在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
★遺伝さん
>柳沢教授、まだしっかり連載続いてますよ~。
>さくっと深いエピソードがチラチラと。楽しめます。
あれもまだ続いていたんですね!!
柳沢教授って、結婚する前の私の理想のだんな様像だったのです。
ちなみに主人は全く正反対の人間です(笑)
>生徒諸君!!まだやっていたとは知りませんでした。
>途切れ途切れとはいえ、30年以上続いてるとは。
>期間だけで言えば、両さんなみですね。
そうなんです。
期間だけで言えばそうなんですが、生徒諸君って主人公はまだ20台半ば?
ガラかめと一緒で、主役達がフリーズしているのに、時代考証だけが現代になってしまいました。
携帯もメールもネットも普通に出てくるし、ナッキーやその仲間達は世界中離れ離れでもブログを通して交流してます(笑)
★地域、時代さん
>また、その時のエピソードを、是非是非教えて下さいっ。
それはひみつひみつひみつ、ひみつ~のあっこちゃ~ん♪
冗談ですが、あまりいろいろ突っ込まれると・・・(苦笑)
日本の漫画はすごいですよね。
でも、右閉じで、吹き出しが縦書きってのが、世界で評価されにくい原因なんじゃないかと思います。
昔、リリカって言うまんが雑誌があって(数年で廃刊)、それは世界進出を見込んで、左綴じで横書き文字にしていたのですが、全然定着しなかったんですよね・・・。
なんとなく残念でした。
道徳観についてもう少しだけ述べさせていただきます。
(興味のない方はスルーしてください。)
道徳観は広く一般大衆が共有できる社会的善の価値観であり、時代の流れで変化するものとやや普遍的なものとに分けられると思っています。公立一貫様が問題提起された名前に関する倫理観、道徳観もとても大切なことです。躾けに関する道徳観もまた社会問題になりつつあり深刻なテーマだとも思います。ただ、このようなテーマは、考え方も様々で、明確な理由をもって一本化できる普遍的テーマではないと考えています。
それとは別に明確な理由を述べて正当性、妥当性を論じるテーマを扱った方がより判断力を養える感じています。先に挙げた「薬剤師のモラルジレンマ」のようなテーマもその一例です。
有名なモラルジレンマで「トロッコ問題」があります。(サンデル教授、宮台先生も取り上げています)
http://www.youtube.com/watch?v=UO8zK27YXBI&feature=related
① :最初の質問で1名犠牲にして4名救うと回答した人89%
② :次の質問で太った人を犠牲にして4名救うと回答した人11%
(この調査で文化的による偏りはなかったようです。)
① では、4名を救う副次的理由で1名の犠牲者が発生したと解釈され選択の妥当性が理由づけられます。
② では意図的に1名を犠牲にして4名を救うことになりモラルに反すると理由づけられます。
意図的か副次的かによってモラルの解釈が正反対になります。適性様は「意図的か?」を問題視されます。この部分こそモラルの判断材料として多くの人が注目するところだと調査結果が示しています。
皆さまの仰るように「生きる力」を学校教育で習得することは困難だと思っています。同時にこのスレの皆さまの思考の多様性を拝見すると、「判断力」は必要不可欠なところです。また、欧米の道徳性は、単一視点より多様な視点で捉えることを要求しており、つまりそれが俯瞰的判断力ではなかろうかと感じています。逆にこれまで通り単一視点の道徳観で白黒を論じ合うならば価値観の押し付け合いに終始することになります。(もちろん、偏った思想教育など論外)
PISA平均を上回る知識レベルに到達しても道徳性段階を体系的基軸に従って判断(人権、倫理の多様性)することを求められる現場では、価値ある存在になれないと感じています。
堅苦しい話をしましたが、道徳性レベルが上がらなければ実質的な多様性の排除がこれまで通り続き、多様性の排除こそ「判断しない」ことを特訓しているように私には思えるのです。
■地域、時代
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道徳。。。
人の気持ちを思いやる心でしょうか。
自分を厳しく律するもうひとりの自分。でしょうか。
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これは、今回の震災でも、日本のよきものとして、感じられましたね
■量的さん
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その考え方をしているもう一つの理由は、道徳的な部分だけなら、アメリカは他民族国家なので、それぞれ宗教的な部分は違いますが、アングロサクソンのアメリカ人も、冒険期(*)、建国期あるいはその後の西部開拓の時代、国の資本主義的な発展の歴史的な時代の中で、道徳的な面も、強く持っていると思います。
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アメリカなど、宗教や文化の違うなかでの、普遍的、道徳心の「核」は、あるのでしょうか?
