女子美の中高大連携授業
私立か公立か一概には言えないけれど
こういうの読むと温室で育った子供たちがこれで良かったのか不安にもなりますが、皆様はどのようにお考えになりますか?
『プレジデントファミリー』に面白い記事がありました。
「就活コンサルタントが断言 優秀な人事マンは採用時、出身高校名を必ずチェックします」という記事です。
日本の就職活動においては出身大学がかなり重要であることは、今更言うまでもないでしょうが、出身高校までもチェックするというのは意外に思えるかもしれません。
しかし私も人事担当から「大学名はもちろん出身小学校、中学校、高校も全てチェックする。」と聞きましたから、出身高校も見られると思ったほうが良いでしょう。
その記事によると、
1 大学附属校出身者は打たれ弱い印象がありマイナス評価
2 ただし慶應幼稚舎出身などの小学校上がりは人脈が期待できてプラス評価
3 国私高校出身者は視野が狭く打たれ弱い印象がありマイナス評価
4 名門都立高校・名門公立高校出身者が最も欲しく大きなプラス評価
だそうです。何人かの意見で共通していたのは「国私立高校出身者よりも、多様な人間と接してきた公立・都立高校出身者が欲しい」という見解です。
ただもちろん、公立・都立高校出身者なら誰でも良いと言ってるわけではありません。彼らが言う公立・都立高校とは、公立・都立の「トップ校」であることを強調しておきます。
特に、中学受験が盛んな東京で、高校受験から都立トップ校というルートを歩んだ大学生は、人事からすると「視野が広そう」「多様な者に揉まれて育ってきた」「勉強も部活も行事もバランスよく育ってきた」という印象を強く持つといいます。
もちろん、そこには偏見的なイメージが存在するのも事実でしょう。都立トップ校出身者の全員が上記に当てはまるというのは言い過ぎです。しかし大切なことは、都立トップ校出身というだけで、これだけ周りから
別の記事も紹介しましょう。週刊現代の「年間5万人 就職できない有名大学 「第3の入学組」の悲劇 AO入試合格組
大手企業人事担当者も要マーク」という記事。
この記事の内容を要約すると、早慶やMARCHなどの難関私大の附属校出身者やAO入試出身者は、たとえ有名大学出身であっても就職活動に不利になる、また力を発揮できない大学生が多いといいます。
そして、企業が最も求めている人材は、やはり「公立中学校~名門公立・都立高校~一流大学」という学歴だといいます。
理由はというと、「公立中高の出身者はタフな子が多い」からだそうです。
中学受験塾に子供を通わせるより、現代においては「幅広い経験」をさせる事の方が手間暇、お金もかかる。
安全面で野山に子供達だけで行ける時代ではないし、子供が虫を飼いたがったとしてそれを許容できない親もいる( 私立公立関係なく。)
また博物館に行くのもキャンプに行くのも本を買うのも留学もお金がかかる。 無料のものでも意識的にアンテナを張り巡らせてないと情報をキャッチできない。
親がどの程度関心があるか、広義の意味での教育費にお金を払う気がどのくらいあるのかは本当に各家庭次第。
受験という目に見える答えが出ない分よりシビアかもしれない。
公立だから人間力があるわけでものびのびと育つわけでもない。
毎日同じ所に行き同じメンバーと顔を合わせて磨かれる逞しさや社交性に価値がないとは言わないが(少数と密な関係)、それだけでは足りない。決まったメンバー数十人と関わっただけで多様性をウリにするのは説得力に欠ける。
学校なんて閉鎖的な空間の代表だと思うが、公立・私立どちらを強く勧める人も学校を過信しすぎだと思う。
新しい大学入試制度になったらより差が出てくる気がしてならない。
そうしたら子供をキャンプに行かせることも図鑑を一冊買ってやることも、ドーピングやフライングと呼ばれ引きずり落としの対象になるのか?
「みんな同じ、平等」という考え方は子供の教育にとってはひどく害のあるものだと感じる。
江戸期以前は文字を読めない人が多い中、貴族は中国の学問を勉強し
和歌を詠んでいた。
江戸時代、庶民は寺子屋で学んでいたが、志の高いものは私塾で勉強した。
武士は勿論小さい時から勉学に励んでいたでしょう。
明治になって外国の進んだ学問を一生懸命勉強しようという機運が起こった、
ただ残念なことに一般庶民より裕福な人達が先に動いたのは想像に難くない。
昭和になってなっても、食べるのに精一杯の人達が多いの中、お手伝いさんを何人も
抱えている裕福な人たちがいて、その人たちはこれから学問を究めることが
大事と考えたでしょう。そして優秀な学校があれば子弟をそこで学ばせようと
すると思います、自然な流れでしょう。
戦後、教育機会の均等をうたった教育が始まりましたが、はたしてその教育制度が
優れているのかどうもぴんと来ません。
社会主義的な中国でも、学問熱は高いですよ。一般庶民はなかなか一流大学には
行けません、特権階級がいますから。科挙の歴史を持つ中国は学問的競争は昔から
高いですね。試験によって大学が決められてしまう国もあります。
価値観は色々さま
信念があり行動派なところは、孟母とだぶりますね。孟母断機の教えもありますが
実践してらっしゃるような気もします。
公平な社会ってありえないと思います。いつの時代も格差が大きいですよ。
特に現代、未来はさらに格差が拡大するはずです。持つものと持たざるものの差が大きくなります。
そこで思うのですが、やはり貧しい家庭、経済的にほとんど余裕のない家庭に生まれた子供は中々厳しいと思います。
その中で優秀な才能(特に学習面)に恵まれていればいいですが、大半は良くて平凡な知能です。
う〜ん そう考えてみると、経済的ゆとりの無い男女は子供を持たない方が生まれてくるであろう子供のためでもあるのかなとすら思います。
(悲しいですが、これが現実かもしれない)
お金さえあればなんでもできるわけでもなし、幸せを買えるわけでもないけれど、やっぱりお金があると心にゆとりが生まれますし、やりたいことがほとんどなんでもできるのですよね。
貧しい家庭できつきつの経済状況で母親がいつもやりくりに必死でイライラしている家庭に育つのと、かなりの経済的余裕があって、好きなお稽古事を続けながら、
中学あたりから私学で学び、大学受験も多少の塾代をかけられるのでは随分と子供の精神衛生面でも差がでますよね。
今後日本は貧富の差が拡大し、本当にどんな家庭に生まれたかで一生が決まってしまうような世の中になるのですね。
これではインドのカースト制度と同じようなものですね。
政府も少子化解消よりも、貧困状態にある子供をなんとか救い出す方が先かと思います。
いえることは、私は、広く経済的に恵まれていない子ども達のことも考えているが、
お受験私学関係者は、自分の子どもの利益とその正当化のことしか考えていない。
そこが意見の違いだよ。
もちろん、ピケティは前者の視点。




































