アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
公立一貫さん
都内の学校からの京大進学者、この春は増えたようですよ。
2011年度以前と比べれば、今後も増えるんじゃないかしら。
あまりこの手の話をすると荒れるので書きませんが、
私は、菅さんの政務秘書だった松田氏のコメント(動画)を見て、
どんより気分になったクチ。
いろんな意味で、京大には期待しています。
学生の質も、これまで以上に高まる可能性が大かなと。
なんかちょっと抽象的な書き込みでごめんなさい。
お察しくださいませ~。
■スループさん
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適性さん
その宗教の人とじぶんのこどもが「交流」するもっとも現実的な状況にそくしてご説明したまでです。
>「いじめないさい」そんなこと書きましたか?
では適性さんはごじぶんのお子様に、その子にどのように接するよう指導されますか?
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もっとも、現実的ですか???
家の隣に、拠点があれば、そこで、接触はさけられないことは確定しますが・・・
そこの子供と同じクラスになる確率のほうが、とても低いですけどね・・・
では・・先に、「私」がお答えしますね。
>その子が近所に住めないよう、いじめなさいと指導されるのですか?
(なぜ、積極的に、そういうことを、しむけることが前提なのかわかりませんが)
私は、子供に、「近所に住めないよう、いじめなさい」なんて、指導『しません』
現実には、いろいろな宗教(学会など)の子といますが、その子と同じでしょう。
とくべつ、「その子」には、こうしないさいともいいません。
他の宗教の子にも、とくべつなにもしませんし。
なにも、問題がおきていないのに・・・
だいたい、こどもが、教室で、布教するのですか?何かするのですか?しないでしょう。
なぜ、「個人」対応と「団体」を一緒にするのでしょうか。
しかし、その子が、となりの宗教団体の拠点に「住んでいる」として、
「となりなんだから遊びにおいでよ」と誘われても・・・「行かせません。」
必要なら、説明します。
次は、スループさん、答えてくださいね。私の質問に。
あなたの論では
宗教の自由であり、その自由は、侵してはならない。
自分の子に、悪い印象を与えてもいけない、周囲の人は、反対運動をしているが、間違っている。
お前は、色眼鏡で、見てはいけない、お隣なんだから、「普通の住民と同じ」で、好意的に接しなさい。
そして、交流をもちなさい。
クラスのその子が、となりの宗教団体の拠点に「住んでいる」として、
「となりなんだから遊びにおいでよ」と誘われたら、「行かせる」のですね。
行かせるのですよね。
適性さん
>現実には、いろいろな宗教(学会など)の子といますが、その子と同じでしょう。
とくべつ、「その子」には、こうしないさいともいいません。
他の宗教の子にも、とくべつなにもしませんし。
なにも、問題がおきていないのに・・・
なにも問題がおきていなければ、とくべつなにもしないのは、こどもにたいしてだけでなく、大人や宗教団体そのものについてもとるべき態度です。
>あなたの論では
宗教の自由であり、その自由は、侵してはならない。
なんども申し上げているとおり、そのとおりです。
>自分の子に、悪い印象を与えてもいけない、
まさしく、そのとおりです。
>周囲の人は、反対運動をしているが、間違っている。
もちろん間違っています。
適性さんは反対運動に参加しますか?
>お前は、色眼鏡で、見てはいけない、お隣なんだから、「普通の住民と同じ」で、好意的に接しなさい。
とうぜんのことと思います。
>そして、交流をもちなさい。
クラスのその子が、となりの宗教団体の拠点に「住んでいる」として、
「となりなんだから遊びにおいでよ」と誘われたら、「行かせる」のですね。
行かせるのですよね。
ここからが適性さんお得意の、わたしの主張内容でないことを持ち出すパターンですね。
宗教団体の拠点は布教活動の場です。わたしにも信仰の自由があり、それには信仰するつもりのない宗教の布教をわたしじしんや家族が受けない権利も含まれます。ですのでお断りします。
■スループさん
>ここからが適性さんお得意の、わたしの主張内容でないことを持ち出すパターンですね。
では、あなたは
私が「近所に住めないよう、いじめなさい」と主張していたから、持ち出したのですか?
そうなんですか?
ある種の、極端な『理想論』は、わからないことはないです。
鳩山元首相発言のようにね。
「なにか対応」すると、極端な『理想論』から見ると、「寛容でない」となる
スループさんは、そういうことに、ひどく「寛容じゃない」ですよね。
さて、その団体、その個人にどう対応するのか?は、各人が決めるものでしょう。
そこには、グラデーションがある。
そのグラデーションを認めないのですよね。スループさんは。
とにかく、「寛容」であるべき。「好意的」であるべきと・・
オウム真理教の流れをくむ宗教団体「解散」求めるのも。
地域の住民が、退去運動することも。
できるだけ、接触がないようにするのも。
家や拠点に遊びには行かせないのも。
私は、理解できます。確かに「好意的」ではありません。それには、それなり理由があります。
別に、信じていなくても、お寺や、神社や、教会にいったりするでしょう。
なにか問題ですか?遊びに行くのは?
