女子美の中高大連携授業
「凋落した名門校」と「躍進した無名校」
栄枯盛衰とはよく言ったものですね。
子供の受験で再び中学校や高校の評判を耳にする機会が多くなりました。
渋幕、渋渋、栄東、開智、広尾学園なんて自分の学生時代には、存在しなかったり、別な名前の学校だったりで、志望校の対象として声を聴くこともありませんでしたし、話題にのぼることもありませんでした。(卒業生・在校生の方ごめんなさい)
かつては、東大や一流大学に多くの合格者を誇っていた、武蔵、桐朋、桐蔭学園などと言った名門校が、凋落したとか言われ、精彩を欠いていることに、その隆盛を誇った時代を知る者にとっては一抹の寂しさを感じます。
もちろん、進学実績のみので、学校の良し悪しが決まるわけではありませんが、子供に自分の受験時代の頃の感覚で、受験を勧める学校があっても、嫌がられたり、子供が口にする学校に、親である自分がついていけなかったり、納得できなかったり、世代の差を感じています。
躍進した学校は、経営努力があり、時代の波にも上手く乗ることができ、今日を築いたのでしょうから、先生方のご努力には頭が下がります。
エデュをご覧の親御さん達は、そのようなことをお感じになられた方はいらっしゃいませんか。
補足するといまの水準で激戦区であることは否定しない。十分魅力ある学校だと思う。だけど、80-90年代に東大10傑に入っていた時代との比較で「今を落ちぶれた」と表現するのは違うよねという主張。私も「凋落」という言葉を使う人には軽蔑しています。
中学受験の歴史と学校の盛衰は50年スパンで見たほうが良い。
たとえば90年代までの中学受験は、専業主婦の母親が手取り足取り勉強を見ることが前提。日曜のテストの裏には母親向けに次週の内容の勉強会もあった(だから、ある塾のテキストが「予習シリーズ」って名前。要は日曜テストのための予習教材。)。ところが、女性の社会進出が進んで共働きが増えると(あるいは経済停滞で共働きが当然になると)、日曜のテストを軸にした事業モデルが流行らなくなる。デフォルメして話すと、そこで伸びてきた塾は、当初は塾ですべて担うことを前提にカリキュラムが設計されており、現在、難関校で最大シェアをとる。
中学受験で保護者の関与が従来ほど必要ない塾が伸びてくると、大学受験も塾におまかせで違和感がなくなってくる。従来型の塾もも平日の教室を拡大するのは90-00年代だけど、代々木の塾もこの時期に本社ビルに移動。いまのように代々木一帯に教室を展開するのは00年代後半になってから。
通塾が盛んになると必然的に学校を軽視する風潮が強まる。代々木の塾も、学生バイトあたりは、自分のクラスの生徒を囲い込むために「学校はダメ」的な話し方をする。講師も学校の授業を軽視して塾通いに勤しんだものだから再生産が続く。
学校が大学受験を研究しなきゃダメって声が聞こえるけど、それは保護者も生徒も塾の土俵にのることが当然になり、効率的に受験成功を志向するようになった風潮による声に過ぎないんよ。最短距離ではないにしろ、本来は学校の内容で受験には対応できるけど、当たり前な話、勉強だけのために通う塾に比べたら学校での学習の効率が悪いので、最短距離を志向する人から学校を貶める人が出てくる。 その証拠が、麻布や武蔵に「(塾みたく)大学受験を研究しろ」という人。麻布や武蔵がそれやったら従来のファンも逃すわけで、、消費者とは勝手なものよ。
西武有楽町線を経由して東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線及び副都心線、さらに副都心線を経由して東急電鉄東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転を行っているから、乗り入れ路線利用次第で終点も変わるけど。
西武新宿線と間違えてるんでしょ。
駒場東大前の井の頭線使うのは筑駒
渋谷で井の頭線乗り換え7分徒歩で大変だから
JRから徒歩5分の東急線池尻大橋の方が駒東は近いが
どっちでも急坂上がり続けないと行けない
特に池尻大橋からは自転車で登れない角度の急坂毎日上る




































