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私立中学の価値ーゼロ 

【2444410】
スレッド作成者: 適性 (ID:RfnxxivKKcs)
2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

【2815403】 投稿者: 動機が大事だよね   (ID:cce961rn.fQ)
投稿日時:2013年 01月 11日 07:50

素朴な質問です。



運動部経験者にお聞きしたいのですがいわゆる「気合を入れる」という意味で先輩や指導者から殴られたりひっぱたかれるというのは日常茶飯事なのですか?



限界まで追い込んで・・・・・・・さらにその下に隠れている力を絞り出す気合入れはあるけれどそれも大声出して「押忍」と一斉にがなるぐらいで、竹刀持った先輩が尻を思いっきり打つなんてこともなかった。




アントニオ猪木が「びんた」やりますよね。あれって暴力ではないですよね。「有難うございます」と礼を言ってやってもらっていますから。精神高揚の儀式のようなものでしょう。



遅刻したとか道場の掃除がなっていないとかで正座させられたり腕立てや腹筋100回なんて懲罰はあったけれど・・・・・・意味なくど突かれるなんて本当に見たこともないんですが。



奈良の子供が父親から虐待まがいの勉強させられて放火したけれど・・・・ぶんなぐられて数学解けるようになるなら世話はない。まあ・・・・集中力の欠如を「根性叩きなおす」といって目を覚まさせるんだろうけど意味ない暴力ですね。



集団スポーツは個人競技と違って・・・・・・殴ると強くなるんですか? 

【2815454】 投稿者: 老眼   (ID:lmnSJmyMMmo)
投稿日時:2013年 01月 11日 08:57

指導力の無さを、腕力でごまかす。
腕力の被害を受けた者の気持ちを顧みずに。


児童生徒の立場・成長よりも
教師・学校のメンツを優先する。


なぜこういうことが何度も何度も繰り返し発生するのでしょう。
大事なことが欠落してきた結果ですね。


亡くなった高校生には、
当該教師に対する恨みだけではなく
社会に対する恨みもあったかもしれませんね。
自分が極限の悩みを抱えているそのときに、
校長も、教頭も、教育委員会も、昨年「何も無かった」と結論づけたと報道されてますし、
市長も選挙に没頭中で。
対応すべき立場に在る大人の誰もが、彼、生徒自身に目を向けてくれなかったわけですから。


動機さんの疑問点を問題とすることが、彼の命に応える方法ではないと思いますが。

【2815528】 投稿者: 白砂   (ID:MrHVIsZZbEw)
投稿日時:2013年 01月 11日 09:55

視点様


そんな子供が受ける学校なのか・・・の部分で一般化と解釈されたのでしょうね、多分。
確かにそうとられても仕方がないかな。でも、さすがに入学後もトップクラス、とも書きました。
桜蔭生のなかでも特に優秀な生徒さんだったことは、事実です。その後の進路は聞いていませんが。

【2816002】 投稿者: 適性   (ID:GNSArirEKFk)
投稿日時:2013年 01月 11日 18:05

■動機さん

>運動部経験者にお聞きしたいのですがいわゆる「気合を入れる」という意味で先輩や指導者から殴られたりひっぱたかれるというのは日常茶飯事なのですか?

私は、日常茶飯事には経験したことは、ありませんね。
あっても、先生が、全体責任として、体罰があったぐらいですね。

でも・・スポーツの強豪校で寮生活だったりして、そういう体質が伝統的になってしまったということは、ききますね。1年は奴隷??的な・・


私の、あの事件は、
顧問が、「体罰という認識もなかった」と主張したらしいですし・・
常識的に、「一線」を越えた、体罰が、常態化していたのですから・・
それを、肯定することは、できません。
そんな体罰なくても、スポーツはできます。

老眼さんが書いたように

>指導力の無さを、腕力でごまかす。

「生徒のコントロール」するのに、安易に「暴力」を乱用しているのです。
それは、先生が、「自分をコントロールできてない」ということです。
スポーツは、自分の精神と肉体をコントロールする為のものなのに・・

