アートの才能を伸ばす女子教育
受験する学校選び
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を目指すご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容
面倒見が良く、イベントが多くて楽しそうな学校等の教育環境等で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共有しませんか。
グローバル教育を実践する学校は帰国生が多い。帰国生の保護者は海外赴任経験者や海外留学経験者等であり、世界の教育に国内組より通じている。
世界を知るものはグローバル競争を勝ち抜くために必要な教育を求める。日本の中高はグローバル競争に勝ち抜くための教育となっているのか、問われている。
あらゆる面で東京への一極集中には問題ありだと思います。
東京直下大地震の発生が予測されているけど、もし現状のままで東京に大災害が発生するば、日本全体の政治・行政・経済に甚大な影響が及んでしまう、、、
ネット社会がこれだけ進んでいるのだから、リスクヘッジの意味でも政治や行政機能を東京以外に分散させて、地方移転を行うべきだと思います。
>行政機能を東京以外に分散させて、地方移転を行うべき
ほんと災害時のことを考えるとそうなのですが、実際は難しいですよね。ここまで東京が出来上がってしまっていると。
結局、文化庁もあれだけお金をかけて京都に「移転」したはずなのに、いまだに東京メインな感じに思えます。
(今現在はほぼ何も書いていませんが、文化庁の採用情報のサイトを見ていると、非常勤や契約職員(つまり非正規で現地採用)ポストの大半・ほとんどがまだ東京での募集。)
京都に「都落ち」(というと京都(の)人は反論するでしょうが)した官僚や専門職員は、彼ら自身はともかく、ご家族が引っ越してくれないので単身赴任、という話を移転時に聞きました。今はさすがに解消したかな…
むしろ韓国って、今まさに「首都圏一極集中の危険性」と本気で戦っている最中なんですよね。
世宗市への行政移転もそうですし、半導体・バイオ・大学機能の地方分散も国家戦略レベルで進めている。
もちろん完全成功ではない。
でも少なくとも、「東京に全部集め続けるしかない」という諦めモードではない。
一方、日本は、
もう東京が出来上がってるから無理
で思考停止しがち。
でも実際には、人口減少、災害リスク、住宅高騰、出生率低下、地方空洞化まで全部、東京超集中の副作用として噴き出している。
文化庁の京都移転だって、まだ中途半端なのは事実ですが、逆に言えば、日本は“本気の分散設計”をまだほとんどやっていないとも言える。
あと、家族が東京を離れたがらない問題も、結局は、
教育
医療
雇用
文化資本
を全部東京へ寄せ続けた結果なんですよね。
だから本来必要なのは、単なる省庁移転ごっこではなく、「東京に居なくても成立する社会設計」の再構築なんだと思います。
そして皮肉なのは、韓国は少なくとも「このままでは危険だ」と国家レベルで足掻いていることです。
一方、日本は、
東京しかない
もう無理
家族が嫌がる
で止まり続ける。
もし韓国が本当に分散と国家競争力の両立を一定程度でも成功させた時、日本の
何をやっても中途半端
改革も移転も掛け声だけ
という構造は、いよいよ世界的な烙印になるでしょうね。
しかも、その諦めムードが、エデュみたいな場末の過疎掲示板にまで滲み出ているのが、ある意味いちばん象徴的です。
韓国が世界標準、日本がガラパゴス。というのもあながち誤りではないが、日本の大学や教育を世界標準にしていくことが、最低限必要。
バカロレア、ケンブリッジ等、日本の中等教育でも世界標準の教育を採用している学校もいくつかあるが、従来の体系的な知識を講義型で教師が教える教育がいまだに主流。
大学も東大が新学部を創設し、世界標準の大学づくりを目指しはじめている。
おそらく今起きているのは、日本vs海外という単純な話ではなく、知識を受け取る教育から、編集し、接続し、発信する教育への転換だと思います。
従来型の日本教育は、体系的知識を高密度に叩き込む点では非常に強かった。実際、その土台があったからこそ高度経済成長期の工業力や研究力を支えられた側面も大きいです。ただ、そのモデルは「正解が比較的安定していた時代」に最適化されていた。
一方で今は、AIの登場で知識を知っていること自体の希少価値が急速に低下している。すると重要になるのは、異分野を横断して問いを立てる力や、自分の言葉で再構築する力になります。ここで国際バカロレアやケンブリッジ系が重視してきた探究・議論・記述型の教育が強みを持ち始める。
ただ面白いのは、日本が完全に遅れているとも言い切れない点ですね。寧ろ日本は基礎学力の均質性が非常に高いので、そこに探究型や国際型を接続できれば、潜在力はかなり大きい。基礎の弱い国が探究だけ導入しても、単なる雰囲気ディスカッションになりやすいですが、日本の場合は土台そのものはまだ強い。
その意味で、東京大学の新学部構想は単なる英語化ではなく、日本型教育の上にどう国際標準を接続するかという実験として見た方が本質に近い気がします。単に海外制度を輸入するだけなら後追いで終わる。寧ろ、日本の強みだった緻密さや基礎力を維持したまま、世界の知のネットワークにどう接続するか。そこが本当の勝負なのでしょうね。































