女子美の中高大連携授業
受験勉強よりも大切なこと
偏差値第一主義、ペーパーテストの点数さえ取れればいいという考えでやってくると社会に上手く適合できない。では彼らは何が足りなかったのか?
1.相手がどう思うかという「思いやり」
2.自分は完璧ではないという謙虚な姿勢
受験勉強ができる=自分は他人より頭がいい=相手を見下してもいい
という考えのまま大人になるのは非常に危険。思い上がった人間は人に嫌悪される。
将棋の藤井君、囲碁の井山裕太をご覧なさい。圧倒的な勝率を収めても謙虚だ。彼らは自分の力などどれほどのことでもないと思っている。藤沢秀行はこういった。「碁の神様を100とするなら私など2~3ぐらいのものだろう」
隣の小学生より受験勉強ができて灘、開成、桜蔭などに入学できても社会で活躍できなければ意味がない。自分より能力の低い者にいらいらするのではなく彼らを引っ張り上げる、モチベーションを上げさせる努力をしなければいけない。
受験勉強の神様など存在しなくても数学や物理、分子生物学などの神様(今の人間にとって未知なもの)はいるかもしれない。受験勉強ができて東大に入ってもそこで満足するのではなく神様相手に精進して欲しい。
道を誤った彼女は、私がいつも言っている「受験勉強ばかりしていると大切なものを取り落とす」を満天下に示してくれた。私の危惧が的中した。
優秀な受験生を持つ親にとって今回の事件は他人事ではない。
家族でよく話し合い、何のために勉強しているのかもう一度確認すべきだろう。
三世代同居ですけど、互助も大事でしょうが、要は国に予算がなくて介護も育児も自分たちでやれということかなと思います。
三世代同居できる広さの住宅って田舎ならともかく、都会では限られるでしょう。
それに若い世代が三世代同居なんて希望するかなあ。
女性の側から言えば、昨今は専業主婦が減って共稼ぎが当たり前。
女性も自分のキャリアを重視するようになれば出産、育児で仕事を辞めたり、中断したりは避けたい。
保育園は足りないし、自分たちでシッターを雇えば費用が高い。
実家が近くて頼れるとかでないと厳しい状況。
男女とも高学歴の人が増えて結婚年齢も上がっているし、生活水準を下げてまで結婚したくない人も多い。昔のように結婚して子どもを持って一人前みたいなことも言われなくなったし、お見合い話を持ってくるような人も減った。
生活が便利になって一人暮らしでも不自由はない。
今や結婚や出産はリスクでしかないと考える人もいるのが現実。
お金で解決できる部分もあるけど国の対策は不十分。
若い世代が結婚したり、子どもを持ったりする方がメリットがあると思うようにならないと少子化は解消しないと思う。
人類は、脳や身体をゆっくりと育てるようにできているため、集団で子供を育てることが前提となっていたという話を聞いたことがあります。
つまり、長期間、親(基本的には母親)のみで子供を育て上げることには無理があるという話。
この話を聞いたとき、私は、「核家族化」と「都会への人口集中(若い人が地元を離れてしまうこと)」が進んだことによって集団での子育てが難しくなり、特に母親へに精神的、身体的負担が増加したことが少子化の原因となっているのではないかと考えました。
子供の「教育」にかける時間も、我々が子供のころから比べて長くなっているようにも思いますし。
それから、
子供は母親が育て上げるもの
という考えがいまだに女性の中にも根強く残っていることも要因のひとつであるように思います。
国の施策は施策として、社会全体で解決策を考えなければならない問題なのだと感じています。
>そして、私の質問の回答は?
斜め君、早稲田だね。
よくいたよ。東大卒とみるとやたらと議論をふっかけて勝ち負けつけたい奴。学歴コンプレックスの裏返しだね。
申し訳ないが、質問忘れちゃったよ。少子化と所得の関係だっけ?
日本で一番所得水準が低い沖縄県が一番(合計特殊)出生率が高いんだよ。その意味わかる?
>よくいたよ。東大卒とみるとやたらと議論をふっかけて勝ち負けつけたい奴。学歴コンプレックスの裏返しだね。
勝ち負けじゃないんだよ。
面白回答を期待しているんだよ。
記録よりも記憶ってやつね
>日本で一番所得水準が低い沖縄県が一番(合計特殊)出生率が高いんだよ。その意味わかる?
郷土愛というか県民性じゃないかな
それなら、東北の方が九州よりも低い理由は?
あるいは、北海道が3番目くらいに低い意味分かる?
資源配分の適正化を図ることが最優先課題。
現在の我が国は先進国中、米国に次いでワースト・レベルの社会的・経済的格差ある状態に転落した。小泉政権以来の悪政の結果だ。
そもそも経済的リバタリア二ズムの元祖であるミルトン・フリードマンは政府に対する不信と市場への高い評価を唱えた。すなわち自由な市場の方が資源配分の上で効率的だとする。それゆえ、恣意的な政府からの介入を警戒する。
ところが、我が国の現政権は一見そのリバタリアンらの主張に即するふりを見せながら、他方で民間や国民生活に対する様々なパターナリズム的介入を行っている。政治面では教育基本法改悪に始まり、政府主導での憲法改悪など。経済面でも春闘に対する官による干渉=賃上げ圧力等々。つまり、両者まったく矛盾する政策を臆面もなく強行し続けてきた。それではうまく行く道理がない。
その原因は、やはり現首相による過度に情緒的な国権主義的思想に起因するものであろう。あの「美しい国」と称する偏狭な戦前復古への個人的憧憬が、逆に経済的リバタリア二ズムの長所であるはずの「個人の選択の自由」に対する不当な干渉を招いてしまっているのである。
前述フリードマンは特殊利益の上に立つ支配階級を批判した。
しかし、我が国の権力者らは国民にはジャングルの自由を押し付けつつ、
他方で仲間内の特殊利益=既得権益確保に狂奔していたのである。
その何よりの証拠が、現政権が惹起したオトモダチ内閣や森友、加計問題である。
現政権は、こうしてリバタリア二ズムとは無縁な存在であることを自ら暴露した。
少子化の原因と、経済力と少子化の関連について盛り上がっているようですね。
私としては、経済的余裕と出生率は逆相関が有ると思っています。
古代ローマにおいて、属州の拡大によりローマ市民が豊かになる過程で、晩婚・非婚・少子化が問題となったと、塩野七生先生の著作に有ります。当時のローマに、現在の先進国レベルの避妊技術が有ったとはとても思えませんから、経済的余裕により、生存・生命の危険を感じない環境では、自分の遺伝子を残さねばという本能が薄れると考えるのが自然だと思います。
ちなみに当時の皇帝であったアウグストゥスは、少子化対策として、子どもが居ない者は、相続権を持てない、という法律を作りました。当時のローマ社会では、肉親以外の親しかった人間にも遺言で財産を残す事が一般的でしたから、相続権を持てなくなるというのは、相当な痛手でした。で、皇帝の目論見通り、その後出生率は回復したとの事です。
まあ、今やろうとしても、絶対通らないでしょうが。
この国は民主主義国なのに、二俣川センセイみたいな(今はもっとバリバリのHNだけど)お上が~、政府が~、ていう無責任野郎が多い。
自分達で選んだ政府なのに、その意識が非常に希薄。
世界的にはかなり珍しい。;




































