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投稿者: 医療現場 (ID:Cyo/DNOysQE) 投稿日時:2018年 09月 23日 09:01
いつ呼吸停止が来てもいい状態の90歳で酸素10リットル、血圧測定2時間おき、採血も・・今まで経験した看取りは家族との関わりを持ち、口腔ケアや体交など最低限を行ってきました。これも看取りなのかと考えています。
病院側の加算も関係あるようです。
意識ない高齢者の患者に利尿剤しても尿量が少ないのは内蔵の機能が低下している証拠なのに
輸液を施し両上下肢から浸出液がでる
患者が苦しいだけなのに疑問だらけの毎日だ
又は尿が出ないのに点滴して浮腫でパンパンに腫れたり
血管も出なくなっているのに採血を強引にしたり
そんなにデータみて何がしたいのだろうかと日々思います。
最後の最後に苦しませている、医療者(主に医者)の自己満足のために
すぎない日本の医療システムは恐ろしいです
家族からしてみれば点滴して栄養入れていれば安心診てもらえている気になっている。
死は医療の敗北と捉えている医者はドンドンエスカレートしていき
最終気管チューブの処置をします
これで高齢化の日本と言われても
納得できなです
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【5124112】 投稿者: 今年のこと (ID:DSns94d2Cdw) 投稿日時:2018年 09月 23日 16:51
えん下が出来なくなり、水分もまともに取れなくなったら、召される入り口と受け取って、徹底的に介護職員や医師と相談して胃ろうはもとより点滴も無くして水分も口を潤やす程度にして死を家族と共に迎えるべきです。義母はそうして家族みんなで看とりました。介護施設や訪問医師と病院と徹底的に丁寧に話し本人の希望と家族の希望を明確に伝える意志が必要です。胃ろうや点滴をしないとか水も強制的に与えないとかは家族の強い意志も必要です。他人任せであると保身の為に延命されますよ。
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【5124132】 投稿者: 道産子 (ID:3t585WNVDkQ) 投稿日時:2018年 09月 23日 17:11
>介護施設と訪問医師と病院と(略)明確に伝える意思が必要
>死を家族とともに迎える
義母さまはお幸せな亡くなり方をされました。
在宅看取りの不可能な場合はこうはできません。
地域によって訪問医師や訪問看護ステーションがなかったり、
本人が97才という方なら子ども世帯がすでに75才になっていたり。
孫世帯は遠方か。
在宅看取りが可能ならば幸せです。 -
【5124149】 投稿者: 道産子 (ID:fXKFC7VZQnk) 投稿日時:2018年 09月 23日 17:24
「在宅看取り」は介護施設での看取りを含む意味で書きました。
病院以外での最期という意味です。
介護施設の場合、職員の心の負担が大きすぎるからと、救急搬送して病院での最期になることもあります。
今年のこと様のようによく話し合って、希望が通ることが本来はよいのですが。 -
【5124224】 投稿者: 今年のこと (ID:zGMOOMFj8Fs) 投稿日時:2018年 09月 23日 18:41
そうですね。
家族の総意だけではなく周りの理解がないと。
実は介護のために引っ越しまでしたのですよ。
お陰様で、介護の方、医療の方、葬儀社の方までも
理想の見送り方と言われ感謝でしかありません。 -
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【5124250】 投稿者: わたあめ (ID:6bGBDOLK7dQ) 投稿日時:2018年 09月 23日 19:06
私が高齢者になる頃には、尊厳死が認められていたら良いなと思ってます。
管に繋がれ、栄養を無理やり胃に流し込まれて寝たきりでなんていう最後は嫌です。絶対に子どもに迷惑かけるし。
なら、要らんお金と時間を浪費する前にさっさとあの世に行きたいです。
あと、認知症になったときも、何かしらの尊厳死を認められる制度ができてほしいです。
子どもや周りに迷惑かけたくないです。祖父母の晩年は本当に周りが壮絶でしたから。 -
【5124292】 投稿者: 道産子 (ID:Rkt.WbcK2Pw) 投稿日時:2018年 09月 23日 19:54
わたあめ様のおっしゃる尊厳死が法律上認められたら、わたあめ様は在宅で看取られたいのですか?
ご家族にはご負担ではありませんか?
法整備がなされても、看取りをしてくれる介護施設と、緩和治療が可能なホスピスは足りるのかしら?
今はかなりの順番待ちです。 -
【5124320】 投稿者: どうなのかな (ID:6Rj1lT5DHRc) 投稿日時:2018年 09月 23日 20:37
本人は認知症の自覚がないですよね。自覚がないまま、尊厳死させられるのは怖いような気がします。
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【5124357】 投稿者: 家族の勤め (ID:OW3T0c1CGnk) 投稿日時:2018年 09月 23日 21:31
認知症は、ある日突然わけわからなくなるわけではありません。
ゆっくり数年かけて壊れていく、恐ろしく悲しい病気です。
でも日々会話を交わしていれば、本人が逝きかたについてどう考えているかはわかります。
いよいよわからなくなったら、それを尊重して、代わりに医師に伝えればよい。
どう考えているかわからないとしたら、それは家族として大変無責任なことだと思います。