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私立中学の価値ーゼロ 

【2444410】
スレッド作成者: 適性 (ID:RfnxxivKKcs)
2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

【2822653】 投稿者: 老眼   (ID:nENrFev.eyc)
投稿日時:2013年 01月 17日 11:47

枕流漱石さん
次世代の姿勢は、いつ何によって決まるのか、について「思う」ことです。
2~3歳にもなると、現世代の姿(行い・言葉)から影響を受けはじめる。
現世代が次世代に何を伝え何を求めるかが次世代の姿勢に影響を与え始めるのも2~3歳以降。


>社会のそのような悪?を一掃しなければ成立しません。


既に出来上がってしまったものを取り壊しても、
同じ根源が残っていれば、また相同なものが生え始めますから、
先々の国を考えるときには、
根源に目を向けなければなければならないと思う次第です。
(便は流さない限り臭い、消臭剤の効果が切れればやっぱり臭い)


現世代が働くため・預けるための園の拡充という発想ではなく、
すべての子供たちのだれもが、
現世代の正しい姿(行い・言葉)を見聞きし学び、
現世代が次世代に、正しさを伝え、正しさを求めることをするために、
園の拡充を図るという発想が必要だと思います。


次世代が皆、正しい姿勢を身につけることができれば、
皆で、正しい社会を形成していくでしょう。
その中にあって、個性や個々の生きがいは尊重され、
落ち着いて、世のため、自身のため、
それぞれが自由に学び、自由に働くことが
できるようになるのではないでしょうか。


一見不可能に見える 悪の一層 も、
次世代、次々世代の叡智によって、
丁寧に進めれば、実現できるはずです。
にっぽん(にほん)の国民性は元々そういうものではないかと。
ここ数百年乱れましたが、修正は可能ですし、
やらねばならない、
と思います。


常に拡散、収束が著しい書き込みをして恐縮ですが、
彼(高校生)の件で思うことも、他の件で思うことも、
詰まるところは一所なものですから、こんなレスになってしまう次第です。

【2822657】 投稿者: 信頼感   (ID:JrdIfwTorzk)
投稿日時:2013年 01月 17日 11:48

>このようなケモノのオス的世界観を良しとして受け継いでいく限り、
今後もこどもたちを無意味に苦しめ続けることになります。

老眼様に同感です。

視点さんのように「体育会の理不尽さで、精神的な強さを得た」と自負し、「俺は精神的にタフなヤツがこの国に必要だと思っているからお前らもヤレ、出来ないヤツは認めない」・・・という父性主義の人は結構います。

以前、イジメの話で述べましたが、養育者からオス的世界観を共有させられた子供達は、当然その価値観をコミュニティに適用します。運動、勉強、友人関係、何でも。
その価値観は、分別のない子、ストレスを抱えている子にとって、恐ろしいまでの武器になりますから。

視点さんがこのスレで理不尽な言葉を投げかけ続けている背景には、ご自分の理不尽な経験があるのでしょう。だから、コイツらには、この程度の理不尽を与えても当然だ(必要だ)・・・ぐらいの感覚なのかな。
視点さん、動機さんの孫が、理不尽な体罰を受けた際、「ありがとう」って云うのかな・・・。

再確認だが、体罰=強制であり、他人が自分を支配することだからそこに自律はない。つまり、他律であるわけでどうやって自主性と共存できるんだか仕組みを教えて欲しい。そして他人に支配された情態でどうやってジョブスのような創造ができるのだろう・・・何度も聞いてるんだが教えて欲しい。
強制によって如何に自主性が育め創造性を獲得するのかの道程を教えてくださいね。くれぐれも特定の個人の業績を根拠にしないでよ。

【2822691】 投稿者: 横っちょ・お邪魔虫   (ID:t7zAehVvML2)
投稿日時:2013年 01月 17日 12:16

老眼様の

 ”ケモノのオス的世界観”

僭越ながら,鋭い語感,だと思います.

現代社会,全世界の諸問題の根源は,ひょっとしてココにありそう?

【2823064】 投稿者: 適性   (ID:ukN7cTkes8w)
投稿日時:2013年 01月 17日 17:37

私は、いままで、「理不尽な体罰」のデメリットの大きさは、話してきましたし・・・
それを、日常的なものとして、教育や部活に使われるのは、反対です。

しかし・・ここで、もう一度考えてみてもいいと思うことがあります。

■体罰のメリットとはなんでしょうか?■

これは、『なぜ、多くの人が、体罰が「必要」と考えるのか?』ということです。

そんなに、効果があるのか?
だれにとって、効果があるのか?