なんの危機感もないなら、どうぞ、普通に近所付き合いして、子供も、教団に遊びに行かせればいい。
みな、歓迎してくれるし、入信を勧められるでしょうけど。
■スループさん
>なにも問題がおきていなければ、とくべつなにもしないのは、こどもにたいしてだけでなく、
>大人や宗教団体そのものについてもとるべき態度です。
以前、私は書きましたよね
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寛容の精神からは、許せないことかもしれませんが。
外国では、性犯罪者の、再犯率の高さから、社会に、顔や住所を公表しているところさえありますよね。プライバシー無視ですね。
警察、周囲の人は、警戒し、抑止力をはたらかせ、自分や、家族を守ることを優先しているわけです。「同じあやまちがおきない為」の効果は高いでしょうね。
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その犯罪者は、常に犯罪を犯しているわけではありません。
最後の犯罪「以後」は、『なにも問題がおきていない』のです。そうですよね。
では、未来においては「全て」可能性です。
しかし、危険を感じていいるわけなので・・・「悪い」可能性として・・
自分の娘と、その人を、二人っきりになんてしないのです。これは「非寛容」です。
でも、そういう「対応」をするのです。
普通の人は、二人っきりにしたって、かまいませんが・・・
では、スループさんは、(娘がいるとして)
「一週間前の犯罪以降は、改心した」と言われたら、長時間、娘と二人っきりになっても・・
信じてあげてください。なにもないかもしれません。
それは、理想論です。
危険を感じる人は、それなりの対応はします。
適性さん
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寛容の精神からは、許せないことかもしれませんが。
外国では、性犯罪者の、再犯率の高さから、社会に、顔や住所を公表しているところさえありますよね。プライバシー無視ですね。
警察、周囲の人は、警戒し、抑止力をはたらかせ、自分や、家族を守ることを優先しているわけです。「同じあやまちがおきない為」の効果は高いでしょうね。
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わたしは信教の自由にたいして寛容であることが必要であるとのべています。性犯罪に寛容であるべきとは申していません。
オウム真理教の流れをくむ宗教団体の信者のひとたちのほとんどは、性犯罪どころか、なんら犯罪をおかしていません。
たとえば上祐氏は服役していますが、それは国土法違反などが理由であり、外国における性犯罪者の再犯率の理屈はまったく適用できません。
>わたしは信教の自由にたいして寛容であることが必要であるとのべています。
>性犯罪に寛容であるべきとは申していません。
(元)性犯罪者の、「行動の自由」にも寛容であるべきでしょう?あなたの論理なら・・
なぜ、差をつけるのですか?
すべての自由に寛容であるべきでしょう。
性犯罪には、自分も危険性を感じるからしかたないのですか?
>オウム真理教の流れをくむ宗教団体の信者のひとたちのほとんどは、性犯罪どころか、
>なんら犯罪をおかしていません。
>たとえば上祐氏は服役していますが、それは国土法違反などが理由であり、外国における
>性犯罪者の再犯率の理屈はまったく適用できません。
「まったく適用できません」ですか・・
私は、本当は 犯罪の種類 内容 再犯率は、問題にしていません。
べつに、軽犯罪?万引きでもいいですよ。犯罪でなくてもいい。
誰かが『危険性や問題を感じれば』それなりの対応をとることがあり、それは、寛容でない場合もある。
それは、否定されることではない。(寛容でないからと言って)
そういうことです。
そういう意味では、『まったく同じ』なのです。適用できますよ。
信者の犯罪の内容や、犯罪がないことを主張していますが・・・
>なにも問題がおきていなければ、とくべつなにもしないのは、こどもにたいしてだけでなく、
>大人や宗教団体そのものについてもとるべき態度です。
ということは「個人」でも「団体」でも対応は「同じ」という主張でしたよね。
あの団体の犯罪は、なんでしたか?
「団体」としては・・無差別殺人です。それ以上の犯罪はないでしょう。
その「団体」は、まだ残っています。
団体が解散すれば、犯罪歴のない、個人ということになりますよ。
つづき
「虫もころさない個人」が多数なのに「団体」になると、『暴走』したのです。
その教義の継承があるのに(暴走の肯定もあるのに)なぜ、個人が良い人?だから、その「団体」も、危険性がまったくないと思うのでしょうか?
危険性があると思えば、なんらかの対応とるでしょうし、常に、好意的であることはできません。
危険性のレベルも様々です。
しかし、基本的には、過去にしたことの積み重ねです。
ある人が万引き常習犯なら、お店は、警戒したり、出入り禁止にします。
すぐ暴力ふるう人には、誰も近づきません。
ウソばかりついた人は、信用されません。
知らない人でも、行動が不審なら、警戒します。
過去に無差別殺人した教団は、警戒します。































