女子美の中高大連携授業
受験勉強よりも大切なこと
偏差値第一主義、ペーパーテストの点数さえ取れればいいという考えでやってくると社会に上手く適合できない。では彼らは何が足りなかったのか?
1.相手がどう思うかという「思いやり」
2.自分は完璧ではないという謙虚な姿勢
受験勉強ができる=自分は他人より頭がいい=相手を見下してもいい
という考えのまま大人になるのは非常に危険。思い上がった人間は人に嫌悪される。
将棋の藤井君、囲碁の井山裕太をご覧なさい。圧倒的な勝率を収めても謙虚だ。彼らは自分の力などどれほどのことでもないと思っている。藤沢秀行はこういった。「碁の神様を100とするなら私など2~3ぐらいのものだろう」
隣の小学生より受験勉強ができて灘、開成、桜蔭などに入学できても社会で活躍できなければ意味がない。自分より能力の低い者にいらいらするのではなく彼らを引っ張り上げる、モチベーションを上げさせる努力をしなければいけない。
受験勉強の神様など存在しなくても数学や物理、分子生物学などの神様(今の人間にとって未知なもの)はいるかもしれない。受験勉強ができて東大に入ってもそこで満足するのではなく神様相手に精進して欲しい。
道を誤った彼女は、私がいつも言っている「受験勉強ばかりしていると大切なものを取り落とす」を満天下に示してくれた。私の危惧が的中した。
優秀な受験生を持つ親にとって今回の事件は他人事ではない。
家族でよく話し合い、何のために勉強しているのかもう一度確認すべきだろう。
>とおりすがりん (ID:UUrsPmM6zso) 氏へ
残念だが、政府の目指す方向性はそうではない。
また、より多くの受験生が欲しい大学側の思惑もそれと符合する。
総理、副総理ら世襲議員が多くを占める権力者らが、一族の既得権保持のために
それを画策したとまでは考えたくはないが・・・
そのうち、権力者にとって都合の良い「朱子学」まで持ち出してくるのではあるまいか。
警戒が必要である。
たまには私自身のタラレバ話をいうと、仮に親の収入が今の温室育ち氏くらいあったら…
おそらく音大に行ってたと思います。
恥ずかしながら、(私自身にとっては、こちらの方がひょっとしたら社会的成功には近かったのかな…)というアホな妄想を心のどこかでは捨て切れなくて、数日前に「蜜蜂と遠雷」買ってきてまだページを開けておりません(^_^;)
もっとも、アーティストとしての生業が成り立つには、身近で見聞する限り、芸術的器量はもとより、それにも増して社交性が重要な要素となるようです。
面識のある、そこそこ著名な声楽家の方から時々オペラのご案内をいただくのですが、その先生が仰るには、オペラでいい役を頂くとなると、「その人の顔でチケットを何枚さばけるか」というのが重要なポイントになるのだとか。
〉残念だが、政府の目指す方向性はそうではない。
ええ〜ッ、そうなんですか。
東大京大とかの旧帝クラスの国立は、そうはいっても、一部の推薦を除けばペーパーメインのままかと思ってました。一応AO系の書類提出はあっても、配点を低く抑えるというか。
勉強不足ですみません。うちは子供も大学受験はまだだというのに(^^;;
エデュ、久しぶりなので、大目に見ていただけると嬉しいです。
いずれにせよ、東大文1と理3、京大法医くらいは、少なくとも定員の7割くらいはペーパーだけで選考してほしい気がしますね。でないと下克上が本当につらくなる。
>私は結局のところ、選抜試験はペーパーテストが一番フェアであると思いますね。正解なら得点を与える仕組みほど、客観性の高いものはないからです。笑
仰せの通り。
むしろ、それ以外のもの、たとえばAO入試、推薦入試、その他面接や作文・小論文等々、あるいは補欠合格システムや編入学試験などが縁故者優遇への隠れ蓑に悪用されてきたのではないか、との合理的疑いを払拭しきれないのである。
ちなみに、現在でも学内者向けの大学院入試など、かなりの部分が「やらせ」に近い。逆に、指導教授に忌避されたなら、ほぼ合格は困難になる。
戦前に京都大学に学んだある優れた唯物論哲学者は、恩師の学説を正面から批判したため、三年続けて修士論文を不合格にされたとの実例がある。