私は、今までも、『地位関係を象徴』『連帯感を世代間に伝達する行為』としての効果について書きましたが・・・・他にも、あるでしょう。

体罰の肉体的衝撃は、非常に、「印象的」ですよね。

人間は、動物なので・・反射的に・・・
熱ければ、手を引っ込めるし・・苦ければ、吐き出すし・・痛ければ、その原因から、逃げようとする。
そこで、その熱い、苦い、痛い、「原因」を、知って・・「もうしないようにしよう。」
と学ぶわけです。
しかし、全部経験するわけにもいかないですし、経験したら死んでしまうこともあって。

例えば、理解できない、子供が、危険なモノに、手を出そうとして場合、そこに、親が、絶対ダメだということで、きつい顔で、「手を」バシッと叩くと、そこに、手を出すと、痛い目をみるので、手を出さなくなります。
にこにこして、だめよ~では、その子を守れないかもしれません。
(当然、そういうものを、子供の近くに置かないということが原則ですけどね)

まあ、「手を」バシッと叩かなくても・・むっちゃ怒ったら、理解する場合がほとんどですけど。
私も、幼稚園で、ぜんぜん悪気なく、マッチに火をつけて遊んでたら、むっちゃ怒られました。
で、とにかく、ダメだということは理解するのですよね。

つまり、
■『強い』精神作用がある(心に残る)方法は、「行為の矯正」に、たしかに「効果的」ではあるのですよね。

きっと、その延長線上に・・・「体罰」の肯定があるわけです。
そして、これは、「その子の為」であるということが前提になってます。(ほんとにそうかは別にして)
理由を納得するかは別にして、「とにかく、ダメ」ということを、理解させることができる。


次に、

「体罰」の肯定したくなる、効果として、やはり『場の支配』があると思うのです。

組織や、集団を、運営する人は、『場の支配』することが必要なので・・・
立場や、権力を持つことが多いですね。

その場の「空気」が「だらけている」・・『緊張感』がない・・と
『緊張感』のある「ぴりっと」した「空気」にしたいと思うわけです・・・
※やる気 や 集中力 に関係していきますしね。

■「体罰」というものは、場の『緊張感』を高めるのに、非常に「効果的」です。

人への暴力は、人間にとって「危険」のサインですから、暴力を受けている人も、見ている人も『緊張感』は、生理的に高まるのは、当然です。
危険な状況で、緊張感が高まらないのは、おかしいですからね。

「体罰」を、どうしても、肯定したい人は、
この『緊張感』を何よりも愛していますし、『緊張感のなさ』を何よりも嫌う・・傾向があるのではないですかね。

相手や集団を、自分の思い通りに、コントロールするには、やはり、『魅力的』ではあるのでしょうね。

この2つだけ考えても、その効果を、「短絡的」に求めるなら・・・使いかってのいい方法なんですよね。

ですから・・とにかく「体罰反対」という声に、「体罰」肯定派は思っているでしょうね。


■じゃあ、他に「効果的」方法があるのか?方法が無いなら、目的の為に、背に腹はかえられないだろ?・・と。(デメリットなんて「ない」という人もいるかもしれませんけど)

たしかに・・

子供の教育でも・・・「行為の矯正」も必要だし、「場の支配」も必要ですよね。コントロールする「必要」はあるのですから。

では、この『魅力的』方法を『完全』に『例外なく』禁止して、他の方法で、現在の教育現場をコントロールすることは可能なのか?

もともと、体罰などしなくても、怒鳴らなくても、普通に、話せば、行為も矯正できるし、場を支配できる環境であれば、もともと、不要なのではないか?

学校に入る前に、しつけが完了していて、先生の言うことはきく、他人をじゃましないのが当たり前だった時代はないのか?

しつけが「まってくなっていない」子供を学校に入れるたのは親の責任ではないのか?

『完全』に『例外なく』禁止して、それを十分わかっている「なめた」生徒に。。
暴力以外で『強い』精神作用がある(こころに残る)方法なんて、あるのか?

学校が、先生が「場の支配」を容易にする、方法?権利?サポート?は、あるのか?

先生に、時間も、武器もなしで、そういうものを、なんとかしろというのは、どうなのか?

ということは・・・・「考えてもいい」のではないでしょうか??

体罰以外の方法で、その「効果」を得られる方法、その能力、は何なのか??

単に、先生は「体罰『絶対』禁止」という『だけ』では、あまり建設的ではないのではないでしょうかね。
先生に、何らかの、生徒をコントロールする、武器?は与えられないのですか?
生徒をコントロールできないのは、先生だけが理由ではありませんしね。

私たちは、先生に、500円渡して「1000円のモノを買ってくれ」と頼んでいないのか?
という、感覚があるのですよね。

【2823088】 投稿者: 適性   (ID:ukN7cTkes8w)
投稿日時:2013年 01月 17日 18:01

■シルバースプーン

ラグビーの平尾さん

>僕たちスポーツ指導者は、選手を兵士に仕立て上げてはならない。

ですよね。

前も書いたかもしれませんが、平尾さんは、講演会で・・・

以下と同じことを語ってました。
**********************
ラグビー発祥の地でもあるイギリスでは、1840年ぐらいには、教師のことをコーチと呼んでいたそうです。コーチという言葉が最初に出てきたのは、16世紀ぐらいで、当初は馬車のことをコーチと呼んでいました。ですから「目的地に届ける」というのがコーチの基本的な概念です。つまり、馬車がコーチであるならば、行き先を決めるのは乗客である選手のはずなんです。選手自らが決めた行き先に、どういう形でいちばん早く安全に届けるのかを考えてやるのが、コーチの役目なんです。(『「日本型」思考法ではもう勝てない』)
********************


