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【3980335】塾歴社会 を読んで

投稿者: 保護者   (ID:QxW6D3Gra/s) 投稿日時:2016年 02月 01日 12:55

出来る子供がサピに集まり、そのなかでも更に優秀な子供たちが、鉄会で切磋琢磨する。この流れが東大や国医の王道という内容です。合格者の過半数がこのパターンだという説明です。でも、余裕ない子供は、このパターンは耐えられないという結論でした。立ち読みでしたが。
首都圏の早慶付属高校も早稲田アカデミーが合格者の大半を占めていたりします。
こういう事例って、他にもあるのでしょうか?
社会全体が固定化しているのでしょうか。

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  1. 【3984137】 投稿者: びとげんしゅたいん  (ID:WViFaR2dtRA) 投稿日時:2016年 02月 04日 07:49

    アクティブラーニングやりなさい!と文科省から強制されて
    しぶしぶパッシブにアクティブラーニング(の体裁を整えた学習)をする、
    というアイロニー。

  2. 【3984170】 投稿者: 塾の時間も長いけど、  (ID:CU0z0NwfvlM) 投稿日時:2016年 02月 04日 08:22

    子供にとって小学校の時間のほうがずっと長くないですか?
    家庭教育の時間よりずっと長い。
    その長い時間をどうすごすかで 品格うんぬんも随分と変わる気がします。
    いい家庭のおこさんたちは公立小ではすごしません。
    格差社会が広がれば私立小学校が繁栄する世の中になるのかしら?

  3. 【3984199】 投稿者: 教養・・・  (ID:uQDQWi9Mjs.) 投稿日時:2016年 02月 04日 08:43

    >これだけ多くの生徒が塾で時間を過ごすなら、塾に教養的な授業(総合学習)を強制して受験テクニックだけの弊害を軽減する手はあるかもしれない。
      
    無理無理。教養的な授業こそ、下地がないところでは付け焼き刃になるだけで却って害になる。初めからそういう下地のある塾の中の一部の講師だけでしょ。学校なら教養主義を貫いてきている学校がいくつかあるけど。
     
    詰込みで東大へ何とか押し込んでいる場合は教師も生徒も生徒の親もあまり気がついていないんじゃないか?東大にはいってみて、あるいは社会にでてみて何かが足りない。足りないと気が付くも何が足りないかが分からなかったり。
    とにかくゴール(東大)が同じであれば、すべて同じと思ったり。
      
    そもそも東大自体が昔から教養主義なんだよね。
    時間の無駄と思われていることにこそ教養が潜んでいる。
    無駄を排除したような受験勉強で合格したら、そのあとが大変そうだ。

  4. 【3984209】 投稿者: 学費  (ID:xEAhAD.BMhM) 投稿日時:2016年 02月 04日 08:46

    私立の小学校は助成金が少ないせいか学費がバカっ高い。
    一般人に広がるのは難しいかもしれないですね。
    小中高一貫の公立校ができればいいんでしょうね。
    でも富裕層は公立を嫌うから、やっぱり附属系の学校かなあ。

    附属以外で、どこかいい小学校って、思いつきますか?

  5. 【3984245】 投稿者: 教養・・・  (ID:uQDQWi9Mjs.) 投稿日時:2016年 02月 04日 09:11

    付け加えて言うならば、ゆとり教育時代の公立小学校の先生の中には非常に工夫して児童自ら考える良い授業をやっていらした先生も少なからずいた。
    ただ、問題は先生によりバラつきがあり過ぎること(本当に工夫の素晴らしい先生がいらっしゃるが人数的には大多数というわけではないので)と、親に理解が薄い人も多く、ゆとり(言葉が悪かった?)が悪者になってしまったこと。
     
    結局、親自身に教養がなかったり心にゆとりがなかったりすれば、”何のためにこんなことしなきゃならないの?無駄でしょ!早く勉強を先に先に進めて!”ということになるだけなので。

