入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
理系の進路について
夫の方がいわゆる医学科など理系高学歴の上流家庭なので、子どもを理系と考えていますが、いつごろから勉強をしたらいいでしょうか。理系に強い学校についても教えてください。
>あと、やたら起業を褒め称える風潮がありますが、
日本の家電業界の衰退は、コモディティ化を読み違えた経営判断が原因ですよね。
要は、BtoC戦略の失敗で、これを読み間違えなかったパナソニックや日立は、いまも好調に推移し、日立は1990年代前半の株価と分割等を考慮のうえ比較すれば、現在は約10倍相当に。
家電の衰退ばかりを見て「起業こそ正義」とする空気には、リスクの冷静な評価や多様な人生観を軽んじる偏りとなる。
DeNA「ベンチャー・ビルダー事業」など、社内起業として良い取り組みだと思います。
起業=正義の極論に与するつもりはありません。
ただ、それと同じくらい、起業=視野の狭い危うい選択という見方も、一面的な偏見にすぎない。
BtoC戦略の失敗が、日本の家電凋落の原因の一つであることは確かでしょう。
かつてテレビや白物家電で覇権を握っていた日立やパナソニックは、それらの多くを手放し、事業構造そのものを大きく転換しました。
しかし忘れてはならないのは、両社が読み間違えなかったのではなく、一度は大きく読み違え、痛みを伴う撤退と再編の末に生き延びたという事実。
あなたの主張は、そこを見落としている。
パナソニックはプラズマテレビやスマホ事業で巨額の損失を出し、日立もHDD・映像・家電・LCDなど幅広い領域で撤退を強いられました。
両社の現在の姿は、的確な予測の成果ではなく、寧ろ敗戦処理の巧みさの産物です。
一方で日本の衰退と並行して語られる、「日本全家電メーカーを足してもサムスンに及ばない」「韓国スゲー」も違う。
韓国や中国勢が何も失わず成功しているようなイメージもまた、事実とは異なります。
LGは2021年にスマホ事業から完全撤退、サムスンは2022年に赤字のLCD事業を終了。
シャオミも欧州市場でのシェア縮小、インドでは法的リスクや成長鈍化に直面しています。
つまり、生き残っている企業に共通するのは、国籍でも業種でもなく、大胆な損切りと、自らを更新し続ける柔軟性です。
その意味で、日立がインフラ・IT企業に転換し、パナソニックが車載電池・空調といった分野に集中してきたことは、確かに成功です。
ただしそれは、保守的経営の勝利ではなく、変化を選び続けた企業の成果。
コモディティ化の読みに勝ったからではまったくありません。
この文脈のなかで、起業の話に戻りましょうか。
起業を持ち上げる風潮は視野が狭い、という意見もありますが、それもまた一つの決めつけにすぎません。
むしろ、いまや多くの大企業が自らの限界を認識し、社内ベンチャーやCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)を通じて、外部の起業的エネルギーを取り込み始めている。
あなたが好例として挙げたDeNAのベンチャー・ビルダー事業も、まさにそうした文脈でしょう。
つまりこれは、社内に起業マインドを持ち込まなければ変化に耐えられないという、大企業側の危機感の表れでもあるのです。
ですから、起業は危うい、リスク評価が足りないという指摘は一理あったとしても、それ自体が否定されるべきではないし、時代の流れの本質を見落とすリスクも孕んでいます。
今、起業という選択肢が評価されているのは、それ以外が間違いだからではなく、それもまた正解のひとつであり得るという、社会の成熟です。
そこにあるのは多様な人生観の軽視ではなく、寧ろ多様性へのまなざし。
加えて、起業家精神とは会社を立ち上げることだけではありません。
