女子美の中高大連携授業
茂木健一郎「中学受験を擁護する人は思考が狭い」無意味な学力競争文化が子供を不幸にしている
<茂木健一郎「中学受験を擁護する人は思考が狭い」無意味な学力競争文化が子供を不幸にしている…偽物の「教育者」が跋扈する日本>の記事を抜粋しました。
中学受験で出される問題は、誰もが知っているような名門中学の、「考え抜かれた良問」とされているものでも、所詮は「小賢しい」問題に過ぎない。本来、知性はオープンエンドで限界などないのに、敢えてちっぽけな範囲にしぼって、その中で足踏みをさせるような問題なのだ。
中学受験で有名中学に合格したからと言って、学問全体の無限の広がりから見れば意味がない程度の能力である。国際的に「盆栽」のすぐれた文化で知られている日本だが、中学入試を通して人間の知性まで「盆栽」を大量生産してどうするつもりなのだろうか?
私も茂木氏の見解は正しいと思います。
ただし、「ではどうやって選抜するのか?」という疑問があります。
皆さんならば、どう考えるか?お聞かせください。
億超えの所得申告漏れがあってその理由が「計算が面倒だったから」と説明してしまう人だから、普通の感覚ではない人だと思う。そのレベルだと毎週営利公演しているぐらいなんだよね。
学歴系芸人かタレントだと思えばいいんじゃないの?
発言を一々精査する必要なんてないと思うけど。
教育がよくなれば、社会の問題は全て解決するかと言うと、社会が先にあって、「政策あれば対策あり」という人々の対策の結果、現状があるから、教育で解決するような単純な問題じゃないんだよね。
転生ものとかタイムリープものと言うジャンルがあって、人生もう1回やり直せたら、あの時、別の道を選ぶと思っても、別の道を選んでも結果同じバッドエンドになってしまうみたいな。
明治の産業革命や戦後の高度成長の中で、大量の産業人材が必要とされる中、受験競争を抑制しようと、都立の学校群制度で押さえつけても、結局、私立に流れただけという。大きな人材需要の流れの中で、受験競争抑制のための姑息な受験制度のテクニックでは歯が立たなかったということ。それは、茂木の号令で仮に東大が学力入試をやめたところで、学力入試で選別されてない東大生が産業界から需要されなくなるだけということ。別の東大が出てくるだけだろう。結局、親や子供は東大だろうが、日比谷だろうが、御三家だろうが、将来安泰なら何でも構わないわけだから。
大学受験で出される問題は、誰もが知っているような名門大学の、「考え抜かれた良問」とされているものでも、所詮は「小賢しい」問題に過ぎない。本来、知性はオープンエンドで限界などないのに、敢えてちっぽけな範囲にしぼって、その中で足踏みをさせるような問題なのだ。
大学受験で有名大学に合格したからと言って、学問全体の無限の広がりから見れば意味がない程度の能力である。国際的に「盆栽」のすぐれた文化で知られている日本だが、大学入試を通して人間の知性まで「盆栽」を大量生産してどうするつもりなのだろうか?
今までの入試問題は、中高大とも主に知識を問う、知識がいかほどあるのか、これ使ってどのくらい応用できるかくらいの問題でした。
これがここ10年ほどで大学入試などでも結構変わり、まずは高校時の全体の成績や活動状況見る総合選抜とか学校推薦が増えてきました。
さらに早稲田の一部など、一般入試でも共通テストと和英で課題作文の半々で選抜するような方式も出てきました。
こうなりますと、中高でも、このような大学選抜のやり方に即した教育、指導をせざるを得ない状態となって、必ずしも知識の多寡で何点、だけでは対応出来なくなってきてます。
ただ、大事なのは共通テストのように全国共通で、文科省課題をどこまで学習してきたかも残りつつ、思考力を問う、いわゆる「あなたは これをどう考えますか」というアメリカ方式の出題が増えてくることです。
まずは、必要最低限の知識はもちつつ、この知識をベースとして、自分独特の考え行動表現に慣れていくような準備も要るということだと思います。
日本には1億2000万、1学年100万人前後の人間がいるわけだけど、それに対して一般論として教育はこうあるべきだなんて、何の観点から?何の物差しで言うんだということ。
世界には7000種以上のカエルが棲息していて、カエルを食うカエルもいれば、大量発生するカエルもいる。生息環境も食性も色々なんだけど、生物の進化について言えることは、ライオンみたいに戦って強い種になるのが、進化の目的じゃないんだよね。なぜなら、ライオンのような強力な肉食獣は消費カロリーが大きく、環境に対して棲息できる個体数が少なく、淘汰の観点からは絶滅淘汰されやすい。
自然環境に対する耐性という面では、草食動物の方がライオンより強いし、さらにゴキブリとか、菌とか、戦いに強くない生物が強い。
子供をこういう風に教育すべきだ!みたいに言う人は子供や人間や社会がこうあるべきだ、みたいな理想形があるという前提がおかしいよ。世界の190やそこらある国を取ったって、世界の国々それぞれに立ち位置や居場所があるのに、それをスウェーデンやフィンランドがこうだから、世界中の国がそのように目指すべきだという議論は明らかにおかしいだろう。




































