女子美の中高大連携授業
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
はじめに...「沈み行く船」などと言ってすみません。
汽船さま
>どのようなレベルの内容を想定されているのか分からぬが、たとえば中学校の理科や社会の 教科書の内容で真の意味で物足りないと感じるような子供は極めて少数である。経験上
ひとつの中学校の一学年に(300人程度として)ひとりもいないだろう。
そうですか。公立中学の実態がわからないので、適当なことは言えないのですが、私の通っていた中学では、教科書を1学期の間に終わらせていました。あれを1年かけて教わるとしたらちょっと物足りないかと思いました。
私は、大学の頃に塾でバイトしていたのですが、同じ公立中学生に教えるのに、少なくとも3クラスに分けないと上位クラスからは不満が出ます。
あと、子供の小学校ですが、ほとんどの子が不満を感じています。
> 先生の話される内容や教科書を読んだだけで疑問が解決することはないが、そこから疑問の芽を見出し自ら図書館の本で内容を深めるというのがまさに「自主性」であろう。
そうですね。ただ、授業中は、少なくとも拘束されてしまいますよね。
また、今の教育制度が、自主性を重視するものになっていないので、どうしても親も子も受験に合格するという最適解を求めることになってしまうのだと思います。
さくらさま
視点さんの言うことは納得できますし、日本全体のことを考えている人だと思っています。自分の中で、視点さんの言葉を反芻しています。ただ、現実と理想のギャップを埋めるのは、非常に難しいことだと思います。
震災の後、関東地方でさえも、スーパーから食料が足りなくなるということが起こりました。人間、どうしても、まずは自分のことから考えてしまうものであり、私は、それで良いと考えています。
> 学生さんたちの学力は、やはり落ちてきていると思われるのでしょうか? 自主性はいかがでしょう。
私の印象では、学力は、完全に低下していますね。真面目に授業も受け、勉強もしているので、点数的にはそれほど悪くはないのですが、応用力(研究能力)がない気がします。自主性という面での評価は難しいところですが、個人主義的な人は増えていますね。人と話ができない子が、結構います。
> 公立校でいい先生だなあ(教え方含め)の率って どのくらいだったですか?
いい先生がいたとしても...という話をしたので、どのくらいいるのかはわかりません(公立未経験なので)。
> やはり、幅がありすぎですよね。習熟度を持ち込めないのは
つらいところです、上、中、下で習熟度を設けるのが
(名前を変えてでもいいから)
ひとりひとりの勉強のためでもあるんだけれどな。
学力別にクラスを分けるのは、学習という面だけで言えば非常に効果的です。ただ、ぎすぎすしそうですね。
弱点様
> 面白い考え方ですねさんは親として父を思い浮かべ、私は母を思い浮かべる。
単に同性というだけなのか、こういう違いも面白いですね。
母は、健在なので、亡くなった父を思い浮かべるのかもしれません。教育熱心な人で、貧乏であったなか、全てを子供の教育にかけてくれました。
面白い考え方ですねさん
お返事有難うございます。一点だけ。
>また、今の教育制度が、自主性を重視するものになっていないので、どうしても親も子も受験に合格するという最適解を求めることになってしまうのだと思います。
自主性というのはそのような中でも最適解など求めようとしない姿勢のことと
思いますが。それができないのは結局「自主性」がないのと同義であります。
汽船さま
>>また、今の教育制度が、自主性を重視するものになっていないので、どうしても親も子も受験に合格するという最適解を求めることになってしまうのだと思います。
>自主性というのはそのような中でも最適解など求めようとしない姿勢のことと思いますが。それができないのは結局「自主性」がないのと同義であります。
そうですね。言い換えれば、今の日本の社会は自主性がなくても、うまくわたっていけるということですね。どちらかというと、成功を目指すよりも失敗を避ける方が得な世の中になってしまっています(減点法ですね)。下手に自主性を持つと、自爆してしまう恐れがあるのですよね。これが良いとは思いませんが、これが最適解になっているのかと思います。