  6. 【3984257】 投稿者: 同感  (ID:O/ApgFiQYnQ) 投稿日時:2016年 02月 04日 09:24

    >>これだけ多くの生徒が塾で時間を過ごすなら、塾に教養的な授業(総合学習)を強制して受験テクニックだけの弊害を軽減する手はあるかもしれない。
      
    >無理無理。教養的な授業こそ、下地がないところでは付け焼き刃になるだけで却って害になる。初めからそういう下地のある塾の中の一部の講師だけでしょ。学校なら教養主義を貫いてきている学校がいくつかあるけど。

    同感です。
    塾で、教養めいたものを短時間・効率的に詰め込んだところで、それは教養として身体的に身につかない。
    自分が知的だと勘違いした、文化資本を勘違いした人間を生むことになるから害があると思う。
    真の知性・教養というのは、自分が何ができなくて何を知らないか、を知っていることだと思う。

    塾はそんなことしないで、意識の高いご家庭は、教養主義を貫いてきている私学を選ぶべき。
    そういう学校に、最近は文化資本のない保護者が流入してきて、やれ東大だ医学部だと喚くからタチが悪いのですが。
    教養主義の伝統をもった私学には、真の意味での文化資本をもった家庭の子息だけが集まって、高等教育を受けるに足るフィロソフィーを身につけて育っていって頂きたい。

    文化資本をもたない家庭は、進学実績だけでのし上がってきた新興校を選べばよいと思います。

  7. 【3984265】 投稿者: しかし  (ID:SfPKlwAYWFM) 投稿日時:2016年 02月 04日 09:33

    >そもそも東大自体が昔から教養主義なんだよね。
    >時間の無駄と思われていることにこそ教養が潜んでいる。
    >無駄を排除したような受験勉強で合格したら、そのあとが大変そうだ。

    無駄を排除しない授業や受験勉強で不合格よりは、無駄を排除した受験勉強で合格したほうがよいと考えるのが大勢では?

  8. 【3984277】 投稿者: バラード  (ID:hR7GFCAUQ3c) 投稿日時:2016年 02月 04日 09:42

    東京都でエリート教育する都立の小中高一貫設立(立川国際をベース)は、今後の公立、国立の初等中等教育にも影響大と思ってます。

    何もお金を出さなくても、学力上位層のレベルを伸ばせる学校という観点だけで言えば、今国立の東大や一部の難関大学と少数の国公立の中、高だったものが少しは広がっていくのではという期待です。

    公立一貫校は少しずつ立ち上がってきてますが倍率が高く、今現在では、もう少し、首都圏だけ見ても倍くらいの定員にしていってもいいのではと思ってますが。

    ようは、偏差値だとか進学実績だけで、上から順に私立に行くという風潮でなく国公私含めて、学力見合いの校風に即した学校選んで学びの場の提供へと。

    公立高校はかつて工、商といった大学進学せずに専門学ぶという学校が多くありましたが、高学歴化によって、姿を変えて科学に、スポーツに、福祉に、芸術にとか専門的コースが出てきています。認知度高まればとは思いますが。
    これとて難関大学進学へというケースとは違う、受験科目はおいといて専門の科目を多く出来るということで終わっている感じがしてます。

    そもそも、日本人というか、日本社会の大きな特徴に、横並びでなおかつタテつながりの力関係による、チームの一体感、、(今まではこれでよかったし、これからも残していかなければとは思いますが)?という公務、企業、教育社会があるのではと思っています。 
    ただ、この先これだけでいいのか?
    閉鎖的、鎖国的排他的な局面をどう解消していくのか?

    大分昔から、個性重視、個人の発想、個人尊重、男女平等、などなど言われてきてますが、実体として現実としては、まだまだ灘父兄様が書かれているようなフランスの教育システムとはほど遠い感があります。

    中高入試でも「こんな数になるような問題を作りなさい」長文途中まで示して「この先の話の続きを書きなさい」面白い順に採点、くらいまで出題出来るようになるといいですが。
    この先、グローバルに国内外もっと混合された企業社会や教育社会になる前提でいろんな試行錯誤ははじまっていますが、どのように日本は教育体系、システムをどの順に変えていくのがよいのか、、、模索の段階ですね。

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