今年入学した高1生が語る青春リアル
東京大学が国際系新学部設立→国際系の学校が人気に?
東京大学 新学部開設:2027年秋
新学部名:「カレッジ・オブ・デザイン」
入試概要:
A方式(50名)
*大学入学共通テストの結果
*高校の調査書(または成績証明書)
*エッセー
*東大が指定する英語試験の結果などの書類
*英語による面接
B方式(50名)
*東大が指定する国際的な統一試験の結果
*複数の提出書類
*英語による面接
特定学校の誹謗中傷は厳禁でお願いします
また、「外交の場で活躍している人が多い」とありますが、これも印象操作の典型例。実際には、東大の語学既修クラス出身者が全員外交官や国際機関で活躍しているなどという事実は確認されていません。
むしろ外交官試験は、語学力+法律・経済・政治学+面接スキルで競われるため、語学既修かどうかは合否と無関係です。
そもそも「地頭系」という語の使い方自体が極めて曖昧です。受験能力とは異次元の思考力を暗に誇示しつつ、具体的な思考成果やアウトプットを一切示していない。これは「俺の友達、超天才なんだよね」と言っているのに、その友人の名前も業績も出てこない類の語りと似ています。
お待ちかね、東大匂わせの本体ですね 笑
これはなかなか味わい深いですね。「第二外国語既修者クラス=インター1組」という語で、東大の前期教養課程(文科)をさりげなく匂わせています。おそらく駒場キャンパスの「語学によるクラス編成」という制度のことを指しているのでしょう。
たしかに、英独仏などの既修者向けクラスが「インター」と呼ばれたことはありますが、それはあくまで語学習得経験による技術的な区分であって、「地頭」や「ディベート力」とは、実は何の因果関係もありません。
なぜなら、語学の既修とは早期教育の有無であって、むしろ家庭環境や中高一貫校のカリキュラムによる差が大きく、決して先天的な地頭や論理性と直結する要素ではないからです。
また、「外交の場で活躍している人が多い」とありますが、これも印象操作の典型例。実際には、東大の語学既修クラス出身者が全員外交官や国際機関で活躍しているなどという事実は確認されていません。
むしろ外交官試験は、語学力+法律・経済・政治学+面接スキルで競われるため、語学既修かどうかは合否と無関係です。
そもそも「地頭系」という語の使い方自体が極めて曖昧です。受験能力とは異次元の思考力を暗に誇示しつつ、具体的な思考成果やアウトプットを一切示していない。これは「俺の友達、超天才なんだよね」と言っているのに、その友人の名前も業績
も出てこない類の語りと似ています。
しかも自分がその人物である可能性を、微妙に匂わせているあたりが、むしろ、ハンネで標榜しようとされている?ロジカルな人物像からは程遠い。
本当に論理的な人物であるなら、まずその「異次元の地頭」をもってこの掲示板で議論をリードすればよいはずです。
なのに、なぜか他者のスペックを持ち出して、自らを飾るという間接話法しか使えない。
論理性とは、語学の既修歴や「地頭」という形容ではなく、議論の中身で示されるものだという、ごく当たり前の事実を、そろそろご理解いただきたいですね。
加えて、もう一点だけ踏み込むならば。。。
あなたが本当に東大出身なのであれば、「第二外国語既修クラスが、ディベート力に優れていた」という感想は、かなりズレています。
ディベートにおける論理性とは、多角的な論点抽出、根拠に基づく推論、自己立場の限定と逆算などの複合的な構造スキルから構成されており、それはむしろ語学や知識量ではなく、構造化訓練と即応訓練によって鍛えられるものです。
東大の教養課程がそれを体系的に提供していた形跡はなく、私の知る限り、実戦的なディベート訓練は TDC(The Debate Club)や外部セミナーで別途行われていたものです。
掲示板上でのあなたの投稿、そして言い負かされての削除依頼。
そのどこに「ディベートの力が突出していた」ような片鱗が、どこかに見られたでしょうか?
また、ディベート力とは、単なる語学力や社交性ではなく、論点の分解と統合、フレーミングの柔軟性、自己立場の相対化と限定。
そういった構造的スキルの積み重ねによって成立するものであり、それは自らの実践を通じて証明されるべき能力です。
ここで少しだけ専門の話を持ち出せば、論理的思考力
というのは、脳外科の知見から見ても、特定部位の先天的な差異ではなく、むしろ訓練によるネットワーク強化の影響が大きいとされています。
「地頭系?」失笑してしまうのは専門家だけでなく、普通にディベートに携わった経験があれば、誰しもそんな考えには至ることはありません。
抽象推論やメタ認知は、繰り返しの介入で強化可能な「学習性の機能」なのです。
ゆえに、「語学既修=論理的」とする語りは、神経科学的にもミスリーディングと言わざるを得ません。
つまり、かつてインタークラスに在籍していたかどうかではなく。。。
あなたが今、どう論じているかこそが、ロジカルシンキングスキルの証明になるはずです。
そして、仮にあなたが東大に本当に在籍されていたとしても。。。
「誰々が外交官になった」「自分の属したクラスが特別だった」などと語り出す人間は、東大の中で最も恥ずかしいタイプの東大出身者として、しばしば揶揄されます。
あなたが駒場にいたと、片目を瞑って信じて差し上げたっていいんですよ?
