在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
昔の四谷大塚
数年前、子供を入塾させるときに、一番心配だったのが、「入れるかどうか?」でした。
なぜなら、私が子供の頃、四谷大塚には入塾テストがあって、成績が足りないと入れなかったと記憶していたからです。
そのため、四谷に入るための孫塾があり、そこでまず四谷に入るための勉強をする(人もいる)と聞きました。
現在では、入塾テストはクラス分けのためであり、断られることは無いですよね。いつごろから、全員入れるようになったのか・・・?
自分が子供だったので、もしかしたら全くの勘違いかもしれません。昔も全員入れたのかもしれません。
でもずっと気になっていて、もしかしたらエデュをご覧の方の中には御存知の方がいらっしゃるかもしれないと思い、スレッドをたてさせていただきました。
それを調べてどうする?といわれると、う~ん・・・
自分の記憶が間違っていたかどうか知りたいのです。子供が塾に行くようになって(近所に四谷大塚がなかったので他塾ですが)、自分のときと色々違うな~~と思うことが多いので。授業は今のほうが昔より親身で解かりやすいと思います。先生も優しいし。(模試で四谷の先生に解説していただいたことが数回あります)なんか、昔は、もっと厳しかった気がします。
・・・子供だったからそう感じただけかも知れません。
IQ62さんの一年後輩です。現在50歳。二児の母。
池袋は「東京電子専門学校」東口の三越の横を通っていった記憶があります。高田馬場(土曜教室)は早稲田系の予備校を使っていなかったでしょうか?新大久保寄りの方だったと思います。大塚というのは全く記憶にありません。私の時は正会員の校舎は成績順に中野、四谷、水道橋、池袋、拓大でした。
この四谷のスローガンに、昔ながらの四谷の考え方が出ているような気がします。
リーダーになれるような、地頭の良い子を選ぶ。そして選ばれた子を育てるという考え方。だから入塾も全入ではないのでしょう。
一方で、サピは「合格へのメソッドがあります」です。
本人の地頭に関わらず、サピのメソッドの力で合格させる、という意志が見えます。
営業上こちらの方が強そうです。
昔は、「四谷に入るための塾」がありましたね。準会員のそのまた下用というか。
いまたくさんある塾のうち何割かの前身は、そういう塾なんじゃないでしょうか。
今のように猫も杓子も私立中、ではなかった時代の話。勉強をもっとしたいという子が受験した時代の話。
四谷の役目は終わった、もしくは変えないとやっていけないんでしょうね。
私は昔のやり方が良かったと思います。それで合格できたら本物だと思う。合格して学校生活が始まってもずっとためになる教えだったと思う。
その後できた塾(サぴに代表される)は、四谷よりも「合格する」メソッドはあるでしょう。でも入った後無理がたたる子もあるんじゃないかなあ。
子どもの周囲を見ていてそう思いました。
IQ63さん、回答ありがとうございます。
高田馬場は、駅前のスズヤの『あの』噴水が当時の多くの小学生のトラウマになっているのではないでしょうか?(今はない)
大塚は、別のスレだったかどなたかの投稿によると、夏期講習か冬期講習の会場だったかもしれません。
場所は、おそらく巣鴨学園。(旧癌研究所のそばで、癌研自体は移転)
今から7年ほど前、子供の中学受験の時に巣鴨学園の学校説明会に行ったとき、(その時は気が着かなかったのですが)今にして思うと、何か既視感があった気がします。
(結局、子供は別の中学に行ったのですが)
中野の次はお茶の水でした。
楽しかったですね。
でも、教育者だった父からは、四谷の1週間単位でテストの順位のために勉強するのは勉強へのスタンスとして邪道だ、とよく言われました。
別にサピならいいとかいうこともないでしょうけど。
自分自身は、ずっと中野で一番上にいたのに、大した人物になってるわけでもないので、子供の頃成績良くても何だかなあ、という感じもあります。
でも子供には中学受験させてしまう。
子供もテストは得意なので楽しくやってます。
まあ、趣味みたいなものです。
(大塚ではなく)「巣鴨会場」!記憶の片隅から出てきました。行ったことはないですが、講習か準会員の会場ではなかったでしょうか?私が講習で多く通ったのは目黒の「杉野ドレスメーカー」会場です。窓から目蒲線の緑色のかわいらしい電車を見るのが好きでした。一つ上の従姉(IQ62さんの同期ですね。)は講習で?鴬谷会場に通っていました。鴬谷って当時から今のような感じの街だったのでしょうか?(だとしたら少々風紀上問題が。。。?)その従姉は今や年収ウン千万?のキャリアウーマン、私は教育熱心ですが平凡な専業主婦に収まっています。




































