女子美の中高大連携授業
山口真由氏 AI時代に語学は必要?
Yahoo!ニュースより。
元財務省職員で国際弁護士の資格を持つ信州大の山口真由特任教授が25日に配信されたポッドキャスト番組 神田愛花のMy work,My life にゲスト出演。2歳になる子供の教育方針について語った。
勉強習慣についてトークを展開。子供の教育について聞かれ、あまり怒らないようにはしていると語った。
一時期はインターナショナルスクールに通わせることを考えていたというが、見学に行っても全然無理だなって。まず、高いし、休みも多いし、凄い難しいなと思ってと語った。
そして、元々はAIエンジニアだったチームみらい党首の安野貴博参院議員に AI時代に語学とかって必要ですか と投げかけたことを回想。
イヤホンでの同時通訳やチャットGPTも英語ができることに言及しつつ、だから向いてないことを一生頑張るより、何が大事なんですかって言ったら、安野さん やる気 って言ったんですよ と驚きの回答だったことを明かした。
だから、この子が転んでもいいけど、立ち上がるだけの力があればいいのかなと思ってと山口氏。水泳やらせなきゃ、語学やらせなきゃとか思わなくてもいいのかなと今のところ思ってますと持論を述べた。
山口氏は東大法学部卒業後、財務省に入省。2008年の退官後は15年まで弁護士として法律事務所に勤務した。その後、ハーバード大ロースクールに留学し、17年にはニューヨーク州で弁護士の資格を取得した。23年6月29日には、第1子を出産したことを報告している。
当初から私は、ポストAIでは余程語学に親和性や適性がない限り、語学に過度なリソースを割くのは戦略的に合理性が薄いと考えてきた。
むしろ、特定分野にパラメータを全振りできる人間の方が強い。
語学はこれまで努力量で差がつく代表的スキルだった。しかしAIは努力の壁を一瞬で無効化する。翻訳、要約、交渉文書、プレゼン資料、ほぼすべての言語的作業を補助できる時代に入った。
語学が無価値になるとは思わない。
ただ、優先順位は確実に下がる。
山口真由氏の問いに対して、AIエンジニア出身の安野議員が答えた やる気。
この一言は非常に示唆的。
能力やスキルはエンジン。
やる気は燃料。
どれほど高性能のエンジンでも、燃料がなければ動かない。
これは私自身、医学部受験を通じて改めて実感したことでもある。
理解力や処理能力の差は確かに存在する。しかし最終的に差を広げるのは、粘り強さや継続力、つまりモチベーションだった。
AI時代はむしろこの傾向が強まる。
知識はAIが補完する。
語学はAIが翻訳する。
情報収集はAIが代行する。
最後に残るのは、何をやりたいかという意志。
だからこそ、やる気という答えは非常にAI時代的。
語学をやらせるか
水泳をやらせるか
その前に、転んでも立ち上がる力を育てる。
極めてシンプルだが、本質的な教育観だと思う。
ポストAI時代は、スキル競争から意志競争へ移行する。
その兆しを感じさせる発言だった。
まゆまゆに完全同意です。
知的労働は、AIがやるので人間には不要。
人間がやることは、身体を動かすこと。
スポーツとか、人間が競い合うことは遊びとして残る。下手したら、昔のローマのコロセウムのように、命をかけて戦うことになるかも。
語学に限らず、勉強は、AIの方ができるので全く意味がないものになると思う。
うちも、子供の受験にはかなりお金をかけたけど、今となっては全く無意味だったのではないかと思う。ひたすら体操教室や水泳、サッカーなど一日中やらせておくべきだった。
AI時代には、東大より日体大。
おやおや。
極端な未来像に振り切ると、本質を見失う典型的な議論だと思う。
AIが知的労働をすべて代替するという前提自体がまず雑。現実には、AIは意思を持たない。目的も設定できない。責任も取れない。
AIが強いのは処理能力であって、方向性を決めるのは人間の役割として残り続ける。
むしろAI時代は、何をやるかを決める能力の価値が上がる。これは知性そのもの。
知的労働が不要になるというのは、電卓ができたら数学が不要になると言っているのと同じ構図。
実際には逆で、電卓の普及後に理工系はむしろ高度化した。
同様に、AIは思考のレベルを押し上げる。
だから勉強が不要になるのではなく、むしろ基礎力の差がより露骨に出る。
さらに、身体能力に全振りという発想も現実的ではない。