しかし・・です。それは、それとして・・

体罰が、いけない・・ということが、「原則」ではありますが・・・
そこに、理由、状況いかんに関わらず「いかなる場合も絶対に」いけない。
と「いかなる場合も絶対」と、することは、子供にとっても、現実的には、あまりいい効果とはならない。
と思っています。

**************
文科省によると、教師が生徒を「たたく」行為は、06年度の文科省通知が体罰として挙げた「身体に対する侵害」に該当。通知では、長時間の正座や直立など肉体的苦痛を与える行為も体罰と断じており、「いかなる場合も行ってはならない」としている。
**************

私はこの「いかなる場合も行ってはならない」という、硬直的な通達は、どうなんだろうと思っています・・・親や、社会も、この硬直に引きずられている気がします。
(お役所が、そう通達するのは、わかるのですけどね)

体罰 = 先生の処分・・・(いかなる場合も、理由問わず)

になりますからね。

私は・・体罰の問題は・・体罰のタブー視ではなく・・

『一線』がどこにあるのか?という『常識的』判断の共有が必要なのでは?。
と思っています。有る程度の「幅」はあると思いますけどね。

『一線』とは、
①子供の言動の悪質さのレベルという意味と・・
②教師が、体罰?した場合の、その体罰のレベルという意味があります。

マスコミも
「いかなる場合も行ってはならない」とアナウンスすることには一生懸命ですが。
そういう、『一線』がどこにあるのか?とかは、やらないですよね。


教育現場での「権威」が、何をバックボーンにしているのか?

教師という立場。
教える上での裁量権。(「一線」の判断もある種の裁量)

これは、学校と、親と、社会によって、担保されるわけです。
例えば・・「うちの子が、他の子に、迷惑かけたり、いじめたら、先生の判断で、頭たたいても、かまいません」という話
当然、本人の力量が前提ではありますし、乱用されては困るわけですけど・・


私の、『場合によっては』体罰を容認することもある。という立場は・・・

基本的に、「親が子供を教育する場合」の態度と、かわりません。
私は、暴力で教育しようとは、思いませんし・・してきませんでしたが・・
その可能性を完全には、否定しません。

体罰があることが、「当然」であることを、容認するのではなく・・
子供の言動が、ある『一線』を超えた場合の、対処としての体罰を、容認する。
その体罰の内容が、『一線』を超えない範囲で、容認する。ことです。

子供には、自分の言動が、ある『一線』を超えた場合は、その可能性があるという認識があった方がいい。そう思いません?
その場合、当然に、教師(や親)にも、子供が、ある『一線』を超えた場合には、体罰に訴えてでも、対処する『覚悟』が必要です。
『覚悟』がなければ、子供は、その可能性なんて、感じることはないでしょう。

理由、状況いかんに関わらず「いかなる場合も絶対に」いけないのなら、『覚悟』なんてなくなります。

ある種の、先生や親への「畏怖」は、
自分が守るべき態度をとらない場合は、十分その『可能性』があることを、肌感覚で持っていることではないでしょうか?。

こんなものなくても、現状が、「うまくまわっている」というのであれば・・・
必要ないのですから、体罰は「いかなる場合も行ってはならない」という原則でいいのです。

私は、教育現場の現状が・・・
子供の言動が、ある『一線』を超えた場合の対処として、いまだ、そういう「畏怖」が「必要悪」だと思っているのです。

だいたい「いかなる場合も行ってはならない」相手には勝つには、「それをさせたくすること」を、ずっとつづけることです。
そのぐらいの、ことは、今の子は、「わかっている」わけです。

現実でも、教師が、「暴力をふるった事実」させあれば・・理由にかかわらず、子供とその親は、先生に、たいがい勝つのです。

私は、体罰の問題は、オール オア ナッシング ではなく。
時代とともに、「バランスをとる」問題だと、思っています。

【2816022】 投稿者: 適性   (ID:GNSArirEKFk)
投稿日時:2013年 01月 11日 18:31

ついでに・・

NHK大河の「八重の桜」がらみの話で・・・


■什の掟

若松郭内に屋敷を構える会津藩の上士は、約八百戸あったという。その子息達は六歳になると居住地域によって「什」という子供達の組織(遊びの仲間)に振り分けられ、「什の掟」(什の誓い)を教えられた。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。

