在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
最難関に受かる子供は生まれつき、、、
子供達が公立小に通っています。
長男はまだ読み書き以前からなんとなく賢そうという感じがあり、中学受験を視野に入れた時に受けさせた塾のテストは初めから優秀でした。
下の子供たちは同じように育てたつもりですがいまいち。
塾のテストを受けた後は必ず塾から電話があります。
決まって言われる言葉がまだまだ低学年だから可能性はある、初めてのテストだから、、、的な話。
私立小は分からないので、公立の子供を例にあげますが、参観日で色んなお子さんを見ていると、特に塾など行ってない子供達が沢山ですが、とにかく勉強だけでなく生活全体に覇気がある子、ぼーっとしてやる気ない子がいます。
覇気がある子は親が中学受験も考えてはおらずどこの塾も通っていないから大手塾のテストをもし受けてもはじめはきっと偏差値も低いと思われます。
でもこういうお子さんが入塾したらものすごく伸びるのでは?と他人ながら感じるお子さんが数名いました。
そういう子が初めはテストの点数が悪くても可能性があるのであって、最難関に受かる可能性があるという子供は入塾前からほぼ確定なんじゃないかなと思われるですが違いますか?そんなことないと言わないと商売にならないから低学年ならどんなお子さんも可能性があるとは塾側もいうでしょうが。
我が子たちを見ていてもなんとなく生まれつきの素質なんじゃないかと痛感するのです。
長男もまだ最難関に合格したわけではないのでなんともいえませんが。
本音は違うよ、可能性あるよという意見が欲しいです。
「元教師 (ID:q8iidt9nBSM)」さん
>受験生の皆様に、イチローさんの言葉を。
>「人に勝つという価値観では野球をやっていない」
ここで疑問なんですが、「人に勝つという価値観」で野球をやってないなら、イチローはどんな価値観で野球をやっていると、「元教師 (ID:q8iidt9nBSM)」さんはお考えですか?
>「よいプレイをしてチームに貢献すること」でしょうか?
残念ながら、それだけは違うと言わざるを得ません。
イチロー氏はトップバッターとしては、かなり強いフリースインガーです。
ですからフォアボールを選ぶことが少なく、打率のわりに出塁率は低い方です。
イチロー氏はインタヴューの中でフォアボールを選ぶことの少なさを指摘されたときに
「お客さんは僕のフォアボールではなくヒットを見に来てくれているのだから」と答えています。
このようなトップバッターは観客からすれば魅力的かもしれませんが、「チームに貢献するためにプレイするプレイヤー」とは言えません。
ここでイチロー氏の名誉のために書きますが、だからといって彼の成績が過少に評価されることはないでしょう。
彼のメジャーでの最初の10年間の活躍は、素晴らしいものがあります。
さて、俺が「元教師 (ID:q8iidt9nBSM)」さんに引用の真意を訊ねたのは、「人に勝つという価値観では野球をやっていない」という言葉をどのようにとらえたら受験生に贈る気になるのか、さっぱりわからなかったからです。
ちなみに「よいプレイをしてチームに貢献すること」という意味合いだと「元教師 (ID:q8iidt9nBSM)」さんは考えたようですが、それって受験生に置き換えるとどういうことですか?
「いい成績を出して親の期待に応える」ということでしょうか?
筑駒学区外の首都圏天才は開成に行くことになりますので、上位層の厚みは筑駒も開成も変わりません。また、両校の生徒たちは塾も同じで、お互いの文化祭などにも行きあって交流もしているようですね。
今はその二校で最上位層がザッツオールという状態です。最上位の子達が多く受験するサピックス模試の偏差値が筑駒70開成66、その次の聖光や渋幕は62という状態です。
私が受験をしたころは、御三家は偏差値はそれほどかわらず好みで選べましたし、筑駒、筑附、学附もそれぞれに個性があったような。偏差値70というか学校がない代わりに、どこも63くらいの偏差値で、最上位の子達があちこちに散っているというイメージでした。
今や、筑駒はおっしゃるように本当に粒ぞろいになり、生徒たちの相乗効果はかつてなく高いものと思われます。開成の上位層も同じでしょう。
もし今そのメンバーに入れれば、かつての筑駒生や開成生よりも、格段にスペシャルな刺激を受けられることは確かでしょうね。ギフテッド教育のシステムが整っておらず、飛び級制度もない日本では、神童たちの最後の楽園がこの二校(関西では灘)なのだろうと思います。
ああ、やっぱりそんな意味に受け取られましたか。
「よいプレイをしてチームに貢献すること」は、
「よい成績を出して親の期待に応えること」という意味ではありません。
「人に勝つという価値観で野球はしていない」という言葉を受験生に向けて書いたのは、「自分に克つという価値観」で受験に臨んでほしい、というような気持ちからです。




































