在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
桜蔭か女子学院か慶応中等部か
現小5女子の母親です。
塾の先生に「このまま頑張れば、女子御三家を狙えるけど行きたい学校はどこなの?」と聞かれたようです。受験や志望校を意識しだしたものの、コロナの影響で私立中学校の学校説明会や文化祭へ訪問できず、志望校が決められずに悩んでいます。
タイトルにある、桜蔭、女子学院、慶応中等部の校風の違いもなかなかHPからだと伝わりにくいようです。親もよくわからないです。
本人は、よく聞く名前の女子校と芦田愛菜ちゃんが行っている中学校というだけで気になっているようです。
空き缶をみかけたら~の有名な話しはよく聞きますが、具体的な各校の校風をご存じの方や志望校にした理由など、ご意見を聞いてみたいと思い投稿しました。
いえ、御三家卒なら流石に短大はないでしょう
菊池さんという方が3校合格されて中等部を選んだという話でしたので
当時女子は東大を目指さなかったが今は違いますよね、ということが言いたかっただけです
流石に35年くらい前の受験事情はどうかと思いましたので
いま40歳過ぎの方の中学受験だと中等部はまさに最高峰だった。桜蔭がトップ女子校になったのも1982年に突如東大合格者20名を叩き出し(前年は8名)お茶の水や他の御三家二校を抜いてからですから46歳の方の時だとまだ日が浅い。
そして46歳なら辛酸なめ子さんと同世代ですが彼女はJG→美短ですね。落ちこぼれ気味だったとご自分で仰っていたので、さすがにその時代でも御三家から短大はちょっと…だったのでしょう。
現状、学校へ直接伺うことも難しく、直に各校の雰囲気を感じることができなかったので真剣に質問させていただいていました。真摯にお答えいただいた方々にお礼申し上げます。
共学校を志望しており塾の先生の一言で女子校もいいかも、、と考えた矢先でした。色々と勉強不足なのは理解していましたので、たくさんのご意見参考になります。
ありがとうございました。
スレのテーマとは外れますが,昭和50年代後半の時代は,女子の中学入試の最高峰は「青山学院中等部」でしたね。
青学は算国の2教科校でしたが,四谷大塚や日進の資料では桜蔭(4教科校)よりも上の偏差値でした。
※もちろん,青学第一志望で2教科だけ勉強している子供が桜蔭を受けて合格できるはずがありませんが,桜蔭ぎりぎり合格レベルの子供が青学中等部を受けてもかなり不合格になる,という関係です。
私の友達でも,「トップ校に合格して入学したい」という理由で桜蔭ではなく青学中等部を受験・合格して進学した人がいました。
筑駒・筑附・学芸附属の各中学も一次の抽選が高倍率のため,二次の学科試験を実際に受けられるかどうかわからない時代で,そういうこともあって国立が「第一志望」の子供は多くは無かった。
男子御三家も毎年のように序列が変わり,麻布や武蔵が最難関の年度がざらにありましたし三校の偏差値は大差は無かった。
多分同世代だと思いますが、当時も青学より慶應中等部でしたよ。
青学も女子御三家より上でしたが、慶應中等部は更に突出。男子は簡単なのに、女子は超難関と言われていました。
女子は附属校、御嬢様校の時代。
女子進学校の歴史長くないです。
なので、桜蔭を伝統校と言われるとちょっと違和感を感じます。
「女子進学校」の概念自体は案外昔からありますよ、とはいえ長らくトップだったのはお茶の水ですが
例えば1962年お茶の水女子大学高校別合格者数
お茶の水女子大学附属高校23名女子学院高校14名
駒場高校9名
西高校7名
三田高校7名
東京学芸大学附属高校6名
富士高校5名
新宿高校4名
竹早高校3名
日比谷高校3名
大泉高校3名
駒場高校ってどこよ?と思われる方も多いと思いますが実は第三高女を前身に持つ名門都立です。府立高女系の竹早、白鴎、駒場が今で言えば女子御三家ポジションだったんですね
すっかり忘れ去られていますが…
ちなみに東京女子大のランキングの方には桜蔭も顔を出していますからそれなりのレベルはあったと思われます
1962年東京女子大学
駒場高校18名
女子学院高校10名
富士高校10名
西高校9名
雙葉高校8名
お茶の水女子大学附属高校7名桜蔭高校6名
白鴎高校5名
新宿高校5名
三田高校5名
日比谷高校4名
戸山高校4名




































