在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
外面のいい母(長文になってしまいました、ごめんなさい)
ここにしか書けないので、相談させて下さい。
私の母は、60代半ばの今も仕事を続け、沢山の友人に囲まれ毎日
元気で楽しく過ごしています。
小さい頃から、誰からも「あんなに優しいお母さんでうらやましい」「怒られたこと
なんてないでしょう」と言われて来ました。
母の絶大なファン、というか取り巻きのようなお友達までいます。
「本当にあなたのお母さまは優しくて明るくて、一緒にいて
心が温かくなります」などというファンレター?が私にまで来たことがあります。
私が小さい頃は専業主婦をしていましたが、いろいろな役員をつとめたり、
あるいは自宅を開放してPTAの作業をやったり、ハンディキャップのある人の
ためのボランティアをしたり、あるいは悩んでいる友人のために長時間相談に
乗ったり・・・。
母はいつも笑顔で、明るくてきぱきと仕事をこなし(しかも丁寧)誰の陰口もいうこと
もありません。いつも弱い人の味方、という感じでいわゆるボスタイプでもありません。
そういう母はある意味・・・自慢です。
が、だけど・・昔から子供のこと「だけ」には、本当に無頓着な人なのです。
「お母さ〜ん」「ママ〜」みたいに小さい子みたいにべたべた甘えるときは、
とても可愛がってくれます。が、少し真面目な話、たとえばどこの高校に進学するか、
大学の学部はどうするべきか、などという話しをするとたちまち嫌な顔をされました。
小学生のときに、指に大きなトゲがささった時があります。「痛い」と訴えても
「そのうち自然にぬけるわよ」と抜いてくれず消毒もしてくれず、3週間ほどたつうち
に腫れあがって膿がたまってパンパンになりました。父親が「医者に見せないと指を
切断するようなことになるんじゃないか」と言っても「うーん」と首を傾げている
状態。結局、指を切る、という言葉におそれおののいた私が、大人の読むような
医学書を見ながら針を熱湯消毒して刺し、膿をだして自分で治療しました。
高校を選ぶときも、「偏差値が○○なんだから、この偏差値の学校を3校受ければ
いいんじゃない?」(押さえ、チャンレジなど考慮なし)
志望校には実力が足りないから塾に行きたい、と言っても学校の教科書をよく読みな
さい、で終わり。
中学にいたころは私服もほとんど買ってもらえませんでした。夏になっても、
洋服は冬の厚手のスカートのみ。服を買いたい、と言ってもそのうちね、で終わり。
仕方なく友達と映画を見に行くのに、初夏なのにサイズもあわない分厚いウールの
スカートで行って大笑いされたこともあります。そのことを訴えても、
「服装で相手を判断する人なんて、こっちから願い下げって言いなさい」とか
「思春期は、とくに人が自分のことをどうみるか神経過剰になるときなのよ」
などととんちんかんな返事。
学校見学に行きたい、と行っても、忙しいからそのうちね、で終わり。しかたなく
自分ですべて見に行き、願書も学校案内も自分で取り寄せました。
大学の学部を選ぶときも、「英語を勉強したいなら、
英文、法律とかなら法学部ね」と言われたのが唯一のアドバイスです。
きわめつけは就職活動のとき。当時は携帯なんてありませんから、家に電話を
かかってくるのを待つだけですよね。「もうすぐ第一志望先から内定の電話があるかも
しれないから、電話がかかってきたらすぐ教えてね」と散々言ってあるにも
関わらず、延々友達と2時間、3時間の長電話。しかもキャッチホンがかかってきても
話している相手に失礼だから、ととってくれません。泣いて抗議をしても、
「本当に必要な人材だったら会社から電話が何度でもかかってくるはず」、と
とりあってくれません。
何というか、本当に大事な時、必要なときに全くとりあってくれないのです。
子育て中ももちろんほっておかれました。赤ちゃんが生まれて1週間は家にいてくれた
のですが、その後、「またすぐ来るからね」と言ったきり、2度と手伝いに戻ってくれる
ことはありませんでした。(離れて住んでおり、電車で3時間弱ほどの距離です)
子供が3ヶ月の頃、「今日これから行くから!」と急に電話がありました。
ちょうど疲れ果てていた頃だし、久しぶりに外出したい、髪の毛も切りに行きたい、と
ワクワクしていたところ、なんと母は「自分の」友達を沢山連れてきたのです。
私は疲れ果てた体でお茶をだし、赤ちゃんを見せ、やっと母の友人が帰ったのは