社内で旧来の構造を打破し、新たな価値を創り出す。あるいは、縮小する既存市場のなかで、再定義されたサービスや技術に再挑戦する。
そうした営みすべてに通底しているのが、起業マインドです。
この視点で捉え直せば、日立やパナが成し遂げた構造改革もまた、企業としての再起業と呼べるかもしれない。
だからこそ、問われているのは、起業するか、しないかではなく、変われるか、変われないか。
その違いだけなのです。
変わるとは、過去を切り捨てることではない。
執着を手放し、次の問いへと歩き出すこと。
生き延びるだけなら、寧ろ変わらなくていい。
だが世界を変えたいのならら、自から変わるしかない。それがたとえ、名前のない起業だったとしても。
起業とは、その問いに、自らなるということです。
>BtoC戦略の失敗が、日本の家電凋落の原因の一つであることは確かでしょう。かつてテレビや白物家電で覇権を握っていた日立やパナソニックは、それらの多くを手放し、事業構造そのものを大きく転換しました。しかし忘れてはならないのは、両社が読み間違えなかったのではなく、一度は大きく読み違え、痛みを伴う撤退と再編の末に生き延びたという事実。あなたの主張は、そこを見落としている。パナソニックはプラズマテレビやスマホ事業で巨額の損失を出し、日立もHDD・映像・家電・LCDなど幅広い領域で撤退を強いられました。両社の現在の姿は、的確な予測の成果ではなく、寧ろ敗戦処理の巧みさの産物です。
BtoC戦略の失敗が日本の家電凋落の一因であることは事実ですが、日立やパナソニックの現在の成功は、単なる偶然や敗戦処理の巧みさの産物ではありません。
両社は 市場環境やコモディティ化の兆しを的確に読み取り、戦略的に事業の整理・撤退を行い、資源を新たな成長領域に集中させました。
つまり、読み間違えてはいない。
日立はBtoB中心のインフラ・IT事業に転換し、パナソニックは車載電池や空調・住宅設備などに注力しています。これらの決断は、単なる撤退や再編ではなく、正確な読みと戦略的判断に基づく成功です。株価や収益構造の回復・成長は、この戦略的な行動の成果を示しています。
両社の現在の姿を「敗戦処理の巧みさの産物」と片付けるのは誤りです。重要なのは、市場や技術の変化を正確に読み、戦略的に資源を再配分できる能力であり、これこそが企業の持続的成長の鍵です。
>みんな文系?なのか…
この一文に、短絡的で稚拙なマウントの匂いを感じました。私は理系ですが、その発想こそが、いわゆる「バカ理系」の典型だと思っています。
問題は、文系か理系かではない。
論理的思考の根幹は言語能力にあるという事実を、無視してはならないのです。
OECDのPISA調査では、日本の読解力が過去最低の15位に転落しました。
とくに「情報を構造化して理解・統合する力」の低下が顕著。これは、国語=不要という思い込みが生んだ当然の帰結です。
認知心理学者スティーブン・ピンカーは「論理的思考の発達には構造化された言語理解が不可欠」と述べています。数式だけを追ったところで、そこに意味が読み取れなければ、科学的思考など成立しません。
数学者・岡潔も「数学は論理ではなく情緒」と語りました。つまり、数理的直観は言語的感性と論理の両輪で育まれるということ。
理系が国語を軽視してよい、という空気は、受験戦略を学問の本質と勘違いしている証拠です。
「鉄緑会大阪は国語の授業がない」「中受は数理特化」
教育掲示板エデュにありがちな浅薄な意見。
それは「合格だけを目的とした塾」の話。この浅はかな理系マウントが出てくる空気そのものが、私は日本斜陽・衰退を作った元凶、
私が好きなナウシカの世界観で言えばそれこそが人類をを滅亡へと追いやった「腐海の空気」だと思っています。
一方で、東大・京大は今も理系受験生に国語を課しています。何故か?