それとも、たまたま?、重なる部分を、共通としているのでしょうか?
ただ、個人ではなく、国になると・・政治的といいますか・・
「呪いの言葉」で、戦争への、大儀を作ることをしますけど。
■信頼感さん
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意図的か副次的かによってモラルの解釈が正反対になります。適性様は「意図的か?」を問題視されます。この部分こそモラルの判断材料として多くの人が注目するところだと調査結果が示しています。
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意図的って・・・太った男を突き落としても・・・「意図的ではない」といいはるというのは、ないハズなんですがね(笑)
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道徳性は、単一視点より多様な視点で捉えることを要求しており、つまりそれが俯瞰的判断力ではなかろうかと感じています。逆にこれまで通り単一視点の道徳観で白黒を論じ合うならば価値観の押し付け合いに終始することになります。
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確かに、道徳観の違いもあるでしょうし・・簡単に、答えがでないこともあるでしょう。
私は、地域、時代さんの・・
最後は、「人の気持ちを思いやる」・・・一度そこに戻ればいい。
とは感じます。他にもあるのでしょうけど。
道徳は、ほんと・・いろいろ考えることありますね。
非道徳的行為を、「注意」することは、確かに、相手の「自由」を制限する行為です。
でも、それは、なぜ「あり」なのか。また、社会的にも、是とされているのか?
それは、マナーもそうですが、人々が、快適に暮らすための知恵でもあるからでしょう。
まあ、人として、こうあることが理想であるという、哲学や宗教の部分もありますが。
「人の気持ちを思いやる」ことを考えると・・もし、自分が被害者でなくても、
非道徳的行為で、今被害を受けている人がいる、または、被害をうける可能性がある・・ということでもあります。
で、その行為を「やめてくれ」と言っているわけです。被害があるから・・被害があると十分予想ができるから。
しかし・・
どんな・・非道徳的行為があっても、自分は関係なく、被害を受けない人もいますし、被害を気にしない人もいます。全員が、同じ被害をうけることはありません。
では・・・
たしかに、あれは非道徳行為(と認識できる)だが、自分には、別に、被害はない。
さらに、非道徳的行為の対象が、自分も、好きではない。なんとも思わない。
さて・・・この人達は、どう思うのか?
自分が、非道徳的行為を、するのは、いやだが、人がするのは、ちょい、うれしい。
まあ、あるでしょう。人間ですからね。
ある意味。被害を受けている対象が・・自分にとっては
「思いやる必要のない」人達という可能性が否定できません。
自分には「人を思いやる心」は絶対に「ある」。しかし・・「そこ」には、ない。
という可能性です。
だって、そういう人は
「私はそうおもわない」「私はきにしない」・・・私は、・・私は・・私は・・・・私は・・
つまり、この件で、「私」以外の『他者』を、まってく、基準にしていないのですよね。
というか、その「他者」の心を斟酌することへの、拒否が感じられます。
「人の気持ちを思いやる」とは、私(自分)ではない、他者のことです。
単純な例として・・
●ゴミだしトラブルがありました。
Aさんが、ある日、ゴミだしの日を「勘違いして」ゴミを出した。
Aさんを前から気に入らないBは、それを見て・・・
Aさん宅の前に「自分(B)ののゴミ」を置くようになる。
それを見ていたCさん・・(CさんもAさんが、気に入らない。)
BさんはCさんに・・
「あのぐらいやらいないと、気づかないんだから」
Cさんの反応は・・
①「そうかもねー、ショックを与えないと。大切なことに気づかない」
それとも
②「それは、さすがにダメでしょ。「10日よ」って言えばいいでしょ」
この「差」は、どこなんでしょうか。
②は、好き嫌いや、自分の感情は、別にして、Aさんの行為は、ダメでしょう。
という、ある意味・・・「普遍性」があるわけです。
自分の、Aさん気に入らないという気持ちを超えて・・「他者」として尊重しようという。
道徳は、基本的には・・『普遍的』に適用されるもの。
自分の好き嫌いなどとは、ほんとは、関係なく道徳は適用しないと、道徳の意味、効果は、ほんとに、半減しますよね。
まあ・・もしBの行為の原因が、「AがBの家の前にAのゴミをすてていた」ことであったなら・・それは・・ある意味「自業自得」と見るかもしれませんけど・・・・Aにも責任がある。
単純に、ゴミだしのルールを守るようにという、なら、それだけ言えばいいのに。
「不必要」なことをする。
でも、それを、理由に、都合よく、自分の非道徳的行為を正当化させていると、思えるわけです。
これは、いったい、「どのレベル」の道徳の話なのでしょうか?
