女子美の中高大連携授業
麻布スレより
全校生徒各位
全校の皆様へ
本日、第52回運動会実行委員会より皆様にご報告とお詫びがあり、プリント配布する次第となりました。一通り目を通していただけたらと思います。
さて、皆様の中にもお聞きの方もいらっしゃるかと思いますが、先週の土曜日(29日)から日曜日(30日)にかけて、総務局のスタッフを含む一部(12人)の局員が六本木のカラオケルームでオールをし、その際に飲酒をしました。その後、早朝5時にカラオケ店を出た時、同じくオール明けの2組の応援団と遭遇し、その事実が発覚したのです。
この事実に対して、私たちは、去年の飲酒事件や今年の○○の辞職がありながらも、今回結果的に適切な緊張感を保ち浸透させることが出来ませんでした。それを踏まえ、第52回運動会実行委員会として今回の運動会開催を自粛したい考えです。これは、ひとえに運実の責任であり、全校の皆様に多大なご迷惑をお掛けすることとなり、大変申し訳ございません。
私たちとしましても、今回の飲酒に関与した12名の運実参加を認めず、スタッフは辞職させることで実行する道も考えましたが、何より幾度となく全校の皆様の信用を裏切る結果になってしまった点を踏まえ、今回運実としては、自粛の方向性を取る考えに至りました。また、本日昼休み大視聴覚室にて、今回の件に関する説明会を行います。質問などある方は、いらしてください。
ご報告は以上です。最後に、私たちの身勝手な行動と決断について、重ねてお詫び申し上げます。
> 名門校と言われる所に入ってもゲーム三昧、する事と言えばカラオケに携帯メール
> 3流校と行動はなんら変わらない学生が目に付きます。
麻布に限ったことではなく、どこの名門校の学生さんも、
今はゲームや携帯はやるでしょう。
今現代の遊び道具ですから。
私達の頃はなかったですから、これらに時間を取られることはありませんでした。
ビデオも普及してなく、今ほど子供向きのTV番組もあまりなかったですしね。
ただ、名門校の生徒さんは、理解が早く深いので、
3流校の生徒さんと同じ時間の勉強で、かなり進んだ知識が得られると思います。
そこは、本人たちが自覚して、時間を使ってるのだと思いますけど。
>彼らは何のために勉強をしているのでしょう?全てがお金で判断されがちな世の中、
>高収入を得るために高学歴を求め、その為に勉強する、この様な志から要らぬ副産物が生まれるのではないでしょうか。
>高い志を持つ者、また社会的地位を獲得する者は、道徳も同時に身に付けないと世の中は荒れます。
>
自分の為に勉強してると思いますよ。
努力したら名門中学校に受かり、そこでも勉強したから名門大学に受かり、
高収入の得られる会社に入る、ある意味自然な事だと思うのですが。
昔小学校で道徳の時間があったはずの大人でも、
今道徳心を忘れ、平気でキレて、すでに世の中が荒れている時代ですから、
小学校で道徳をしっかり教えられていない子供たちが、
はずした行為をしてしまうのも、わからないでもないです。
今の大人が、お金があればいい、自分がよければいい、の価値観で生きてるんですから。
まずは大人を教育しなおさないといけない感じです。
今回の麻布の生徒さんの飲酒や朝帰りなどは、私の感覚では許せないし有り得ないことですが、
悪い事・迷惑をかける事だったと皆で考える機会になったのなら、
ただすっぱり「退学」になるより、よほど良いと思ってました。
一保護者より さんへ:
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> 前回(三十数年前)に行われた全校集会で取り上げられた内容
>(OBではないので伝聞に過ぎませんが小学校の同級生が当事者でした)と
>今回の全校集会の内容の余りの違いに何だかなーっと思ってしまいます。
>が、三十数年前の先輩たちが考えていた事を追体験すりなりして麻布の自由の
>意味を在校生諸君にもう一度考えて欲しいと思います。
同感です。
麻布出身ではないが、同校には敬意を抱いていた者です。
今回の麻布運実諸君の行動について、率直な感想を言わせて
もらえば、「ださい、幼い、ワキが甘い」
君らの先輩達が「麻布の自由」をどのような想いをこめて
築いたか、右遠俊郎氏の著作でも読んで勉強し直して欲しい。
麻布の自由とは、今般の君らの行動の如き低次元で消費される
ものではなかったはずである。
私達も高校時代、仲間と朝まで酒を飲み明かすなど別に珍しい
ことではなかった。そして、酒とともに必ず熱い言葉の応酬が
あった。文学論、人生論、政治、芸術、はては漫画や音楽まで、
未熟ながらも深い議論が酒とともに朝まで続いた。
今思えば、我ながらよくもあれほどエネルギーがあったものだと、
なかばあきれてしまうが。
はたして「六本木のカラオケ」でどんな議論があったのか。
何か生産的な「知の応酬」があったのか。
残念ながらそれらは何もなかっただろう。
日本の若者全般の知的退廃傾向は、麻布といえども無縁では
ないのだ。
恩師の言葉が思い出される。
「この30年間で当校の東大合格者は5割増えた。
だが、生徒の水準は30年間で確実に低下している。
なんのことはない。当校の生徒の水準の低下を上回る勢いで
東大が易化しているだけなのだ。」
>
>で、伝統的に学校外の付き合いもあって…伝統的に飲酒も含めて寝泊りしたりということが行われてきたわけです。
学校外の付き合いというのが、食べ放題だのカラオケだの、挙句の果てに飲酒、オールとなると・・。自分で稼いだお金でもないのに豪遊するのが「伝統」だから当然といいきるからここまで叩かれているのです。まだわかりませんか?