夕方。楽しみにしていた外出どころではなく、私は泣いて母に抗議したのですが、
「だって途中で電話が切れちゃったんだもの。皆があかちゃんが見たいって
云うから断る理由もないし・・・。」「そんなに外出したいならそのうち
手伝いに行くわ」と言ったきり、母は2度とこようとしませんでした。
子供はもう小学生ですが、一事友達とうまく行かず不登校になりかけたときがあります。
私は眠れないほど辛くて、思い余って電話をして、
「実は○○(子供)が学校でいろいろ辛い思いをしていてね」と涙声で訴えはじめた
ところで、母の電話にキャッチホンが入りました。
「あ、ごめんね。多分××さんからの電話だから。じゃ、元気出してね、あ、
もしもし××さん?」
で電話は終わりました。
私は母が大好きです。母も自分のことを大好きだと思っていました。でも実際に
自分が子供を持ってみると、自分も含めていかに周りの母親というのは
細やかに子供のことをするのか、ということに気がつき、そして自分が母に相手にされて いないことに初めて気がついた気がします。叩かれたこともなければ、
罵詈雑言をはかれたこともありません。
でも時々、悲しくてどうしようもなくなることがあるのです。
こういうお母さんを持っている方、ほかにいらっしゃいませんか?
本当に長文になってしまって申し訳ありませんでした。これまで漠然と感じていたことを
初めて言葉にしてみました。読んで下さった方、ありがとうございます。
スレ主さんやその後に投稿された方々と同じような経験をもっています。
放任であったぶん自分の中にたくましさが育ち、独身時代までは、それを武器に強く生きていたように思います。
回りの友達は甘やかされて育っているように見えました。
ところが子どもを持ってみると自分も外面を気にする人間で自分の子どもを二の次にすることが分かりました。
そしてずいぶん自分の子どもを精神的に傷つけていると感じています。
また、自分の親を反面教師にして、子どもたちの歯の健康、食生活は生んでから今まで気を配ってきました。
昭和40年代に私は育ちましたので、歯の健康、食生活は当時の親世代はあまり気にしなかったのかも知れませんが、
私の歯は子どもの頃からボロボロで食生活で好き嫌いが多かった事は自分でも覚えているのですが、
ちゃんとした食事を家族でしている記憶がありません。
今でも母はお菓子で一食としてしまうことがあるくらいです。
小さい時、兄が好奇心でゴルフボールをカッターで真っ二つに割っていました。
その時、中央部分に入っていた圧縮されたゴムが飛び出し兄の目に直撃したのです。
父はその時、兄が失明するのではないかと思ったと後で話していました。
しかし母は、その現場にいたのにも関わらず本棚の前に行き一冊の本を取り出し
手にとってヒラヒラとページをめくっていました。
母の仕事に関する本でした。
幸い兄の眼には異常はありませんでしたが、あの時の母の後姿は忘れられません。
しかし、自分の子が怪我をして痛がっている様子を「大袈裟だな…」と見てしまう自分もいるのです。
夫は、私の子育てを「可愛がるけど、世話をしない」と言います。
また私が放任で育てられたという話をすると
「放任で育てられた人はストレスに弱い」と言います。
何人か私以外にもそういう例を見てきたようです。
夫は親の愛情に恵まれ丁寧に育てられた様子が見ていてよくわかります。
そして夫にはストレスというものがないように見えます。そして精神的にとても強いです。
子育てをして初めて、親の愛情が大切なんだと知りました。
しかし、どうしたら子どもを愛せるのか分からなくなってしまうこともあります。
子を持って知る親の恩と言いますが、
贅沢な話だと思いますが、
子を持って知る自分の親の手抜き
というのもあるなと思います。
文章支離滅裂で申し訳ありません。
いつのまにか自分も・・・様
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おっしゃっていること、本当によくわかります。
自分で意識できたことは直せるのですが、そうでないことは、してもらったようにしか、
子供にしてあげられないのですよね。
でも、試行錯誤を繰り返し、その都度修正してゆくしかありませんよね。
私は、もう母に対して期待も恨みも持っていないと思うのですが、なんというのか、
学習不足とでもいうのか、母にしてもらわなかったせいで、気が回らないことが、やっぱり
たくさんあります。そういう時は、プラス思考で、「これを初めて学べたのだわ」と
