女子美の中高大連携授業
やはり不公平な内申点
3年前期内申42
満点とっても・・・
学年末は無視して後期受験に絞ることにします。
>1を聞いて10を知るような彼らが退屈になるような授業しかできない教師側にこそ問題がある
1を聞いて10を知る生徒は、どんなにハイレベルな授業でも結構退屈ですよ。
それに、そこまで優秀な生徒なら、内申点の必要ない超難関に合格していくでしょうから、内申を取ることに意味がありません。
子供の塾の友人で、学校では授業中ほとんど寝ていて、提出物も出さず、試験もあまりまともには受けていない子が、開成を受けて合格し、その子が出来ない子だと思っていた教師陣に衝撃が走ったという事件(?)がありました。
開成への調査書を作る時に、「もし受かったら逆立ちしてやる」ぐらいのことは言ったようで。
出来る子は、どうせ公立中の授業は真面目に聞きません。
中途半端に頑張った授業などしてもらうより、日本のためには、勉強ができない子供たちの学力を少しでも押し上げることに尽力した方が、ずっとマシだと思います。
生徒の学力上げることなんて重視していないかも。運動部で疲れさせて不良化させないのが良い指導というものらしい。
放課後は部活指導で、勉強出来なくても補習も何もない。過労死ラインで働いているらしい公立中学の教師にそんなゆとりはないでしょう。私立だと放課後に質問しに行くの当たり前だし、成績悪すぎると部活禁止で補習とか、まずは学力付けることを重視している学校は珍しく無いですが。
〉運動部で疲れさせて不良化させないのが良い指導というものらしい。
そうなんです。だから運動部を途中退部すると成績を下げられるんです。
顧問の担当教科が主要5科目だと露骨です。見せしめだと、すぐに分かります。
学力を上げることなんて考えてはいません。
受験指導も塾任せ。個々の生徒の学力を把握できていないから、受験校を相談してもまともに応えられない。
うちの子も塾に入れました~って聞くと、担任はホッとするらしいですよ。
教師を馬鹿にするのは性格の問題もあるけど、そういう授業しかできないレベルの低い教師側に問題があるに決まっている。(つまらなすぎる授業をする無能な教師でも、わかりきったことを質問したり、眼を輝かせて授業に聞き入るような名優になったり、時間をかけてきれいに取り繕ったノートを提出するような子をフェイクとわかっていながら高評価する現状がなげかわしいと言っているのです。そんな無駄なことさせられる生徒が気の毒すぎる。)
下を見て授業をしていてでも、そういう子の好奇心をくすぐるような授業が出来ないようではいろいろな子の混ざる公立中学の教師失格だと言っているのです。
実際、1を聞いて10を知るような子が集まる〇光では、授業中寝ている子も多いし、教師もそれをいちいち注意しない。生徒が寝ているのが気になるなら寝かさないような魅力的な授業をすればいいし、そもそも寝ていて授業を聞かないで損をするのは生徒自身。おとなしくしているのなら本人の勝手でしょう?そういう部分を評価しないとまともな授業が出来ないなら、教師している価値なんてないよ。
神奈川県教育委員会の出している内申の付け方の基準には、もっともらしく細かすぎることまでくどくどと羅列してあるけど、肝心の定期テスト7割、提出物1割などと評価の基準となる割合が書かれていない。それでは公立中学側にいいように解釈されて、授業態度やノート提出など、どうでもいいことにも気を使わなくてはならない生徒が気の毒すぎる。
今住んでいる地域の公立中学校の教師はとても忙しいので先生の言うことを聞くだけでなく、手間をかけない子がよい評定をもらえます。字がきれいでなく先生の採点や宿題チェックの手間をかけさせるのはもちろんのこと、授業に楽しく参加せず先生に気を遣わせたり、教科書にない解き方や表現で答えて先生を困惑させてはいけません。たとえ数学的に正しくとも、少し前の教科書に載っていた解法や言い方も、先生の手元の教科書や指導要綱にない場合はアウトです。先生の意図を読み取り指示しなくとも正しい行動を取れる子だけが高い評定をもらえます。
有能な執事になれそうですね。
教科書に載っていない英単語や言い回しを使っても、正しくても減点です。
授業で習っていない漢字を使ってもいけません。
教えられたことだけを正確に覚えて書くことが求められます。
つまり、「忖度」と「御意」
私が一番不思議に思うのは、ノート提出が評価に大きな割合を占めてる所です。ノートは自分のために取るもので、先生に見やすいノートより自分が後で使いやすいことが重要なはず。既に頭に入っている事柄なら書く必要ないし、先生の雑談に興味を惹かれたら、直接授業に関係なくてもメモとるかもしれないし。私が中学生の頃、ノート提出なんてなかったです。10年くらい(?)前、「東大生のノートは美しい」みたいなタイトルの本が出て(読んでません)、その後、ノート、ノートになった印象があります(思い違いかもしれませんが)。
レポートや発表の資料への評価と比べても、ノートの比重が大きくて不思議です。
>「東大生のノートは美しい」みたいなタイトルの本が出て
あれは微妙ですよ。
東大生で綺麗なノートを取る人はかなり少ないようです。
思考のスピードに、手のスピードが追いつかないので、字が汚い(というかほとんど読めない)人も多数。
”灘文字”も有名ですね。
子供の場合は、ノートを取らない派でした。
ノートに書いてしまうと、覚えないのだそうです。
だから、ノート自体、持っていませんでした。
子供の個性、勉強法は千差万別です。
特定の勉強法を強制する時点で、ナンセンスなんですよ。
教師が自分の都合しか考えていない(自分の授業に生徒を当てはめている)だけのことなのです。
でも、それは仕方ないと思いますよ。
教師には時間がありません。今でもブラック企業になっていて、過労死しても不思議のないような過酷な労働環境ですから。
大変な状況なので、出来る生徒は放っておいてもらうのが一番なのです。




