■ポートキーさん
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漫画のお話、混ぜて欲しいです~♪
私も子供の頃から漫画大好き少女でした。
モーニング、今は読んでません。
クッキングパパってまだやってたのですか?
・・・・
でも、あとで他の子から「あの子アンタに気があるんちゃう?」と言われてどん引きしたことまで思い出しました(笑)
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どうぞ~以前から、マンガの話題はちょこちょこありましたよ。
きっと、「その」子は、大人になっても、クッキングパパを見るたびに、ちょっと切ない気持ちになってますよ~。かわいそうに。(笑)
くだらないことが。。気になるのですが・・
クッキングパパって、いえば・・「子供」がいますよね・・・
その子は・・サザエさんみたいに、ずっと同じ年なのかな?ほとんど変わらないのか?
毎年成長させたら・・・いま何歳なんでしょうか?
うーん、どうなってるのだろう。長い連載って、いろいろありますよね。
遺伝さん、教えて・・(笑)
しかし、ポートキーさんも、地域、時代さんも・・描いていたんですね。
中学の時、仲の良かった友人が、絵が上手で、ノートにコマ割り?して、マンガを書いていて・・私は、その横で、キャラクターとか、ストーリ展開とか、話ながらやってました。
「こうしよう、こうして!」とか言ってました。ロボットモノですが・・・(笑)3、4冊書いてたなー。
たしか・・ヒロインの名前が・・・・・白鳥麗子・・・今思うと・・あまりに、あまりに「べた」すぎて・・考えられません。
それから大きい声では言えませんが・・「ちはやふる」は青春ですね。カルタなのにねー。
■遺伝さん
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ベルバラの池田理代子や里中真智子の世代以降、
余裕で文壇の人となれたであろう才能の持ち主で、かつ絵が描ける人は
こぞって漫画界にいっちゃったらしいですよ。流行りだったみたいで。
なので歴史モノやファンダジーの一部には、
どれだけの資料を読み込んだんだろう…、
と思わずにはいられない作品がけっこうあります。
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そうでしょうね。
TVで見たのですが・・『ガラスの仮面』で 作者の 美内すずえが ストーリーの単なる設定である 舞台『紅天女』にどれだけ入れ込んでいたのか、すさまじい、こだわりとしか・・。
とはいえ・・少女マンガは、あまり知らないのですよね。
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先走り派の私は、もうちょっと子供が成長したら、
王家の紋章、ベルサイユのバラ、チェーザレ、バカボンドなどなど
を用意しておこうかななんて思っています。
とりあえず あさきゆめみし でも…と思って数10年ぶりにみてみたら、
うちの子にはまだまだ早すぎました。。。
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そうそう、子供に読ませる、マンガは考えますね。
あさきゆめみし は 古文用?(笑)
子供に推薦のマンガ特集でもしましょうか?(笑)
小学校、中学校、高校とかにわけて・・
でも、その前に、本を読ませないと・・・偏るからなー
★信頼感さん
>堅苦しい話をしましたが、道徳性レベルが上がらなければ実質的な多様性の排除がこれまで通り続き、多様性の排除こそ「判断しない」ことを特訓しているように私には思えるのです。
おっしゃりたいこと、とてもよくわかります。
多分皆さんあちらのスレでのことを話しているのですよね?
私は現在あちらは見てませんから今の書き込みの状況は知りません。
ただ、ずっと私が思っていたのは、道徳性を疑う行為が意図的であるか?ではないんです。
私は前に書いたのですが、ただあの発言を繰り返されると「嫌な気分になる」のです。
嫌になるのは、私がその当事者で自覚があるからだと言われましたが、全く違います。
なんというか、まあ言葉は悪いけど「鬱陶しい」んです。
あの繰り返しは、言葉の意味や発するものの意図する事なんていうものを推し量る以前に、人を不快にさせているんです。
あえて道徳心で語るなら、「他人の気持ちになって考えて相手が不快に感じることはしないように心がける」という基本的な部分ですかね?
