充実した教育環境の日大付属高校
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
附属学校をなんとか存続させたいという気持ちが伝わってきます。
抽選は1つの例えであって、多様な子供を受け入れたら批判もなくなるということが言いたいのではないでしょうか?
ただ、国立大学が予算を減らされて財政難で人事も凍結させている状況であるなら、附属を手放す事で財政を立て直すことが出来るのに、とも思うのです。
有識者会議の委員の方が、小さい規模であっても幼少中と附属学校を抱えているところは4億5千〜5億ほどかかる、と仰っていたので。
それでも、附属学校は国立大学にとって欠かせないものなのでしょうか?
>それでも、附属学校は国立大学にとって欠かせないものなのでしょうか?
大切なのは国民にとって必要かどうか、ということ。
今の日本にはエリート教育必要なのに、それに反するような提言するからいろんな人から批判されてるんだよ。
>それでも、附属学校は国立大学にとって欠かせないものなのでしょうか?
> 大切なのは国民にとって必要かどうか、ということ。
今の日本にはエリート教育必要なのに、それに反するような提言するからいろんな人から批判されてるんだよ。
国民にとって必要なのかどうかは君が決める話じゃないんだよ。
国民にとって必要かどうかは国民の代表たる国会で決めるもの。国会で決めた法制度に基づいて、国立の学校ができている。
そして、現状、エリート教育を目的とする国立筑駒中高が設置されているわけではなく、筑波大学の教育研究を目的とする附属駒場中高が設置されているんだよ。
だから、設置目的(筑波大学の教育研究に役に立っているかどうか)に従って議論されざるを得ない。
個人的には、国立のエリート校を作ることは良いことだと思うが、それをやるなら、そういう制度を正面から作る必要があるんだよ。その際、附属小学校は必要なのか不要なのか、男子校で良いのか女子にも門戸を開くべきなのか、といった議論が必要となってくる。
現状の筑駒は、そういう議論を経ていないから問題となっているんだよ。
>それでも、附属学校は国立大学にとって欠かせないものなのでしょうか?
もうずっと議論が堂々巡りしている印象ですが。
教育実習の受け入れ一つとっても、附属学校なしでしっかりした教員養成を行うことは難しいと思います。
例えれば運転免許を取るのに実技教習を一度もやらずに、指導慣れしたベテラン教官なしで路上に出る、あるいは路上教習を一度もやらずに免許を取るようなものです。
そんなドライバーばかりが走っている公道を皆さん安心して走れますか。
今子どもの通っている国立附属学校では、ちょうど教育実習生受け入れ期間。
一度に200名ほど実習生を受け入れているそうです。
受け入れ期間の担当教諭の指導は、在校する生徒向けと、実習生向けのダブルになります。毎回の授業計画や授業の進行のチェック、間違ったことを言ったり、教え方が悪ければその場で、子どもたちの面前でもダメ出し。
毎回の終了後の改善点の指導。総括。
実習期間が終わると、下手な実習生が指導した授業内容の補足やフォローを在校生向けに急ピッチで展開。
これが年に数回。
母体の大学からも、異なる課程、学年の学生を受け入れ、当該校の卒業生の実習も受け入れる。
教育学部の学生といってもその子によって能力や適性に大きなバラつきがありますから、一人ひとり課題もバラバラ。デコボコなままに指導するしかない。
附属学校の子どもは実習生慣れしていて、生意気に「あの子(学生)は教師に向いてる、あの子は緊張しすぎだったけど今週は良くなった。あの子はこういうところを改善しないと」なんて批評している。ただの保護者として傍目から見ているだけですが、こりゃ大変だな、と現場の苦労が伝わってきます。
とても一般の公立校のできることではありません。
それを公立校に拡散しろというなら、それぞれに指導専門の主任をおかないと、とても実習の質が担保できないでしょう。
とりあえず教育実習だけの話ですが。
他の教育研究や現職の教員の研修、視察その他はまた別です。
そういう現実的な話を(もしかして有識者会議の方も)みなさん軽視しすぎなのでは?と思うのですよね。
有識者会議は、そもそも教員養成にあたる国立大学そのものの縮小の危機を前提にして議論していますからね。
人を育てるには手間もお金もかかって当然と思うのですが、なんだか現場の人間性を無視してどんどん教育にお金も手間もかけない方向でばかり話が進むようで、とても違和感を感じます。
エリート教育に反対するつもりもないし、むしろ最優秀層とちゃらんぽらんな底辺層と横並びの教育制度より国として最優秀層に厚く国費を投入して徹底的に優秀層を鍛え上げるのは国の将来のために良いことだと思う。
でも、国策としてエリート教育が必要ならエリート教育を行う私学を指定してそのための掛かり増し経費を補助金・交付金として手厚くしてもその目的は十分達成できると思う。
単に最優秀層を集めるだけ、あるいは自発的に最優秀層が国立大付属に集まってくるだけなら、たとえば東京なら最難関の筑駒を廃止したって最優秀層は私立御三家に自然にシフトするだけの話。
国が直轄でエリートを育成しなければならない、つまり国立付属がエリート教育しなけらばならない、私学でエリート教育は無理、通学区域を限定しないとエリート候補生が集められない、学校によっては性別限定しているのでその場合は異性を排除しないとエリート育成できない・・・等々について合理性のある説明ができない限り、ほとんど国民の税金で賄われる国立大付属でエリート教育することに対しては国民理解は得られない。
そもそも国立も独法化されて学校の自由度が大きくなっているから、国策教育は国立でしか成し得ないという理屈も無理がある。
先月文科省から発表された有識者会議報告書概要(2017.8.29)だって。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/077/gaiyou/__icsFiles/afieldfile/2017/08/31/1395076_001.
★最後にp d fを間を開けずに続けて入れてください。
































