女子美の中高大連携授業
昔の四谷大塚
数年前、子供を入塾させるときに、一番心配だったのが、「入れるかどうか?」でした。
なぜなら、私が子供の頃、四谷大塚には入塾テストがあって、成績が足りないと入れなかったと記憶していたからです。
そのため、四谷に入るための孫塾があり、そこでまず四谷に入るための勉強をする(人もいる)と聞きました。
現在では、入塾テストはクラス分けのためであり、断られることは無いですよね。いつごろから、全員入れるようになったのか・・・?
自分が子供だったので、もしかしたら全くの勘違いかもしれません。昔も全員入れたのかもしれません。
でもずっと気になっていて、もしかしたらエデュをご覧の方の中には御存知の方がいらっしゃるかもしれないと思い、スレッドをたてさせていただきました。
それを調べてどうする?といわれると、う~ん・・・
自分の記憶が間違っていたかどうか知りたいのです。子供が塾に行くようになって(近所に四谷大塚がなかったので他塾ですが)、自分のときと色々違うな~~と思うことが多いので。授業は今のほうが昔より親身で解かりやすいと思います。先生も優しいし。(模試で四谷の先生に解説していただいたことが数回あります)なんか、昔は、もっと厳しかった気がします。
・・・子供だったからそう感じただけかも知れません。
書き込みされている方々は40手前くらいの方でしょうか。
ただいま45歳の私の頃は、正会員は成績ごとに校舎が指定され、上から中野、御茶ノ水、水道橋、…さらにそれぞれが3クラスに分かれており、そのネーミングが、上から、国立、麻布、もう一つ、なんだったか…だったような…
どなたか覚えていらっしゃいませんか?
なぜ麻布なのかしら?
不思議です。
↑私と同じ年の方ですね。
略称、懐かしいです。
一が午前組、二が午後組というのは忘れていました。
午前組、午後組に優劣はなかったですね。希望を出していました。
午前組希望 理由「午後組だと帰りが遅くなるから」など。本当は午後遊べるからでしたが。
私の頃は、上から、確か、中野、御茶ノ水、池袋、神田?だったかな?
で、クラスは国立、麻布、慶應それぞれ1.2の順でした。
中野の時の、線路伝いの通学路、御茶ノ水の時は、試験後の駅前のビルの地下にあったマックに友達と寄ったり、池袋のカルチャーセンターみたいな開放的な教室の時はまず池袋で迷子になったり。
木曜に速達で送られてくる結果、優秀賞が野国一だらけの週報、合不合の濃い緑と薄緑の縦の棒グラフ。
生徒手帳みたいなのもありましたね。
あと歌も。カセットテープ貰ったような。
風だ光だ明るい窓だ、でしたっけ?
懐かしいなー。




































