アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
わ、私が書こうと思ったこと、地域、時代様がほとんど書いてくださっている・・・ちょっとびっくり。
少し付け加えるならば、著者による、オウムが出版した本の分析や、実験や調査の内容についての考察も豊田は読んで
自分の経験に照らし合わせて考えているでしょうから、マインドコントロールのメカニズムに関してもかなり信憑性が高いと
私は思います。
それと、この本が書かれたのは最高裁の判決が出る前で、著者はこの本を最高裁への上申書と双子の関係、と位置付けて
いますから、軸足は再発防止におかれていたのではないでしょうか。
そのために、豊田自身に呼びかけ続けるとともに、彼に「語る」時間と機会を与えたかったのではと。
私が今一番気になっていることも、「再発防止」なんです。
この本を読むまで、私は正直、これほど日常的にマインドコントロールにさらされているとは思っていませんでした。
ひとがこんなに簡単に騙されてしまうとは。
そして第二次大戦での日本軍の暴走、ナチスドイツ、ルワンダの大虐殺、そしてサリン事件・・・これらが全部
マインドコントロールというキーワードでつながっていることも、考えたこともなかったです。
また裁判員制度施行前には、視聴覚メディアによる裁判員のマインドコントロールが懸念材料になったりしました。
再発防止に何ができるのか、ある種の生理的反応にどう立ち向かうのか、関連本など読みながら、考え続けています。
・・・というところで、菊池直子の逮捕・・・私は17年間の逃亡生活うんぬんよりも、教団に関する話が聞きたいです。
話してくれるのか、話したとして、それが私たちの耳に届くのか。
平田信も、逮捕されたという報道のあとは、いまのところなしのつぶて。
なにやら、世間にはオウムのいろいろが公になると不都合が生じる方々も少なからずおられるようですので、
結局闇に葬られてしまうのではと、疑心暗鬼になってしまいます。
地域、時代様が書かれた、マインドコントロールと運動の話。
ご自身の経験に基つ”くものだけに、説得力がありますね。
私は運動は苦手で・・・書かれたこと、繰り返し読んで考えてみます。(想像の域を出ませんが 汗)
最良の兵士とは「何も考えないで言われたことを実行する」兵士。
ある宗教に帰依するという事は「教祖を信ずる」あるいは「教義を信ずる」という・・・・・日本人の感覚からはあっちに跳んでしまう・・・・ということをしない限りできないことなのでしょう。
懐疑や疑問、「何でこんなことやるんだ?」となったらその信仰を捨てなくてはいけない。
壮大なフィクションというか共同幻想というか教祖とその弟子たちが築き上げた壮大な伽藍に魅せられるのは良くわかる気がします。
純粋で真面目で誠実な人ほど忠実に修行して言われたとおりに「救済」を実行したんでしょう。奇跡に近いことを体験して(LSD,覚醒剤)もう完全にはまったら世俗的な善悪の感覚など超越するのでしょう。
村井は死し麻原は語らずで・・・・・・・願わくはサリン犯の誰かが「獄中日記」や「弁護士との往復書簡」などを残してすべてを語って欲しいものです。将来そういう資料が出てくればオウムのことがかなり分かるかもしれません。
不思議なのは法皇官房?という麻原直属の部署にいた石川が微罪で逮捕されたのみで重大事件では何も起訴されなかったこと。同じくリムジン謀議に加わっていた青山がすでに出所してどこかに暮らしていること。・・・・・彼らが何かを書き記しているとしてもそれは永久に表には出ないかもしれませんね。
地域、時代様の「自分で自分に行うマインドコントロール」(セルフ・マインドコントロール?)について考えるうちに
ひとつ思い出しました。
この「さよなら~」の中の、北島康介の「気持ちいい!」と著者の小学校時代の鉄棒のエピソードのくだりに、
「同じ神経伝達物質が出ればどんな状態でも全部同じ<快感>」とありましたが。
前に読んだ茂木健一郎の本にも同様のことが書いてありまして、これ、「ドーパミン」という物質だそうですね。
(そういえば私以前このスレで、脳内モルヒネとか書いた覚えが)人間は楽しいけれど苦しいことをずっと続けていると、
あるとき突き抜ける瞬間があって、そのときこの「ドーパミン」がどっと分泌され、<快感>を感じるのだ、
このしくみをうまく利用すれば、たとえば子供に自発的な行動を促すこともできる、というようなことでした。
これも一種のセルフ・マインドコントロールということ、だとすれば、マインドコントロールもマイナス面ばかりでは
ないと・・・考えてみればあたりまえですが。
神戸観光案内2様
そうなのですよ~。
