アートの才能を伸ばす女子教育
悠仁様の進路
夏休みのご様子が公開されて、健やかに成長されて
いらっしゃる様子を微笑ましく拝見致しました。
いよいよ来年は中学生になられますが、皆さんの
関心を集める進路についてのスレをまた立てます。
将軍ながらもああだった徳川家茂、
元首でありながらもあれだった大正天皇の実例を見よ。
まして、元首でもない現在の世襲の象徴天皇に学校歴やオツムの良し悪しは関係なし。
憲法上、天皇が「英君」である必要性は皆無である。
まあまあ。
天皇教信者さんのオツムとはせいぜいその程度。
だからこそ盲信できるのであろう、およそ非合理的なこの制度について。
そうでなければ、法の下の平等を保障する現行憲法において、ことさらこの特権層だけを保護法益とする特別の罪刑など論理的に存在しえないことは明白なはずである。
ちなみに同じ権威を前提にするも、学問とそうした宗教とでは大違い。
学問では権威的見解に対する批判的考察が真骨頂だが、宗教ではけっして許されない。なぜなら、権威ある教祖様やその教義に対する疑問はご法度であり、絶対的盲従が不可欠の条件になる。そこに科学性や合理的思惟が加わる余地はない。ゆえに、荒唐無稽なあの『日本書紀』のような後付けの神話を「史書」として崇めたてる羽目となる。
しかも、現在世間で信じ込まされている天皇制なるものの正体は、明治政府の元勲らが自己の政治的地位固守のために人為的に創作した歴史的虚構に過ぎない。その表れが「皇国史観」であり「教育勅語」である。
そうした、本来その程度に過ぎないものにつき、あたかも天与の生来的特権の如く価値観をもってその子孫を過剰に特別扱いをさせようという陰謀が本件「秋篠宮長男進学問題」の真実である。すなわち、徳川幕府がその不当な支配維持のため、自らに都合の良い内容である朱子学を重用した史実と動機が同じ。21世紀の今日にも同じく身分上の差異があり、合理性さえ有すると思い込ませたい―世襲的既得権の保持のために―とたくらむ勢力が存在するということである。
しかし、それは、身分上の差別を撤廃させたフランス・ブルジョア革命の歴史的意義すら否定するものであり、健全なる資本主義的精神への逆行になると言わざるを得ないものである。まさに「士農工商」の世界への復古だ。