■信頼感さん

*******************
当時、ヤマハ、スズキ、ホンダ、カワサキ等のワークスチームがGP500クラスで優勝争い(コンストラクターズで)していましたよね。世界に名だたるメーカーが4つもあるのにモータースポーツへの理解は希薄で、日本人ライダーも世界的に活躍する人はいませんでしたね。
・・・・・
(現在は、活躍する人もいっぱいいますけど。)
*******************
私は、バイク乗りませんが・・見てましたね~。
GP500は、花形でしたね。

日本人は・・
片山 敬済・・ 不思議な人でした
平 忠彦 ・・ 顔がいい。福島出身でしたね。TECH21です。

加藤大治郎 ・・ほんとに、残念でした。

ケニー・ロバーツ   ・・ キング
フレディ・スペンサー ・・ 天才
クリスチャン・サロン ・・ リーンウィズスタイルが好きでした。
などなど思い出しました。

脱線しました、雑談です。

【2823175】 投稿者: シルバースプーン   (ID:VwneICyG7jw)
投稿日時:2013年 01月 17日 19:24

老眼さん

道について、私にはおっしゃるような深い意図はなく、
いいように解釈していただいて恐縮です。
「理」を通してほしいですよね、何事も。


今回の体罰について、「理」が大切だというコメントを
スポーツナビというサイトで見つけました。
紹介されているのは、2006年のインターハイで
スポーツ推薦のない普通の高校を日本一に導いた、広島県立安芸南高校の畑喜美夫先生の言葉。

以下、引用です。
=============================================
「体罰で人は育たない」と断言する畑氏は、
同じ教員、部活動の顧問という立場で大阪での体罰問題について、
「今回は非常に残念であり、『チームを強くするために体罰が必要だった』と言って勝たせても、
最終的に子供たちは社会に出て行くのですから、
そこまでリンクさせていたのかどうかという面で見ると寂しい結果」とコメントする。

一方、高校サッカー界でもいまだ根強く残る「理不尽な体験は必要」という意見についても、
「重要なのは、子供たちがその理由を分かっているかどうか。
例えば、20、30キロという長い距離を走らされたとして、
選手が『これは僕らの長い人生にとって大切なこと。今やっておかないとチームは強くならない』と
感じられるかどうか。
『何のために』が分かっていない場合、理不尽な体験は子供たちの力になりません」と述べる。
=============================================

体罰は、身体で分からせるという行為。理を尽くす労力を怠っているのだと思います。

【2823231】 投稿者: 枕流漱石   (ID:5NEb8g48d5I)
投稿日時:2013年 01月 17日 20:09

老眼さま

種を撒くというお考えなのだろうとは思っていました。

人間が性悪であろうが性善であろうが、教育・修練・導きが必要だと思います。
教育は、家庭・学校・社会が三位一体にならなければ効果は上がりません。
そういった意味で、学校教育ばかりに目を向けるのは片手落ちだと私は考えます。単純計算でも三分の一です。

社会が人間を作るのか、人間が社会を作るのか、私には未だに分かりませんが、
社会を構成する大人がまず変わることが必要ではないでしょうか。

>>しつけが「まってくなっていない」子供を学校に入れるたのは親の責任ではないのか? (適性さま)

とありますが、この傾向が強まっているように思います。また、逆に、しつけと称しての暴力的行為も、虐待として摘発されずに、或いは、摘発されるほどではないが常態化している場合も、もちろん子どもの為という愛情からという場合も多いのでしょうが、まだまだ存在するように思います。

例えば、殺戮?ゲームを絶対に与えないという信念を親が持てるのか?
もっと辿れば、そんなゲームを売らないという信念を社会が持てるのか?

>>『完全』に『例外なく』禁止して、それを十分わかっている「なめた」生徒に。。(適性さま)

老眼さま、本当にこのような子どもはたくさんいるのですよ。その根源は、親が学校や教師をなめていることが原因であることも少なくありません。
実際に、この掲示板でも、本当に子育てしているのかな?と思ってしまう、罵詈雑言も散見されますよね。

真に指導力のある教師を「育てる」のも社会の役目ではありませんか?

【2823247】 投稿者: 視点   (ID:1pHT5OfLTaw)
投稿日時:2013年 01月 17日 20:19

もう一度いうけど、ネットを探しまくって、自分の主張にあう情報だけをピックアップして紹介するのはよくないよ。
それと、自分の考えと違うやり方を否定することもよくない。

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