私も、北島選手のくだりで、「ああ、わかるかも」と思ったわけです。
また、チームプレーの場合は、勝ち負けが「集団」ですよね。
昔、集団競技は国と国の合法的な戦争みたいなものだ、という事を書かれている本を読んだ事があります。
「言えてるかも。。」と。。。。
個人競技の場合は、なんだかんだ言っても、最終的な結果は自分が受け入れますよね。
(個人競技に関しては、小、中学校の市大会レベルの事しかわかりませんが。。。)
でも、集団競技の場合「そうではない」部分も多いかと。。
この間の情熱大陸の、木村選手と竹下選手の対談の中でも、
「エースとしてのプレッシャーは感じませんか?」と言う質問に
「一人でやっているのではないから、私一人で勝ち負けが決まるのではないから。そこまでプレッシャーは感じません。」みたいな事を、木村選手が語っていました。
逆に司令塔である木村選手にはものすごいプレッシャーがかかると思います。
バレーは、ばちこ~ん!と、派手にスパイクが決まる場面に目がいきがちですが、「どれだけ優秀なセッターがいるかいないか」が、本当に重要なんです。
しかし、司令塔である竹下選手だって「エエボール出したのに、、」って場面も多いかと。
つまり「責任」みたいなものが「分散される」のが集団競技。と、私なんかは感じているのですね。
それを無理矢理オウムに繋げてみると「集団だから、一人一人の責任の所在があいまい」になっていたような気がするのですね。
なので、人の命を奪う事に対しても「皆でやっているから」→「俺(私)一人がやるんじゃない」という「罪に対する意識」も薄れてくるんじゃないかな、って想像してしまうのです。
軸足は再発防止におかれていたのではないでしょうか。
そのために、豊田自身に呼びかけ続けるとともに、彼に「語る」時間と機会を与えたかったのではと。
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神戸観光案内2様と同じように私も感じました。
動機様もおっしゃるように「本人達が語る事」が一番の解決策だと私も思います。
しかし、、本当に語って欲しい人達は殺されたり、語らない、、のですね。
この本を読んで私も「対岸の火事ではない」と思いました。
作者が「私はたまたまクラシックというものに熱中する事が出来た」と。
私もその時「ああ、、私もそうなのかも」と思いました。
「物事に対して一生懸命やりたいと誰もが思ってるんじゃないか?」という著者の問いかけ。
そういった部分でつまづきや消化不良を起こしている人に、オウムは非常に魅力的にうつったんじゃないか?
と感じます。
今、ニュースで逃亡している信者の事が話題になっているので、メディアでも色々オウムについて取り上げられていますよね。
とあるニュースで、35歳以下の若者の信者数が増えている、とありました。
ハリーポッター様から「大学側も対策をしている」と教えて貰った事がわかりました。
増えている、、、なんて。。。
当時を知っている世代には考えられませんよね。
私達親が出来る事は、「対岸の火事」と思わず、そういったニュースを見た時にしっかりと子供と対話する事なんでしょうね。
懐疑や疑問、「何でこんなことやるんだ?」となったらその信仰を捨てなくてはいけない。
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動機様
ですよね。
Jには「殺す側にまわるか、殺される側にまわるか」と。二者択一を迫る。
また、自ら思考する事を「煩悩」と言われる。
動機様がおっしゃるように「兵士」のような状態ですよね。私の言葉に変換すると「ロボット」かな。。。
村井は死し麻原は語らずで・・・・・・・願わくはサリン犯の誰かが「獄中日記」や「弁護士との往復書簡」などを残してすべてを語って欲しいものです。将来そういう資料が出てくればオウムのことがかなり分かるかもしれません。
↑
その通りかと。
そして、さよなら~の著者が出版時に色々と周囲にあったように、また企業人様が「なぜ単純に被害者であるのに、企業側は緘口令を強いたのか?」のように、信者以外の「関係してしまった人達」も語る事が再犯防止に繋がるのでしょうね。
私が不思議に思う事があるのですよ。
松本は非常に狡猾で頭は良いとは思うのですね。
でも、、あれだけの事を一人で考えられるわけがないんじゃないか、、と。
まあ、、ここから先は、数例あがっている憶測みたいな範疇を出ない話になってくるので(信憑性は高いが、推理の域を出ないという意味で)、彼等が語り始めるまでは深い闇の中、みたいな事になってくるのかな。。。。と、暗澹たる気持ちになってしまいます。