適正さま
お元気そうで何よりです。
このスレに来たのは、息子の受験の後なので、1ヶ月くらいです。
視点さんと違ってきちんと対応できないので、うまく掛け合えないのが残念です。お二人は、他の方々と違って、お互いに呼応していたのですよね。適正さまの書き込みがなんとなく、生き生きして見えていました。
論点がずれていたらすみません。
問題は、公立とか私立とかではなく、学校教育というだけでもなく、社会全体にわたっていると思います。今から書くことは、全体像なので、個々にはすばらしい人ももちろんいることを予め断っておきます。
私は、学生達の味方なんです。ほんと、自分の研究室の学生は、自分の子供と同じぐらいかわいいんです。そして、うちの子供どもに比べて、とても素直。
ひとつの問題は、大学がゴールだと思っている学生が結構多いことです。いまだ、良い大学に入れば、良い就職ができるという神話は崩れておらず(実際にある程度はそうなので)、受験の過熱が生じることですね。良い大学に入れたいというのは、自分もそうですが親として当然の気持ちですよね。
もうひとつの問題は、小、中、高での受験勉強が、生きた勉強ではないということです。企業人さんの書かれているような生きた勉強こととは真逆のことに力を入れている感じですね。無理と無駄な受験勉強に時間を取られるあまり、大学に入ってから勉強しなくなる。そして、勉強嫌いになる(子が多い)。
「大学教育=人生の楽しみ方を気づかせること」であると自分では思っています。勉強、研究、仕事、そして何より人間関係を楽しむにはどうしたらよいかを気づいて欲しいと思っています。それに気づくだけで、後は、勝手に進んでいきます。我々の学生の頃は、今よりものはないし環境は悪かったけど、学生生活が楽しかったですよね。今の子に聞くと、学生生活が特に楽しいと思ってないみたいなんです。我々の教え方が悪いのかもしれませんけど。
企業も良い人材を求めているという割には、ひどい就職活動をさせています。
我々の頃の就職活動って、すごい楽でしたよね。学生は金がないから、企業の人が大学の近くまで来て食事をおごってくださる(就活生でなくてもついていけばおごってくれましたし)。工場見学に行きたいときには、電車代とホテル代を出してくれる。エントリーシートなんて面倒なものはなく、学校推薦で就職OK。就職活動にほとんど時間はとられないから、大学で研究に専念できる。もちろん、入社後は馬車馬の様に働かされますけど。
今の子は、可哀想ですよ。毎日、就活のこと考えて、携帯電話を離せない。たくさんの企業をまわって、大学院生の大事なときに研究時間をそがれる。面接で落ち、圧迫面接などというものもあり、自己否定された感じを受ける。その上、学生自身の耐力がないので、うつになる。なんていう例が、ごろごろしています。
とにかく若い人が楽しめる世の中にしたいのですよね。
面白い考えですねさん
震災後、スーパーで沢山買いこんでる人をのんびり見ていましたら、
水について注意報みたいなのがでてすごくあわてました。
とりあえずペットボトルの水を買おうと思って探したらない
とにかくめぐってひとつの自動販売機の500ミリリットルのペットボトルを
続けて3本かってもっと買おうとしたら隣にいた子供に止められました。
ふうさんではないけれど、本当の究極になって
隣人のことを考えられるかというと
自分の家族を守ろうとします。
それでも、それでもどの国にいっても
街を歩いても、
poverty が気になります。
本当に、今の若者は大変だと思います。
真面目に勉強して就職するなんて普通のことができなくて
家を持ち家族を持つことが難しくなってきているような
そうかといって社会保障は、充分でもない
いったい税金はどこにいっているのでしょう。
面白い考えですねさんの大学の先生としての立場からの意見
切実だと思います。
某有名女子大でても派遣社員にしかなれない時代になっています。
面白い考えですねさん
公立未経験ということは、
小学校からご自身も子供さんも私学ということなのですね。
私は、おそらく中学は私学であろうからと思い
自分の小学校時代と子供が経験した3つの小学校の経験も加味して
個人的体験で10人に1人くらいだったなあと算出致しました。