思考の深度を測るには、言葉を通じてしかできないと理解しているからです。
むしろ、世界の名門大学では「文理の境界」は最初から存在しません。
MITの技術者が倫理学を専攻し、スタンフォードのAI研究者が文学に造詣を持つのは、偶然ではない。
ジョブズは書道(カリグラフィー)からApple製品の美学を掴み、イーロン・マスクは物理に加えてSFや哲学を深く読み込んでいます。
一方、日本はどうでしょう?
「国語なんていらん」という理系エリート志向が進み、結果、今の日本、どうなっていますか?
IT競争力も創造性も急速に落ち込んでいる。1991年に1位だった日本の世界競争力ランキングは、今や38位。平均給与は25位。
人口百万人あたりの論文数は18位で、韓国にも抜かれている。
*IMD「世界競争力年鑑2024」(三菱総合研究所)
現場の教育でも答えは出ています。
灘中・灘高では『銀の匙』を3年かけて精読する超スローリーディングを実施。
結果として、生徒の論理力・表現力・東大進学率がいずれも向上。
東京都市大学等々力中のTQノートでも、言語化による思考の可視化・構造化を徹底し、自己管理能力の育成に成功しました。
毎日の記述と内省によって、「考える力」と「言葉にする力」を往復させる訓練を重ねた結果、早慶・MARCHの合格者数は倍増しています。
これは単なるメモ術ではありません。
国語力、つまり「言語を使って論理を組み立てる力」こそが、あらゆる教科の思考の幹であることの証左です。
国語を軽視する者は、「問題を解く人間」にはなれても、「問題を定義する人間」にはなれない。
そしてこれからの社会に求められるのは、後者です。
あなたが信じている「理系優位」や「国語不要」といった価値観は、もう時代に取り残されています。
真に求められる人材とは、数理的厳密さと、言語的洞察を併せ持つ者。
AI時代においてこそ、論理と感性を統合できる知性が問われているのです。
>エデュは、この視点の人が多いと感じます。
みんな文系?なのか…と。
今一度あなたに問います。
理系も文系も、ただの記号にすぎません。
思考にとって大切なのは、どこに属するかではなく、どこまで届くかではないですか?
深く読む者だけが、浅い世界に溺れずにいられるのです。
数式は世界を測る。言葉は世界を変える。
変化の時代には、解くこと以上に「問う力」が試されている。
日本は問題を解くだけの人間が増えすぎた。それが凋落を招いた。
問題を見つける者、定義する者、意味を問う者が、消えかけている。
今こそ、言葉を持つ者が、次の地図を描く番ではないですか?
「GAFA」とか言ってる時点で、もう10年前の世界に取り残されてますよ。
しかもその流行語、作った中の人に文系を無視してる人なんて一人もいません。
起業もせず、しがないサラリーマンで沈むのは自由ですが、その悔しさで起業ディスはちょっとカッコ悪いですね。
ん?ていうか、平日昼間に書き込んでる時点で、サラリーマンにすらなれてない感じでしょうか?
まず、私は「分かります」さんへの返信として投稿しました。
しっかりと、それを踏まえて下さいね。
あなたは「日立やパナソニックの改革も再起業のようなものだ」と拡張解釈していますが、それは言葉遊びに過ぎません。大企業の構造改革は、既存資産や市場ポジションを前提にした守りの戦略であって、ゼロから市場を切り拓く起業とは本質的に異なります。
また「一個人のマインドセットを起業家になぞらえる」という主張も、便利な比喩であって実態から乖離しています。失敗すれば即市場から退場させられるスタートアップと、社内で改善提案をするサラリーマンとを同列に扱うのは、緊張感もリスクも全く違う。
要するに、あなたの論は「起業」という言葉を過剰に拡張し、すべてを美化しているに過ぎません。起業を過大評価すればするほど、逆に「実際の起業」が持つ血のにじむようなリスクと独自性を矮小化する結果になります。
起業マインドは確かに重要ですが、それを万能鍵のように語るのは、現実を知らない軽さの証拠です。






























