女子美の中高大連携授業
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
もう一つ付け加えると、欧米のだいがくや大学院入試の影の部分も知っておく必要があります。
推薦状、スポーツや音楽などでの高い成果をもとめる、ということは、有力者の推薦を得られ1流のコーチについてスポーツや音楽をやれる家庭の子女が著しく有利になります。そういう、階級維持装置、階級間格差拡大装置という側面がある。
アメリカを例に取ると、その他、人種、出身国や地域、男女比、先住民優遇、などいろいろな要素が考慮されるんだけれど、ブラックボックス。
総合型選抜入試は海外のAO入試をもとにできたもの。AO入試で学力がなくても選抜できる入試があったため、文部科学省は学力検査を課すことを条件に総合型選抜入試とした経緯がある。
そのため、総合型選抜入試は学力検査を課している。総合型選抜入試は学校の成績や学力検査で答のある問題を解くことができるだけでなく、答のない課題に取り組む等、大学のアドミッションポリシーに沿った学生を選抜するのが本来の趣旨。
私学は2040年には40%も経営困難になる可能性が高いと言われているため、学力試験に配点が少ない面接等を課して年内入試で人数を確保するところが出てきているのは事実。
しかし、日本人学生は大幅に減少する。英語授業にして外国人留学生を受け入れながら運営しないと多くの大学は潰れるだろう。
公平性より日本再生、大学再生が必要。公平性を重視して答のある問題を解くことができるだけの人間を選抜してきたから日本は衰退の一途となった。
階層維持と言われても、外国人が米国で億万長者になることができるように、能力で評価することが重要。その能力は答のある問題を解くだけではダメだ
もう一点。
アメリカでは、周知の通り、学部時代の学習は非常に大変で、また、GPAが高くないと上位大学院進学はおぼつかない。
また、大学院では最初の1-2年のスクーリングはもっと大変で、ここでよい成績を取らないと博士課程そうとうに進めず、修士で追い出されることになります。
博士課程に進みたい学生は、学部から大学院入学後2年間くらいは、GPAを0.01上げるために狂奔することになります。メディカルスクール希望はもっとシビアかも。
24歳まで、答えのある問題を解くことに集中する。大学入試で推薦状とかスポーツとか音楽とかを重視する帳尻をちゃんと合わせる構造になっています。
私は、公平性クXくらえ、という歪んだ思想の持ち主なので、公平性、という軸はありません。
ただ、これだけ人材不足なのにここに親の社会的地位や経済力のような要素をさらに入れ込んでて、これ以上母集団小さくしてどうするの、と思うだけです。
ぶっちゃけた話、英語授業なんて、てきるとおもう?
いまの大学合格者の英語力平均は、ベネッセが高校3年時のGTECの成績を大学別に公表していて、大まかに知ることができます。
私見では、まともな英語授業をやる最低の最低ラインはCEFR B2、英検でいうと準一級とおもいます。これは東大入学者の平均をわずかに上回る。大まかに東大新入生の半分はなんとかなるかな、という感じ。
話はかわりますが、数年前ですが、ある公立大学を訪問したことがあります。学務の掲示板に、大きい文字で「英検3級合格者」とあり、大きな文字で名前が列記されていました。これは、大学生にもなってようやく3級にしか合格できない学生を晒し者にして糾弾するためのものではなく、頑張って3級に合格した人への賛辞なんだと理解しました。
これだけの学力差、10年やそこらで、全国立を今の東大入学者並の英語力、まあ、むりでしょうね。
日本の大学が研究力や大学発スタートアップ等の産業創出力等で米国トップ大との差が大きいのは、答のある問題を解くことができるだけの人間を選抜するためだ。
受け身の講義や受け身の勉強では社会課題を解決する人材は育たない。各個人の関心、好奇心、探究心に基づく主体的な学びを教育の軸とする。もちろん、今までの人類の叡智を学びながらも、あくまで主体的な学びが重要。
日本の中等教育はそれが徹底的に欠けている。その理由は大学入試が答のある問題を解くことができるだけの人間を選抜するからだ。
すでにAIでも東大入試はほぼ満点取れる時代に何点取れたかを競うほど無駄なことはない。こんな教育では世界で負け続けるのは当たり前だ。




