すみません。伝わっていなかったようですが、この伝統を良いとは一言も言っていません。はっきり言って悪いこと。でも、伝統的にそうしてきたのは事実です。運実がそういう組織である以上、それに従うしかないということがあるのです。単なる道徳心の問題ではないのです。だから、それをどう改革するかが問題なのです。
>はたして「六本木のカラオケ」でどんな議論があったのか。
何か生産的な「知の応酬」があったのか。
残念ながらそれらは何もなかっただろう。
日本の若者全般の知的退廃傾向は、麻布といえども無縁では
ないのだ。
同感します。知の応酬はないですね。聞いている限りは、安保の時の学生運動はそういう意味でプラスに働いていたんでしょう。麻布においての自治(の枠組み)は学生運動で残された数少ない「正の」遺産なのではないでしょうか。校長も、学生運動やってた人ですから、自治を何が何でも守りたいのでしょう。あと、麻布もいろんな人がいますから、そういう人も少なくなっただけで、いるはいると思いますよ。
このことがきっかけで議論が活発になればよいと思っています。
残念 さんへ: から騒ぎです。
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> 麻布の教育のありかたについて何かしらヒントを…と思われるのであれば、
> ルソーの「エミール」を一度、読まれてはいかがでしょうか。
教育論の古典ですね。正に。
『エミール』 ルソー著 今野一雄訳 岩波文庫
http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/books/book001.htm
「自然の教育」は、子どもの自由を尊重することを原則とする。したがって子どもの自発性がつねに尊重される。外からの強制による詰込主義は、ルソーの最も排斥するところであった。だから教師の役目は生徒にものを教えこむことではなく、知りたいという欲望を起こさせることであり、真理を教えることではなく、子どもが自ら真理を発見し、自ら誤謬を改める方法を示すことである。つまり「子どもにほんとうの自由をあたえ、支配力をあたえず、
できるだけものごとを自分でさせ、他人になにかもとめないようにさせる」ことである。
僕は、アメリカの哲学者ジョン・デューイの「学校と社会」「経験と教育」をお薦めします。
デューイは、ヘーゲルの弁証法をより人間的な経験と反省の世界に引き戻し、市民的プラグマティズム運動の道具として「考える」ことを再構築しましたが、
彼の教育論は人間の自発性を重視するもので、人間の自発的な成長を促すための環境を整えるのが教育の役割だと唱えました。
「学校と社会」岩波文庫
学校とは暗記と試験にあけくれる受動的な学習の場ではなく、子供たちが自発的な社会生活を営む「小社会」でなければならない。このような観点からデューイは、伝統的な学校教育に大胆な批判を加えた。
学校とは、課業を学ぶための隔離された場所ではなく、生きた社会生活の純粋な一形態を持つ小社会でなければならない。教育は詰め込み型や児童中心主義の教育ではなく、個人が自分の仕事の中に社会的・科学的な観点から、想像力と意義を見出せるものでなければならない。そうした教育を怠ると、社会に多く存在する歪曲されている部分に鈍感になり、現在の経済的害悪を突き止めることさえままならなくなる。そうなれば、それらの害悪を有効に処理することなど一層不可能である。
↑これこそ、麻布学園だと思います。生徒達は大人社会と同じ人間関係を体験して学んでいるとも言えます。
デューイの教育論は、戦後日本の教育改革にも大きな影響を与えた、ハズなのですが。
そう言えば、麻布の氷上校長は倫理社会の先生ですが、お爺さんは、戦後の教育基本法を草案された元東大総長の南原繁ですね。確か。
「経験と教育」では、教育とは知識を教えることではなく、経験から学ばせること。教訓は経験の中から自分で作り出していくものだという考え方を述べています。
「経験と教育」岩波文庫
子どもの才能と個性を切り拓く教育とは? 子ども自身の経験が好奇心を喚起し、独創力を高め、強力な願望や目的を創出し、能動的成長を促す。経験の連続性と相互作用という二つの原理を軸に、経験の意味と教師の役割を深く分析した本書は、デューイの教育思想を凝縮した名論考であり、生きた学力をめざす総合学習の導きの書でもある。
不祥事御三家 さんへ:
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> 1.駒場東邦・・・集団万引き事件
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> 2.芝・・・・・・集団キセル事件
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> 3.麻布・・・・・数知れず
>
>
ナイス




