思うようにしています。母自身が、学ぶ機会を逸したのだとしたら、仕方ないですもん。
私はせめて、子供の世話をおざなりにしてしまった時などは、後で率直に子供に謝るようにしています。
ただ、いつのまにか自分も・・・様が言われる、ストレスに弱いという点(私も同様です)については、これこそ自分の子育てのなかで最も気をつけているです。
子供が何か成し遂げたり、わが道を見つけたり、ストレスのなかで頑張れたりするのは、確かに本人の力なのですが、最後の1歩のところで「だいじょうぶよ」とか、「あなたならできるわ」とか、言ってもらうことが大事なんですよね。自己信頼感て、100%本人だけで作り上げられるものではないから。
自分の子供には、他の何より、このことだけははずせないと思って、努めて、励ましたり、褒めたりするようにしています。そして、子供が困っている時には、どれほど役に立つかはともあれ、とにかく寄り添うようにしています。
いつのまにか様のことをよく理解してくれる素敵なだんな様に恵まれているんですもの、徐々に良くなっていくように思いますよ。
エニアグラム様
まさか私宛に返信をいただけるとは思っておりませんでした。
何度も読み返させていただいてきました。
返信をしていなかった事をお許しください。
ここ一週間、子どもとの関係が悪化する一方で
もともとこういったストレスに弱いものですから…。
お互い精神的に傷つけあっています。
子どもが憎くさえ感じ、私も親もこんなふうに
私を憎く思ったのだろうと再確認してしまうのです。
自分が壊れてしまう日が近いような気がします。
病院にいこうと思います。
親のせいにしてはいけませんね。
すいません。詳しく書く力が今ないので書けませんし、
今後返信も出来ないと思うので失礼をすると思いますがお許しください。
同じような親をもつ身として皆さんのご意見、心にしみます。
一般的な普通の人の意見としては、モルりんさんのような反応が多いと思います。
今うちの親もそういう状態で確かに手がかかりません。
吉行和子さんが、お母さんが100歳近くなって初めて旅行に一緒に言ったという話をされていましたね。
今、「毒になる親」という本を読んでいます。
問題は傷ついた心を自分で修復していかなくてはいけないというところです。
本では、本音の部分を親にぶつけるというやり方ですが、現実には難しいでしょうね。
うちは、もう故人になってしまった父もいますし。
しかし、自分は悪くないと思い自己を正当化するところからはじめていかないといけませんね。
今は親に傷つくことを言われた一つ一つを消化していく勇気がほしいです。
「白夜行」を読んですごく感動してしまったのは、自分と似てるとおもったからかもしれません。
先のレスにあった性格の本も読んでみますね。
けっこういるもんなんですねー、私の母も似たような感じです。
娘である私の行っていた大学の名前も知らないし、高校は知ってるけど
受験の時に併願して最終的にそこを選んだことは知らなかったし(単願で
入ったものと思っていた)
まあ、そのくらいは別にいいかぁ、程度に思ってましたが・・・
私が高校生の時ちょっとした病気で入院、手術となった日、母は友人と旅行に行って
しまいました。まあ、あの人ならそれもあるだろう程度に思っていたのですが
この時ばかりは父の様子がかなり変でした。
何年も経ってから父に聞いたのですが、私の病気は悪性腫瘍(つまりガン)の
疑いがあっての手術だったそうで。父は目の前真っ暗状態だけど私に悟られちゃ
いけないと必死だったそうです。事情を知りながら、「自分がいたからって
娘の病気が良性と出るか悪性と出るか、かわるわけじゃないんだし」と、旅行を
優先させた母。私本人は事情を知らないわけですから、どうとも思わなかったけれど
父はさぞ苦しかったことでしょう。(腫瘍は良性、私はピンピンしています)
幸い、うちは父親がしっかり母親役もしていたので、サビシイとか愛されたいとか
考えたこともなかったのですが、自分が親になってみてビックリ。
こーんなに手がかかって大変で、でもおもしろくって目が離せない「わが子」に
無関心でいられた母って一体何者!? と。
虐待されたわけじゃないし、特に恨みもない。でも(母が)病気した時は、そのまま
助からなくてもいいぞー、後が面倒だから、とサラッと思いましたねぇ。
(助かっちゃいましたが) 嫌いじゃないけど、好きでもない。淡々とした関係
は、それが当たり前と思ってると楽ですねー。




































