アートの才能を伸ばす女子教育
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
糞親父さん
近代的自我なんて当たり前・・という欧米の国々、強大化する中国を相手に、
日本のリーダー層は対等以上に、立ち回らなきゃいけないわけですよね・・
>>端的に、①はエリート教育、②は非エリート教育・・と分けたらどうか?と思うのですね。 (無常感)
>いつ、誰が、分けるのでしょう。
想像できません。(糞親父さん)
そうですか・・じゃあ、日本は沈むだけなんでしょうね。
教育たって、受験の訓練だけ熱心なんですから。
無常感さん
>端的に、①はエリート教育、②は非エリート教育・・と分けたらどうか?と思うのですね。
同意。小学校を卒業したあたりから能力のあるのを選抜して、徹底的にエリート教育を行うシステムを構築する必要がある。
私学でも良いのだが、この場合何らかの形で国家も関与することが望ましい。
>教育たって、受験の訓練だけ熱心なんですから。
国・私立のお受験トップ校は、この「受験の訓練」すらしていない。
生徒の資質の高さに胡座をかいて、「自由」という大義名分のもと、何もせずに放置しているというのが真相であろう。
仕事柄、K、T、Nといった国・私立のお受験トップ校の卒業生と日常的に接触しているが、一般的に彼らの持っている資質は極めて高い。(もちろん例外はある。)
中・高の6年間という長く、重要な意味を持つ時間を有効に使っていない。
もったいない、というのが実感である。
無常感さん
>明治時代の思想が生かされて、いまに根づいているか?近代的自我が育っているか?
その辺の近代的自我に葛藤したのは、
文学に身を置くような一部のインテリ?だけじゃないでしょうか?
実際は「家族」が歴然とあって、孤独でもないし、
それほど自由に生きられなかったように思います。
だから、藩はなくなったけど「公」が強すぎるから、西洋がうらやましくて、
「確固たる「私」があって、国家は繁栄する」と提唱されたのかなと思います。
>「新型うつ」というのは、遅ればせながらの 近代的自我不適応 ではないかと思います。
庶民レベルまで国家も家族も希薄になって、
ようやく近代的自我と葛藤しているのでしょうか?
従来の型はそういう面もあるかも…と思えますが…。
うーん。何かちょっと違うような気もします。
理想の個人主義は利己主義と紙一重で、
それを抑止する共通の神がいない日本で、
その理想を手にすることができるのでしょうか。
できない結果が新型ならば、ちょっと納得できます。
もう十分、個人主義は達成されたと思います。
孤独で寂しい、ただの利己主義として。
「私」がないんじゃなくて、「公」の意識がないんだと思いますけど。
それはエリートにも非エリートにも必要でしょう。
>ただ・・公立、私立の差もあると思いますよ。
よく言われる9歳から云々も、
しっかりと勉強の面倒を見てくれる私学を選ぶのも、
入学後に塾へ行くのも、親主導が多いんだと思います。
そんなのは公立でも一緒で、9歳から高校受験向けの塾に行っているし、
中学の部活は強制だし、運動部じゃないと許してもらえない家もある。
「自立」という点では、公立私立で差があるようには思えないんですけど。
ただ、私学もいろいろなので、
よくご存じの私学は公立とはかなり違うんでしょうね。
桃李さん
どうも、お久しぶりです。
>国・私立のお受験トップ校は、この「受験の訓練」すらしていない。
でも、自然発生的に受験テクニックが身につくはずがないと思うのですね。
国・私立のお受験トップ校の生徒でも、校外で、
中学受験までの塾の指導、私学在校中の受験産業の利用で、
たっぷり、「受験の訓練」をやるのはないでしょうか?
>その辺の近代的自我に葛藤したのは、
文学に身を置くような一部のインテリ?だけじゃないでしょうか?