>とおりすがりん (ID:470P1J6yoYc) さん
政府筋はいろいろ口実を設けているが、「富裕層に有利に」との視座でみると、
ほとんど説明がついてしまうのではあるまいか。
戦後、労働者階級を含めた多くの人々が高等教育の場を求めて大学進学を志した。むろん、その動機に向学心があったには違いない。だが、その他かなりの部分に「大学卒」の学歴欲しさもあったのではあるまいか。
戦前の日帝の身分制社会では、おバカさんであっても世襲地主のせがれでありさえすれば、上級学校に進学できた。他方、当時多くを占めた小作農民らのほとんどは高等小学校卒業後に社会に出ざるを得なかった、向学心あっても。その結果、都会の工場においては学歴さえあれば涼しい事務室で執務が可能になった。他方、多くの低学歴者たちは職工として汗まみれ、油まみれになっての長時間勤務を強いられた。それでいながら、賃金は学卒者を筆頭にした学歴ある者に比べ、実に低廉に抑えられていた。
そんなこの国の実相に対するある種のルサンチマンが、今でも受験制度に大きな影を落としているように感じられるのである。
神奈川県での公立高校入試における伝統的な内申書重視の思想。
最終学年でどれほど頑張ろうと、下級生時代の成績が芳しくなければ、事実上受験の機会すら制約を受けたのである。
それらに対する保護者らからの恨み節を耳にするたびに、ペーパーテストによる一発勝負での潔さに心惹かれるものがある。
あおいとりさんが音大への進学を考えるほどの音楽好きでいらっしゃるとは存じませんでした。
「蜂蜜と遠雷」発売日に買って読みましたが、読んでいる間、頭の中でいろいろなメロディーが鳴り響いているような気がして、まさに音楽に酔いしれるような状態でした。
私はコンテストを目指すようなピアノ弾きではありませんので、厳しい競争も他人事として読めたこともあるでしょうが、読み終えてしまうのが惜しくなる、実に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
院試のかなりの部分がやらせに近いってどこの大学の話?
少なくとも息子の時は厳正に点数がついて席次もはっきりしてたと思うけど。
全国津々浦々の国公立、私立のすべての大学の内情を知っているの?
>院試のかなりの部分がやらせに近いってどこの大学の話?
少なくとも息子の時は厳正に点数がついて席次もはっきりしてたと思うけど。
全国津々浦々の国公立、私立のすべての大学の内情を知っているの?
では、逆にお尋ねするが、あなたご自身は「全国津々浦々の国公立、私立のすべての大学の内情を知っているの?」だろうか。
実際は、ご子息に関わる1回限りの、しかもご自身の経験ではなく間接的なそれにすぎないのではあるまいか。
そもそも、「厳正に点数がついて席次もはっきりしてた」とは事実であろうか。
仮に事実であっても、個人情報保護に厳しい大学(院)において、ご子息はもとより、なぜ一介の部外者にすぎないあなたまでそれをご存じなのであろうか。
しかも、その席次決定要素に恣意性が完全に排除されていたとでも?
大学院入試の閉鎖性をご存じないのではないか。
学内進学の形であったらしい、溺愛なさるご子息を揶揄されたと感情的になる母御のお気持ちは理解できぬでもない。だが、指導教授に忌避されて、はたしてご子息の合格はあり得たであろうか。
冷静にお考え願いたいものだ。
ペーパーテストの方が公平なのは皆わかってる話だけど、大学入試において、どこまで「公平」を追求するかが問われているのでしょう。
アメリカのAOは必ずしも公平ではないけれど、日本の大学当局にも、世界ランキングでアメリカに負けまくりだからアメリカのやり方がいい、という意見が強そうですね。
階層移動の手段としての「学歴」については、個人的には懐疑的です。
私の周り(中高の同窓生)を見ていて明確なのは、金持ちの息子は金持ち、ということです。学歴は早慶や私立医学部が多いですが。
そして、あんまり金持ちじゃない家庭の子供は東大行っても貧乏学者や貧乏官僚。
高度成長期はそうだったかもしれないけれど、今の日本で階層移動なんて幻想なんじゃないかと思います。




