そうしたところで、私のリアルワールドには微塵の影響もありませんから。
ですが、その「片目を瞑って差し上げる」寛容さを、どうか「論理の精度」で裏切らないでいただきたいのです。
次回からはぜひ、他人の実績ではなく、ご自身の思考の深度で、その「ロジカルスキル」とやらをお示しください。
>ディベートに必要なのは、
・どこまで問いを深掘りできるか
・異なる文脈をどれだけ繋げられるか
・相手の論点をズレなく受け止められるか
このような「対話の地力」です。
それは、自分の主張をただ押し通す力ではなく、相手の話の穴やズレを拾い、誠実かつ冷静に、それを上から包み込むように崩す力でもあります。言い換えれば、相手の論理の綻びや隙を瞬時に言語化して提示する事とのできる、一段上からの視座です。
これはほとんど、フッサールの現象学の方法論ですね。
つまり、世界定立としての相手の論理を、一段上からの視座である「超越論的認識」に立って捉えなおし、現象学的還元を行って、新たな論理や秩序の下で記述しなおしていく。
ここにおけるズレとは、「超越論的認識」に立った還元と既存の世界定立とのズレであり、これを新たな論理や秩序の下で再解釈することによって埋めていく。
ただ、「相手の論点をズレなく受け止められるか」というのは「超越論的認識」とのズレをきちんとズレと受け止められるように正確に理解していく、ということだと思います。
だから、あなたは、相手の論理をいつも微妙にズラして再解釈していく。
つまり、ズラして再解釈することによって「超越論的認識」に立とうとする。
私との論争でも、いくつかこういう操作がありました。
この方法論は確かに「弁証法」ではありません。現象学の方法論です。
あなたが提唱する「詩的知性」というのも、現象学的還元の一つの在り方として理解することができます。
そんなあなたを、向こうに回して論争を仕掛けようとする猛者は、おそらく、いないんじゃないかな。笑い
ぬらりひょんさん
ご丁寧に「現象学的な言い換え」、ありがとうございます。
で、何が言いたかったんですか?
私の提示した「ディベートに必要な地力」に対して、あなたは「それって現象学的ですね」とラベリングしてみせたわけですが、それはただの哲学用語による言い換えであり、分析でも批判でも問いの深化でもありません。
あなたがやったのは、私の「meta視点論」を現象学に翻訳して悦に入っただけ。
しかもその「翻訳」も、語彙を足しただけのオウム返しに過ぎません。
たとえば「超越論的認識」だの「現象学的還元」だのといったワードで煙に巻いていますが、中身は「相手の立場の前提を捉え直して、別の秩序で言語化する」という、ディベートの初歩的な説明に過ぎません。
つまり、あなたの書き込み、
「相手の言っていることを、哲学用語でリフレーズして、上から見下ろしたふりをしている」
ただそれだけです。それ以上でも以下でもない。
これは、よくいるタイプの知識マウンターに見られるパターンで、「なるほど、あなたの言ってること、つまりこういうことですよね」と言いながら
本質的には何も付け加えず、ただ言葉を変えているだけ。
即ち知的生産性はゼロです。
しかも最後に、
>そんなあなたを、向こうに回して論争を仕掛けようとする猛者は、おそらく、いないんじゃないかな。笑い
この一文に、あなたの視座の浅さとナルシシズムが凝縮されている。
なぜなら、あなたは
「自分が相手を“現象学的還元”した」
つもりでいるが、実際はただ私の主張を的外れにラッピングしただけ。
あなたがズラしたのは、「相手の論点」ではなく「読解の座標軸」そのものです。つまり、あなた自身がズレている。
それを“「還元」だと錯覚する姿勢こそ、meta視点で言えば「論点のすり替えを無自覚に行う知的怠慢」とすら言えます。
私は、主張に対して問いを重ね、構造を解体し、相手の盲点を明確にしながら組み替える。
これは「対話の技術」で、「地力」そのものです。
対してあなたは、自分の言語世界に引きずり込んで、相手の話を加工して返しているだけ。
その態度が、まさに私が批判してきた「知識を纏った空虚」なのです。
一段「上」からの視座?
とんでもない。
あなたが立っているのは、相手の肩の上で得意げに空回りしているだけです。
知的なふりをして、
本質から逃げた言葉に、価値は「ありません」
>私の提示した「ディベートに必要な地力」に対して、あなたは「それって現象学的ですね」とラベリングしてみせたわけですが、それはただの哲学用語による言い換えであり、分析でも批判でも問いの深化でもありません。
ということは、私が行った哲学用語による言い換えそのものに対しては、特にご異論はない、反論する意思はない、ということですね。ラベルを替えただけで中身は変わっていないとお考えだということですね。
それは大きなご承認です。
あなたの言説は、決して正体不明の新奇なものではなく、既成の学問の枠組み中で位置づけて理解していくことができるものだとわかったことは、大いなる進展です。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というわけです。
あなたの言説を、現象学の枠組みに当てはめて理解していくことができるとなったら、その理解はさらに深化し、その周辺の学問に関連付けて理解していくことができます。
私が目指していたのは、まさにそういうことであるわけですから、、、、
>一段「上」からの視座?
とんでもない。
あなたが立っているのは、相手の肩の上で得意げに空回りしているだけです。
相手(この場合はあなた)の肩の上で得意げに空回りをする、と言ったら、さまざまな童話、お伽噺、新作アニメ、を紐解いてみれば、その人を守護する妖精?の立ち位置を象徴的に言い表していると判断できます。
ハーバード大学のSymbologyの教授、ロバート・ラングドンならそのように分析すると思います。
私はあなたの守護神の妖精ですか???!!! 大変光栄に存じます。笑い




































