生親様ですので、私は「話題の子供の年齢層が少し2人で違っているのではないか?」と思っているのですが。。。
信頼感様はリアル社会ですごく「市場原理」に対してお強いキャラではないですか??(私)
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「強い」ってどういう意味でしょうか・・・ちょっとイメージできないな。(信頼感様)
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信頼感様
この私の「強い」って言う言葉は、信頼感様が自ら書かれた
↓
私だって市場規範で生業を得てます。だから市場規範を否定してませんよ。生業の為に折り合いをつけたりしますよ。そんな純粋無垢な話をしているつもりはありませんから。(信頼感様)
この部分です。
私はね、、前にも適性様に「どうなのかな?」って指摘されましたが、私自身の考え方の一つに、「リーダー気質」というものは、ある程度「生まれ持ったものがある」ような気がするのですね。
というのも、小学校時代からの友人達と私は今でも深く付き合いがあるのですが、勉強が出来る出来ないはまるで関係なく、小学校の時、リーダーだったりガキ大将的な子は、やはりリアル社会でもそういう立場にいる子が多いのですよ。
「ええ??あの子が??」って言う子は、私の周囲には少数なのですね。。。
やはり、あの子はどんな職業に就いても、強いな。みたいな。
もちろん、リーダーになどなる必要もないと思っていますし→子供達一人一人が自分のキャラで、自分の生きる道を一生懸命歩んでいけばそれで良い。(ここは強調いたします。)
「リーダーは選ばれるものだ。なろうとしてなるものではない。」という部分でも私と同意ですし、信頼感様は、リーダー業が苦にならない方なんじゃないかな?
と思うのです。
私の中での信頼感様像は、どんな仕事をしても評価されるタイプ(他者からみればそれが’強い’と映る)、みたいな気がするんですよね。
地域、時代様
大学を中退してやりたい道に進み、才能に見切りをつけて起業したりと落ち着きのない人生です。だから人並みの強さはありますよ。でも、この問題とは無関係ですから。
>私がなんとなく思うのは、信頼感様は赤ちゃん~ずっとの事を考えてらっしゃっていて、高校生親様は、「高校生位から」のかなり自我が確立されてきた位の時期の話をしているような気がするのです。
仰る通り、乳幼児期から含めて述べています。でも、高校生が急に市場規範で物事を思考するようになるわけじゃないんです。小中からずっと比べられているわけですから。より高い偏差値の学校へという基準で養育者と価値観を共有したのでしょう。コスパで学校を決め、非効率的な部分は無価値、効率の良さを重視する価値観。世相にも受け入れられたのか、この様な考え方の養育者は増えているように感じています。
実際、高校生親様のお子さんの友人は、将来を市場規範で決めようとしているわけです。それに違和感を覚え、「もう少し志を高く持ってくれ」って思いを高校生親様も吐露されています。結局養育者の価値観を子どもたちはマネているだけです。(高校生親様の友人の養育者に対して述べています)
>自我が確立されてきた位の時期の話をしているような気がするのです。
ですから、自我の確立する時期以前(小中)に市場規範優先だと主体性は育まれず、損得で判断する人になってしまうということです。外向性、内向性は、利き手のようなものですよね。だからどっちかの基準で捉えようとする癖がある。その癖は、自分でコントロールしない限り無自覚にそれで判断することになります。そして内向は、強く外に向かって主張しません。外向は、強く外に向かって主張します。だからその主張に合理性があれば広まり易い。
地域、時代様
駄々っ子みたいな私のレスを丹念にフォロー、というより、解きほぐして頂いて本当に有難うございます。
>市場規範と自由意思は、水と油としか思えないんです。でもどちらも必要なものです。
おそらくこの点に関する意見の持ち方が、信頼感様、地域、時代様と私の違いの出発点だと思います。私もかつては水と油だ思っていました。しかし、特に職業を持ち、市場規範が私の生活の中にどんどん入ってくるようになったことをきっかけに、自分自身を子供の頃から見つめ直したことがあります。水と油だと思ったままでは、自由意志の部分が押し込められているようで苦しくて仕方なかったんですね。
その時、子供のころから自分の中に褒められたいという気持ちがあり、それが社会への関心、関わりが高まるにつれ評価されたいという気持ちに(私にとってはごく自然に)なっていったことに注目しました。小さい頃の褒められたい気持ちは両親からの無条件の愛情を求めていたということで、比較とは無縁だと思いますが、小学校高学年くらいから、自分の周囲、社会から評価されたいという気持ちが出てきた。褒められたいと言う気持ちの自然な延長としてそうなったと感じています。この辺が今に至る私の考え方の原点だと考えました。そして、周囲から、社会から評価されたいという気持ちには必然的に比較の要素が入ってきます。そこそこ評価されてもやっぱり2番じゃ気が済まない部分がある。そして、それは更にリーダーになりたい、なりたいというより、リーダー的な立場に立っていることが心地よいという風になって行きました。地域、時代様の、持って生まれたもの、とはちょっと違うかもしれませんが、私が小さい子供の頃から持っていたものの(私にとっては)自然な延長であると感じます。
そこで、この自分自身の原点にある気持ちをベースとして、なんとか市場規範を自分なりに再構築して行けないかと考え、今に至っています(勿論、市場規範という言葉で考えていた訳ではありませんが)。
>「高校生位から」のかなり自我が確立されてきた位の時期の話をしているような気がするのです。
志を云々というのはおっしゃる通り「高校生くらいから」を想定していましたね。ただ、敢えて前段の自分の心の動きに触れたのは、まさに成長段階と共に、家庭・自分の周囲・社会との係り合いを意識することの延長線上に志があると感じていることをお伝えしたかったからです。社会との係わりを意識しないで育った子供に、いきなり志を説くのは無茶だと思います。その意味で、地域、時代様が
>実際、私自身は、うちの子の成長段階とともに、「話す内容」を「我が子中心」の内的な話から「その事がらを’別の価値観で’見ている人もいる」という話をすごくするのですよ。
とおっしゃるのには深く共感します。
そこで、今の教育、受験に対する危機感が出てくる訳です。地域、時代様が短くも的確に
>「なんの意思も持たずに偏差値だけ、大学名だけで選んでねえか?」
とおっしゃる通りで、敢えて付け加えさせて頂くと「社会とのかかわりなど意識せずに...」ということになります。
更に進んで言うと、今の、私が社会とのかかわりを意識し始めて欲しいと思う小学校中学年から高い偏差値を取ることだけが価値だと思わされる状態がどんどん進んでしまうと、偏差値・大学名で選ぶことこそ社会との係わりだと思ってしまうのではないかという危惧があります。それが私が志を問題にした背景です。信頼感様、地域、時代様がおっしゃる通り測るべきではないのかもしれません。ただ現在の偏差値・学校名至上主義はかなり圧倒的な力を持っており、何らかの対抗策を考えないと、この傾向は強まるばかりではないかという危惧が消えません。




