スポーツの世界ほど、才能格差が極端な領域はない。トップアスリートになれるのはほんの一握り。
どんなに努力しようとも99.999%は大谷どころか、プロ野球選手にもなれない。
一方で、知的分野はAIの補助により参入障壁が下がる。つまり、普通の人にとってはむしろ知的領域の方がチャンスが広がる。
AI時代に東大より日体大というのは、いかにもわかりやすいが、現実は逆方向に進む可能性が高い。
AIを使いこなす側と、使われる側。
この差はむしろ拡大する。
そしてその分岐点になるのは、やはり基礎的な知性と学習能力。
語学の優先順位は変わる。
だが、勉強そのものの価値はむしろ上がる。
AI時代は知性が不要になるのではない。
知性の定義が変わるだけ。
そこを混同すると、極端な未来論に流れてしまう。
資格という発想自体が、すでに議論を放棄していると思う。AIの可能性や限界は、誰かの資格で決まるものではない。技術の現状、社会実装、産業構造の変化を見れば、一定の方向性は誰でも十分に議論できる。
寧ろ、資格の有無で発言を封じる姿勢こそ、議論として最も弱い。反論できないときに使われる典型的な逃げ口上。
そもそも、AIの専門家でなければ語れないというなら、AIで社会が変わるという主張も、誰も語れなくなる。
しかし現実には、企業はAI投資を進め、大学はAI教育を強化し、政府もAI戦略を策定している。
専門家以外も含めて、社会全体が前提として議論しているテーマ。
そして重要なのは、AIの技術論ではなく、その社会的影響の話をしている点。
例えば。。。
翻訳精度の向上
文章生成の実用化
コード生成の普及
これらはすでに現実に起きている変化。
可能性ではなく、現実の話。
その結果として
語学の価値はどう変わるか
知的労働の役割はどう変わるか
これを議論するのは、ごく自然な流れ。
寧ろ、AIの話をするときに、資格があるのかと問う姿勢の方が、変化そのものに向き合えていないだけ。
ちなみに、こうした議論は別に珍しいものでもない。東大でも、企業でも、教育界でも、AI時代の教育やキャリアについてはすでに広く議論されている。
つまり、特別な資格がなくても、多くの人が普通に議論している領域。
それに対して、資格あるの?という一言で片付けるのは、議論としては幼 稚だと思う。
反論があるなら、具体的にAIのどの点が誤っているのかを指摘すればよい。それが議論というもの。
賢者は内容で議論する。
愚 者は短文で茶 化すのみ。
キミはどちらかな?
各人にとって必要かと言われると、ほぼ不要になるだろう。
ただ、人類としては語学を研究したり開発(発展)させる人材は必要。
また、家畜のように気付かないうちに誰かの所有物になりたくない人も勉強する必要はあると思う(語学に限らずだが)。
AIに関して「今後出力される情報が劣化する」と指摘されている。
AIはネット上になる情報を収集・分析し結果を出力するが、そこに新しい情報が入らないと出力が変化しなかったり、
自分で出力した結果を再度収集・分析することで情報が劣化すると言われている。
最近、生物のクローンで58世代までしか複製できないという山梨大などが発表した。
50世代以降は遺伝子の劣化が激しく寿命も短かったが、そこから自然交配をすると回復するという。
AIもそうした新しい「情報」を外部から入れる必要があると思う。
「人がAIを語学で使い続ければ新しい情報が入るのでは?」と思われるかもしれないが、これはあくまでAIが出力したものを人が使っているだけなので新しい情報が入りにくい。
そこで(AIを使ったり研究するのは良いが支配されず)独立した思考を持つ人が必要だと思う。
現時点でもネット廃人のように、本来使うべきものに使われてしまう人は多くいる。
GAFAなどの一部の企業の家畜になり果てている人も多い。
もっとも、ネット以前からたばこやアルコール、薬物などものに人生を振り回される人はいたわけで、
それがネットやAIになるだけかもしれない。
大半の人はAIに外国語を翻訳させて、気付かぬうちにAIに行動を誘導・支配されるが、
彼らはそのことを意識できず、むしろ幸せを感じるだろう。
「マトリックス(映画)」の世界だが、知らない方が幸せかもしれないが、私はそうはなりたくはない。




