小学生の時によく悪ガキが「お前のかあちゃんでーべーそ!」と言うのがあるじゃないですか?
あれって、別に自分の母親は出ベソじゃないし、冷静に考えたら腹立てる必要ないんですけどね、でも何度も何度も言われたら、めっちゃ鬱陶しいじゃないですか?
腹が立つじゃないですか?
でも大人になった今は、あああの子は何か満たされないものがあってまわりにSOSを発していたのかも・・・?なんて思ったりもしますけど、それはまた別次元の話で、だからといって彼の好意は許されるべきものではありませんよね?
不適切な表現を何度も何度も聞かされるのって、それと同じような感覚じゃないでしょうか?
他にも、例えば宗教の勧誘なども同じで、個人的に信心するのはかまわないんだけど、「あなたは不幸だ」とか決め付けて勧誘しないで欲しいって言うか。
耳元で「不幸だ不幸だ」とつぶやき続けられたら、嫌じゃないですか?
だって不幸な事なんてそりゃ世の中いっぱいあるし自分だって幸も不幸もあるわけで・・・。
おっしゃるように、多様性を理解するために道徳レベルが上がらなければいけないというなら、それ以前の問題として、多様性を認めて欲しい側はレベルの低い表現方法は避けるべきです。
ただ、こういう掲示板においては、私の求める道徳性「他人の気持ちになって考えて相手が不快に感じることはしないように心がける」が、どうやら通用しない制御不能状態に陥っていると感じ始めています。
そうなってくると、「離れる」か「耐性をつける」事しか不快感からは逃れられないんですよね。
そうやって自分自身に納得する理由をつけることに道徳を持ち出してくる現在の状況を考えると、なんというか道徳って、本当に救ってくれるのは実は自分自身だけなんじゃないかって、ちょっと悲観的になってきました。
ポートキーさん
>嫌になるのは、私がその当事者で自覚があるからだと言われましたが、全く違います。
そうでしょうね。
反応は、そういうリトマス試験紙であって、だから、適切な批判であるという書きぶり・・は、単なる自己防衛であり、責任逃れです。
他者にとって不快であることを、十分認識して、そう、わざわざ表現する人は、たとえ、他に理由があろうとも・・他者を不快にさせることが、確実に『目的の一つ』ですから・・・
そういうのを、悪意と私は言っているのですけど・・悪意は、自己申告にしたいようです。
別に、100%悪意じゃなくていいんですよ。それが50%でも、3%でも、出てくる表現は一緒なら、関係ないですからね。
他に、美しい理由があろうが、なかろうが、そこは、関係ないのにね。
その人に、その行為の「道徳がどうの」なんて、言ってもしかたがないのです。
そういうレベルじゃないのですよ。
だって、
「悪意はない」といい続ければいい。 無理筋だけど・・
「不快に思う人がいることは知っているが、この表現で不快に思わない人も存在するのだから。この表現は、OKだ。」といい続ければいい。 凄い話だけど・・・
でも、なんていうのでしょうか・・
自分は言わない、不快な思いしている人もいるのはわかるけど、・・・「べつに、いいんじゃない?」って方がね・・・もう、すっきり、そっち側の人になったらいいのにと思ってしまう。
>自分は言わない、不快な思いしている人もいるのはわかるけど、・・・「べつに、いいんじゃない?」って方がね・・・もう、すっきり、そっち側の人になったらいいのにと思ってしまう。
う~ん・・・
私はそこまでは思わないかな?
はっきり言えば、このことを、いじめの見て見ぬ振りの構図と同じだと私は思いませんよ。
不快に思う人は素直に不快に思う気持ちをどうするかと言う点で行動できるけど(離れる、適性さんのように繰り返し言い続ける)、不快に思わない人の行動パターンはまた違うと思うから。
不快な言葉を言わない人は、少なくとも他人を不快にさせない道徳性は保っていると思います。
だけどその先の問題として、不快に思わない人が、それを言っている人の心に寄り添うっていのはありだと思うんです。
不快に思わないんだから、それができると思うし、それは仕方がない。
ただ不快に思っている人の心に寄り添うと言う行動パターンもあると思うけど、どちら側に重きを置くかは人それぞれだと思います。
それにそういう人たちだって、不快な言葉を発する人さえいなければ、そういう内心に向き合うことも無い訳でしょう?
結局、不快な言葉を発する人ありきの話しです。




