そうですね。
たとえば・・「こころ」の「先生」は、高等遊民、無職、親の財産で暮らすインテリなわけですね。
国民一般と、近代的自我の問題はもっとあとのことですね。
>実際は「家族」が歴然とあって、孤独でもないし、
それほど自由に生きられなかったように思います。
だから、藩はなくなったけど「公」が強すぎるから、西洋がうらやましくて、
「確固たる「私」があって、国家は繁栄する」と提唱されたのかなと思います。
多分、「私」そのものが何か・・分からなかったのではないかと思うのですね。
なにせ、私的所有権の概念が無かった時代のことですから・・
>庶民レベルまで国家も家族も希薄になって、
ようやく近代的自我と葛藤しているのでしょうか?
近代的自我と葛藤というか、日本人は近代的自我をあまり真剣に考えてこなかったと思うのですね
・・つい最近まで、会社が家族だったわけですし。
ところが会社は家族ではなくなった・・そこで・・
>「リスクを恐れず、面白いことを早くやれ!」(無常感)
・・これをつきつけられる →でも、自我は育っていない →適応不能 →新型
こんな感じではないでしょうか。
>「私」がないんじゃなくて、「公」の意識がないんだと思いますけど。
それはエリートにも非エリートにも必要でしょう。
どちらが先でも結構ですが、「私」と「公」は、表と裏の関係だと思うのですね。
「私」があるのなら「リスクを恐れず、面白いことを早くやれ!」・・スイスイと解決するのでは?
うまくいかないのは「私」じゃなくて、「我」だからなんでしょう。
エリートも、非エリートも「公」の意識があった方がいいですが、
沈みゆく日本に、まずはエリートの新設、意識改革が急務ではないですかね。
>よく言われる9歳から云々も、
しっかりと勉強の面倒を見てくれる私学を選ぶのも、
入学後に塾へ行くのも、親主導が多いんだと思います。
正確には私立、公立を対比したわけではなくて、9歳から塾通い、学力的に同質の子どもの囲い込む活動
その結果、影響は無いのか・・そこに関心をもっている次第です。
自我は誰にでもあるもの
自我の形成は幼少期から始まっている
・・とわたしは思っております。
無常感さんのお考えとの違いですね。
無常感さんは、
思春期ごろに自我形成が始まると捉えてらっしゃるわけですね。
であれば、無常感さんや桃李さんのご意見も、なるほどそういうことか、と想像ができます。
しかし、であるなら、
>エリート教育(無常感さん)
>小学校を卒業したあたりから能力のあるのを選抜して、徹底的にエリート教育を行うシステムを構築する必要がある。(桃李さん)
ここでの‘エリート’あるいは‘能力あるもの’を、何をもって判断するのでしょう。
桃季さん
>>端的に、①はエリート教育、②は非エリート教育・・と分けたらどうか?と思うのですね。(無常感)
>同意。小学校を卒業したあたりから能力のあるのを選抜して、徹底的にエリート教育を行うシステムを構築する必要がある。
私学でも良いのだが、この場合何らかの形で国家も関与することが望ましい。(桃季さん)
すみません・・肝心なところをレスしてなかったです。
国家の関与・・おっしゃるとおりですね、その方がよろしいかと。
糞親父さん
>無常感さんは、
思春期ごろに自我形成が始まると捉えてらっしゃるわけですね。
であれば、無常感さんや桃李さんのご意見も、なるほどそういうことか、と想像ができます。
まあ、普通は「自我」は「青年期から・・」を指すのではないでしょうか・・
本棚にある 大昔の山川出版社「倫理社会資料集」を確認してみたら、
ルソー「エミール」が言うところの「第2の誕生」・・だいたい12歳~15歳を青年前期と
書いてありますね。
>ここでの‘エリート’あるいは‘能力あるもの’を、何をもって判断するのでしょう。
まあ、普通に考えれば、知力、体力、精神力 ではないですかね。
少なくとも、ペーパーテストじゃダメでしょうね。