三、嘘を言うてはなりませぬ。

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。

五、弱い者をいじめてはなりませぬ。

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

これに「ならぬことはならぬものです」を付け加えたものが「什の掟」ということです。

子供たちの間のこととはいえ、ルールはルールなので、破れば当然、罰があります。
一番軽い罰は、皆の前で「無念でありました」とお詫びをすること。
それより重いと、皆からのしっぺ。
さらに重いと、火鉢の上に手をかざす「火あぶり」、雪の中に埋めてしまう「雪埋め」。最も重い罰は「絶交」。
文字通り什のメンバーから絶交されてしまい、こうなったら親と一緒に什のメンバーひとりひとりの家に謝りに行かないと許してもらえません。


これは、会津において『教育を受ける子供が、とるべき態度』なのでしょうね。
教育を受ける環境(仲間との関係含め)を「安定的」なものにします。
そして、年長者(教育する側)の「権威」を確保しています。

ただ、これも・・・前提があると思うのです。
『年長者』は、自分達に、嘘を言うことはないし、卑怯な振る舞いはしないし、弱いものいじめもしない

だから・・

子供は、年長者のいうこときくし、年長者を敬う のが当然。になる。

自分の立場を利用した、理不尽な理由での体罰は、「卑怯」であり、「弱いものいじめ」ですからね~。

【2816023】 投稿者: 呑気な父さん   (ID:VMkLJTzK0nQ)
投稿日時:2013年 01月 11日 18:31

高校生の自殺が話題になっていますが、
人が死を選ぶのは「他に道が無い」と思ったからで、体罰を含めた「追い込み方」に問題があると思います。
スポーツ推薦で入学したり、進学や就職を考えている生徒たちにとって、部活の顧問は絶対服従すべき相手ですから、
顧問の教師みずからが律して正しい行いをするしかないのですが、そういう先生ではなかったような報道ですね。
 
秋元康原作、AKB48出演の「マジすか3」という
不良少女たちの喧嘩や権力抗争などが出てくるTVドラマがありましたが、
そのなかで「痛いだけの拳は、やがて自分に返ってくる。」というセリフが出てきます。
私は「熱い心がこもった拳は仲間を作るが、痛いだけの拳は敵を強くする」という意味と理解しています。
 
何が言いたいかというと「どんな心で体罰を行ったかが重要」だということです。
「体罰は、子供にも理解できる「熱い心」がこもっていなければ、単なる暴力である。」
「子供の人格や存在意義を否定する「冷たい心」がこもった体罰であれば、犯罪である。」
と思うからです。
 
報道だけでは判りませんが、顧問の教師は暴君のような印象を持ちます。
「悪い心」とともに体罰が存在したとすれば、子供が死を選ぶ理由にはなるでしょう。

【2816035】 投稿者: 適性   (ID:GNSArirEKFk)
投稿日時:2013年 01月 11日 18:50

それから・・・

**************
文科省によると、教師が生徒を「たたく」行為は、06年度の文科省通知が体罰として挙げた「身体に対する侵害」に該当。通知では、長時間の正座や直立など肉体的苦痛を与える行為も体罰と断じており、「いかなる場合も行ってはならない」としている。
**************
さて・・このガイドライン?・・

「正座」 

「直立」

これは、なにかの罰ですが・・体罰なのでしょうか??

そこらへんの、常識が、どの程度の常識なのか???

最近のドラえもんでは、『のび太が、バケツを持って、立たされるシーン』はないらしいですね。
通達は、アニメでは守られているようです。(未確認情報ですけど・・)

うーん。

【2816036】 投稿者: 地域、時代   (ID:n/a.8MpnH2A)
投稿日時:2013年 01月 11日 18:50

呑気な父さん様

おっしゃる事に、深く同意いたします。

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