公教育は、高校は選抜があるので
先生の教え方や指導がどうなのかというところが
あまり感覚が掴めません。
進学重点校になると都立ではやる気のある先生を公募しているようですが
今年の実績をみると
大学の合格者だけを考えると難しいなと感じます。
全然関係ないのですけど
昨夜、イギリスの公立学校の先生のブログを読んでいましたら
イギリスでは赤ペンを使わないそうです。
赤ペンは心理的にストレスになるようで。。
そういえば確かに青のペンだった記憶があります。
ベネの赤ペン先生もイギリスだと青ペン先生になるのかなあ
なんて思いました。
弱点さま
「弱者」についてのコメントありがとうございました。私も同じように思いました。
投稿する際にHNに迷い、最終的にjyakusyaを使用したのですが、
>視覚での嫌な感じが多少弱まるのね…
そういうことだったのだと気付かされました。
そして自分でローマ字表記をしておいて言うのも何なんですが、
私は日常使用している言葉は、音、表記ともに日常に残していただきたいと思っています。
言葉は生き物だと考えていますので多少の変化をともないながらも・・・
でも今は極端と感じられるローマ字表記も、変化の先にはあるかもしれませんね。
わが子のひとりは自分のルーツとなるものにとても興味があり、愛着があるようです。
ただ、内側に向けた見方をするだけでなく、外側に向けた視点やその先にあるであろう客観的な視点も必要だと思いますので、少しずつ世界を広げながら視野の広い人間になって欲しいと見守っているところです。
>社会を大きく動かしているのは主に恵まれた人たちなんだと思います。
>だから、ここで語りかける必要があったんだろうなと思っています。
>恵まれた親が気づいてくれることを願い、恵まれた子に伝えてもらうために。
つくづく言葉の使いかたは難しいものだと思いますが、おっしゃりたいことは理解できていると思います。
ありがとうございました。
さくらさま
私のぶしつけな書き込みにお答えくださり、ありがとうございました。
さくらさんの「弱者」についての認識はわかりました。
その後のくだりは私には理解できかねるところがありまして申し訳ないのですが、きっと正直に書いてくださったことだと思います。
ありがとうございました。
汽船さん
お返事ありがとうございます。
>すでに「自ら」考えたことであったらその時間は考える(妄想する)のであります。
授業は聞かなくてもよろしいということでしょうか?
学校へ行く意味は何なのでしょうか。
>そのことを(何かで勉強した (習った)のではなく)
>(または勉強したあとでも自分の言葉で)自ら徹底的に考えたことのある生徒はもっと少ないでありましょう。
それは少ないでしょうね。
そこに興味がわくならば、それは研究者に近いのではないでしょうか。
一つの分野に特化されているならば、別コースで伸び伸びと育てられたら楽しみですね。
>「すでに知っていることやすぐに理解できたこと」という言い方は愚生はあまり好みません。
それは申し訳ございません。
>「もう知っている」というときはたいてい「知っている」だけであります。
頭でわかっているつもりになっているだけというのと一緒でしょうか?
それはおっしゃるとおりですね。
前回おっしゃった「実はそういう子は勉強に向いていないのかもしれない」は、
そうなのだろうなと思います。
真に学ぶことが好きな子は、本当は少ない。
というより、いつの間にか芽を摘んでいるのかもしれません。
今の親もみんな広く浅い知識を得る教育を受けてきたと思います。
興味のない科目の多くを忘れ去っていることを考えると(私だけ?)、
もう少し実のある教育が行われるようになるといいのに…とは思いますが、
そうはなっていない現状の中で、
親として自分の枠からも周囲からもはみ出す教育はなかなか子どもにできません。
不安だから、安心したい。
安心できれば、子どもは幸せなはずと思っているところがあります。
そこが違っていることはわかっているのですが、納得するのが大変なのです。
「わかっている」というときは、たいてい「わかっている」だけなのでしょうね。
またいろいろ教えてください。




































