在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
生き残る中高一貫私立はどこか?
桐朋が今年東大現役一人だそうだ。駒東も東大が減少して大騒ぎしている。
少子化と公立の復活で今後中堅私立中高一貫校はますます大変になるだろう。
環境を買うのが私立受験の大きな理由と言っていたがやはり第一は進学実績(男子の場合)だっということが明らかになった。伝統だけでは駄目だと言うことだ。進学実績が下がれば凋落校と認定されてしまう。
今後、桐朋に続いて凋落する私立学校はどんどん増える。逆に内申がどうだ、教師の質がどうだ、公務員に子供を任せられないなどと言っていた私立親も日比谷や小石川、横浜翠嵐の実績を見れば考えを改めるかもしれない。
悠然と構えていられるのは昔からの名門校、麻布、武蔵、学習院、暁星、成城、成蹊などで高校入試をやっている開成は今後劇的に(日比谷に流れるので)東大合格者を減らすかも知れない。学芸大附属に続いて開成凋落も視野に入ってきた。あと5年もすれば東大100人を切るのではないか?
自己レスだが、第一希望に失敗したとき、たとえば、「実はうちはもとから共学希望でしたからグローバル推奨の渋谷系に進学するのです。開成(麻布、桜蔭)には合格しても行く気はありませんでした」とか言い訳するのが一番カッコ悪い。
素直に、「うちの子は武運つたなく受験に失敗しました。でも若いうちの苦労は買ってでもせよ、のことわざを地で行くのです。何か文句でもありますか?」と開き直るのがカッコイイ。
いやはやと東大女子のコンビは、プロレスのタッグマッチに出ている覆面レスラーを見ているようですね。同じ覆面を被っているので、観客には区別が付かない。
いやはやが延々と繰り返しているのは、以下の様な主張です。 自分の思い込みを人に認めさせたいという、極めて利己的な動機に基づく物ばかりなので、どんなに正義漢ぶって取り繕ってみても、隠しようはありません。
”別学は、学校生活がつまらない事を認めろ”
”別学は、偏差値・進学実績以外にさしたる魅力はない事を認めろ”
”別学高偏差値校を選んだ親は、偏差値至上主義者である事を認めろ”
”その自覚が有れば、別学を選ぶ事を認めてやってもいい”
”持ち偏差値より10以上下でも別学を選んだら、真の別学志向と認めてやってもいい”
”偏差値で選んだくせに校風で選んだという方便を、私は許さない”
>定義もなしに何がいえる?といった感じだが。藁
東大女子さんとか手袋さんの言う定義で良いんじゃない?
家庭環境が様々、とか。
強いのは、東大合格者数が片手で余るくらいの地方公立かな。
ハンデ超えてくるだけあって強い。
でも、首都圏進学校にも切れ者は多い。
で、繰り返すけど、中学受験家庭にとって重要なことは、そんな一般論じゃない。
我が子にとって何が有利か、が重要。
>「親が子供の教育に関心のないような社会階層の方ともご一緒出来る」
安い芝居のようで笑った。
掲示板の相手には時に「何言っちゃってんの?」とガラが悪くなるのに、そこに尊敬語を使うのか~
普通ならこんな味方がいても話がおかしくなるだけだから迷惑だろうに、てぶくろはそうでもないんだね。(意味深)
>って、メリットなのか?それが嫌だから中学受験するって家庭が多いと思うんだけど。
小学校受験ならもっとそういう傾向は強くなりますね。小~高一貫の学校志望なら公立がイヤというか、端から公立へ行くことが頭にない。
私立出身者に公立出身の良い友人がいることはよくあるし、「自分たちは世間知らずだ」とも言うけれど、だからと言って私立はダメだと言って公教育を褒め称えるかというとそれは…。
拭いきれない疑念をひとつ感じさせてしまうと、今までてぶくろが語ってきた出身校その他も本当なのか怪しく見えてきてしまう。
東大女子さんは、公立の悪い面書いてないんじゃないかな?
主張は、雑多な人に囲まれれば子供が逞しく育つということに集約されていると思うけれど、それは飛躍しすぎだよ。
私は先に多様性には少なくとも2つの定義があるのではないかと書いたけれど、組織として、その成員に様々なバックボーンがあるということと、そのことが個々の内面に対して如何なる影響を与えるかに関しての定見等、この世に無いと思うな。少なくとも一例や二例から断定できる性質のことではない。
特殊な論を述べる場合、ある程度定量的に考えていかないと優劣なんか論じられっこ無いからね。そこには、相関なんか全くなくて、単に、個人の資質なんじゃないの?というのが私の見解。だから、周囲を見渡し、少なくとも、そこに正の相関が見られる程度に、選択肢を狭めていくのだと思うよ。つまり、一定度の学力でスクリーニングされた環境に身を置くということになるね。
成員に様々なバックボーンがあれば、直ちに、個人個人の内面に対してポジティブなフィードバックがある等というのは幻想だろう。もし、それを企図するのであれば、それなりの環境(ないし制度)のデザインが可能な筈だけど、それは少なくとも公教育の場で議論されたことは知る限り無い。
公立中は義務教育の延長として、指導要綱に基づいた平均的な教育を行い、高校では学力で選別しているだけだよね。結局進路が進むにつれ、スクリーニングされて行く訳。それが中三時なのか小六時なのかの差でしかないとも言える。で、現状、中高が分かれているのは、大学受験期からの逆算では、明らかに非効率だから、通える範囲に一貫校があり、経済的に[削除しました]ーダブルで、学力がそれに見あえば、挑戦してみればいいんじゃないの?ってだけだと思うよ。
外面的な多様性等という、個々人にどの程度コミットしうるか定見の無い問題から、学校選びをするというのはちょっと考えられないな。さらには、エリートの社会勉強として、わざわざ公立に身を置いて、恵まれない立場の方と交流するのは社会勉強になるなどという言は論外だよ。水戸黄門じゃないんだからさ。
我が子には幸せになって欲しいなと思います。
よいお友達に恵まれて、よい先生方に恵まれて、自分が正しいと信じる道をただひたすらに前向きに生きて行けるように、そう願います。
私立のほうが公立よりは上とは思わないけれど、学校教育ぐらいは清々しいほど綺麗事な教育が施されているところであって欲しいなと思います。
道徳とか向上心とか心の教育とか正義とか愛とかそういうことがお伽噺(お花畑)のように溢れている環境に子どもを入れたかったです。
中学受験の難関校の国語の問題に出て来るのは例えば、重松さんのようなあさのさんのような上橋さんのような方々が書かれた物語であったりしますが、例え絶望や悪があったとしても、主人公はただひたすらに自分の信じる道を行ったり、悩み苦しみながらも希望を捨てないで生きて行きます。
そんなことをよしとする環境に、お花畑と言われても子どもを入れたかったです。
公立希望は悪くはないと思いますが、あまりに皆さんがお好きな多様性がありすぎて、正しいと思うことを貫き難いかなと思います。
道徳感というものは社会一般では構成員全てに共通なもののはずなのに、これは信用できないという悲しみがあります。
小学校も中学校も親や子の面接ありの学校を選びましたが、まあ驚くほど酷いことはなく過ごせています。
社会に出て、とんでもない人に出会ったらどうするのかについてはまた改めて考えます。




































