アートの才能を伸ばす女子教育
入学金の返還について
私立大学辞退と同様、私立中学も辞退時に入学金の返還を、、、
とまでは言わないまでも、近年受験回数も増えているので、せめて2月10日くらいまで待ってもらえると助かると思うのは私だけでしょうか。渋渋が2月12日まで待てるのに、と思ってしまいました。
>1日渋渋が不合格の場合、結果を知らずに2日渋渋を受ける方が精神衛生上いいと思う受験生にとっては、当日合格発表が無いことはメリットになります。
→子供の性格を考慮し全入試日程が終了するまで親は子供に結果を知らせないケースは稀にあります。
複数回入試の学校を複数回受験する場合、同じように1回目の合否を知らせないで2回目も受ける、と親子で予め決めておくこともあります。この戦略をとるご家庭は少数派で、大半は当日の合否を踏まえて次回以降の受験プランを選択するでしょう。
敢えて結果を知らせない場合、大事なのは子供と話し合って合意の元である点です。渋渋の場合は強制的に1回目の結果が知らされない、受験生の意思は反映されない点が問題であり、学校都合優先と批判される所以であると考えます。
よって、渋渋のように受験生に合否を知る選択肢がないことはメリットにはなり得ません。
>前の投稿では、「1日と2日に入試をする」と「記述式問題を多くして採点に時間をかける」のそれぞれの受験生にとってのメリットを答えました。
この入試戦略は学校の都合だけではなく、受験生にもメリットはあるということです。
入試戦略は受験時だけでなく入学後の学校環境に影響しますよね。
後者の方が重要ではないでしょうか。
→前回も指摘しましたが、入学者にとってのメリットではなく、受験生にとってのメリットをお尋ねしています。入学者のみ受けられるメリットは学校のメリットでもあり、そこを前面にアピールするならば、やはり受験生に寄り添う気持ちの欠如と捉えられるでしょう。
>その人は、仮に1日渋渋○であっても2日は渋渋は受けないので(既に合格しているので)、この人は、1日当日発表であろうとあるまいと2日渋渋は受けない、
この論理のおかしさに既に反論しました。
(再掲)
>仮に1日合格だったとしても2日に渋渋は受けないので、いずれにしても2日は渋渋は受けないから。
→分からないから2日も渋渋を「受けてしまう」。
>合格の場合と不合格の場合の両方を想定して判断すれば、論理的には結果は変わらない。
→両方を想定して、不合格なら渋渋は「受けない」。
「受けてしまう」と「受けない」なので、結果は変わります。
「いずれにしても2日は渋渋は受けない」ではありません。
>それを理解できない方がいらっしゃるので、
上記の通りでおかしな論理を理解せよという方が無理筋です。
>渋渋サゲ先にありきだな、と思っているだけです。
渋渋擁護ありきだから、おかしな論理を展開してしまうのだと思います。
> さて。あなたから回答をいただいていません。
> 1.無謀な特攻を語るうえで、1日の合格者を含めてはダメでは?
> なぜあなたは含めるのですか?
> 2.1日の合格者を含めるようなやり方は「都合よく条件を決めている」に該当します。
> 自己紹介では?
「無謀な特攻」という言葉に万人共通の定義が無いからではないでしょうか。
あなたは、1日不合格の人が2日、5日も不合格になることを無謀な特攻と言っているようですが。
私は、複数回受験して一度も合格できず、かつ、複数回受験したことを後悔するのが無謀な特攻ではないかと思います。
指摘を受けて、「無謀な特攻」のあなたの定義を再認識しましたので、今後あなたと「無謀な特攻」の話をするときは合格率に1日合格者を含めないようにします。
指摘された後は含めていないつもりです。
2日に抑え校の合格を確保したい人の話を、748人で語るのもどうかと思いますが…
>2日に抑え校の合格を確保したいというニーズもありますよ。
これを言い始めたら、2日校が本命の人には1日に抑え校の合格を確保したいというニーズがあるし、
3日本命校の人には1日2日で抑えを確保したいというニースがあります。
午後入試は、主目的が抑え校の確保という特殊な入試です。渋渋②の主目的は抑え校の確保でしょうか?
小学生のような「あいつもやっている理論」で広尾を引き合いに出すのはおかしいです。
以上のことから、広尾午後を、渋渋と同じ理屈で「1回目の合格発表より後に変更せよ」と言う人はいないでしょうね。
> 無謀な特攻にならないように熟慮して併願プランを組むのは、ごく一般的なセオリー。前者は中受一般層です。
> 渋渋には合否不明という他校にない特殊事情があるので、一般論では語れません。
> よって中受一般層の前者より、割合は後者の方が多いであろう。
筋が通らない、根拠になっていない、と感じます。
1日に合格発表しないのは、渋渋も開成も同じ。
2日に同じ渋渋を受けるか開成→聖光と違う学校を受けるかで、前者は熟慮するのが一般的ではないが、後者は熟慮するのが一般的、と言っているわけですよね?
同じ学校の連日受験か、別の学校の受験か、によってそういう違いが出る、という根拠が説明できでいないと思うのですが。
この程度の内容で、根拠を示している、と主張されても納得できないので、根拠の乏しい批判だと受け取っています。
































