女子美の中高大連携授業
子育てって本能的なものでしょうか?(母への愚痴入り)
関西在住の40代で現在5年生の子どもがいる母です。
過去に、子どもがまだ幼児期だった頃に、子育て友達に話してみたことがあるのですが
その時にはあまり共感してもらえなかったようなのですが投稿させて頂きます。
ズバリ一言で言うと「子育てって本能的」なものではないでしょうか?
子どもが幼児期の頃には思い出そうと思っているわけではないのに
不思議と、自分の幼児期のことが思い出されました。
そういえば、あの時に親がこうしていた、ああしていたなど、とりとめのないことです。
子どもが学童期になれば、自分が育てられていたように
自分がそのようにしたくなくても無意識に同じような子育てをしている私がいます。
親に言われて嫌だった事を言わないようにと、頭では分かっていても
感情的になった時等、知らず知らずのうちに同じ事を言っていたりやっていたり・・・。
これについては、虐待なども含めてよく取り沙汰されることですが。
それ以外にも、当時の事を(特に嫌な事や不安なこと)無性に思い出して悲しくなったり
不安で、いてもたってもいられなくなったり
何と表現していいのか分からないのですが、罪悪感のような気持ちが湧きあがったりすることもあります。
過去の話になりますが、
私の場合は母親に金銭的にケチられたという気持ちがとても強くあるのです。
また、弟と比べると私には厳しくあまり可愛がられずに育ったようにも感じます。
もちろん、愛情はあったのでしょうが、例えば欲しい物があっても
「あんたみたいに欲しがられると買う気がなくなる。黙っていれば買ってあげるのに」
(言わなければ、決して先に気付いて買うような母ではありません。)
「そんな余裕はないから買えない」等、かなり惨めな思いをしました。
当時、、両親は共働きでしたので、そこそこの収入はあったと思います。
父親はゴルフに行ったり趣味を満喫していましたし、母も何かと時間のある時に
習い事に行ったり高級な服を買っていました。
それは通勤にも必要だったのだと思いますが、その時に何で私には買ってくれないのかと尋ねると
「学校は制服があるからいらないでしょ。欲しければ将来自分で稼いで買いなさい。」と言われてやるせない思いをしました。
日常の服もほとんど持っていなかったです。
進学時も「○○(弟)の出来が良くないからあんたは必ず公立に行きなさい。
二人も私立には行かせられないから。」と大変なプレッシャーをかけられて
すごく負担に感じて受験(高校)前日は一睡も出来ずにとても辛い受験でした。
誕生日でさえも、小学生の頃は母は家におりましたので祝ってくれていたのだと思いますが
それ以降(仕事に行くようになってから)は、忘れられたり覚えていても
忙しかったのでしょうが、帰ってこられないことも多く
それならそれで、他の日に家族で祝うとか方法はいくらでもあったと思うのですが
私が自分で「今日は誕生日やで・・・」と言わなければ何もしてくれない母だったのです。
逆に父はプレゼントを買って帰ってくれたりしていましたので、父の優しさに救われた思いはあります。
前にも他スレで同じような内容を少し書いた事があるのですが、言葉でプレッシャーを与えたり
過干渉で攻撃する割りには、普段は放ったらかしの親でした。
子どもや、子どもの教育に関心がなかったのだと思います。
これらが未だにトラウマで、自分の子育てを通じてそれらの事が思い出されて、
子どもは思いっきり可愛がり、大事なイベントは忘れずに祝ってやりetc.
決して金銭的な事でプレッシャーをかけないように心がけたいと思っているのですが
その反面、つい「高いお金をかけて塾に行ってるんだから頑張りなさい」等と
余計な言葉が口をついて出てきます。そして大変後悔します。
また、可愛がろうと思っていても、どこかで放任だったり逆に過干渉だったりするのです。
このような過去の不満を思い出したのも、子どもが生まれて子育てをしている時に不思議と思い出されたのです。
それまでは、心の中に封印されていたのでしょうか、思い出すことはほとんどありませんでした。
「子育ては本能的なもの?」というスレにしたかったのですが
色々と思い出してしまい愚痴っぽくなってしまいました。
すみません。
愚痴は無視して下さって結構です。
自分の過去の事が、子育てを通して不思議と思い出されるとか、
そのせいで気持ちが乱れたり、あの時の親の気持ちはこういうことだったのだと気付いたり
知らぬ間に親と同じ事を言ったり、したりしている自分に嫌悪感を感じたりするということは
やはり野生動物同様に、人間も動物でありどこか本脳的に子育てをしているんだなあと
感じてしまうのです。
皆さんは、このように感じたりすることがありますか?
悪徳商法ですか。。他の宗教では、若い頃には、あなたの闇は先祖代々だと言われたり、家が日蓮だからと有名どころから入会を迫られたりしたことがありました。それとは別に、宗教団体のセミナーに参加し、実際に連れていかれて忽然といなくなってしまった知り合いもいました。私も、疑ってみる癖はついているかもしれません。
まあ、今までが今までのオカルトの歴史ですから、そう思われる方も多いと思います。また、科学的に証拠を見せろ、という方もまだまだ多いですからね。私も、なにやら宗教に入会、とかそんなところはまっぴらゴメンです。
でも、江原啓之さんは、なんとか宗教団体の長とかではないです。まったく個人お一人で研究所を開いていて、奥様が事務。お弟子さんとかいうのも一人もいません。団体がないのですから、誰も入会とかしていないと思いますし、一般人は悩み相談なども今は受け付けていません。
私が登録したのは携帯ですが、サイトを見るのも時々メッセージを受けたいな、と思った時だけです。
デコメやゲームなどで月300円、プラスパケット通信料というのと同じです。
数珠とか、壺とか金券とかも売ってないし、何人入会させたらカルマが上がるとかのノルマもないです。
それも、カルマが上がるとか下がるではなく、自分がしたことは良いことも悪いことも全て自分に戻ってくる、これがカルマといいます、という説明だけです。
水晶や、粗塩が浄化に役立ちます、とも仰っていますが、販売もしていないです。自分で欲しければ、自分で用意しましょうねー、くらいです。
ただ私は、自分に必要なものと思う言葉を信じてみようかな、という言葉がそこにあるように感じています。
どちらにしても、生まれてこの方ずっと幸せ、に生きてきた人には分からないかな。。
今は、試練があるほうが、魂的には、大きな成長があるのだと思っています。
ずっと幸せ、と書きましたが、それは本当の幸せさえも実は分かっていないのかもしれない、だから、不幸な、と思えるような実際なんて考えたくもないのでしょう、人の話を聞いては、自分には耐えられそうもない話しばかり。恐怖でしかないのかもしれない。
でも、優しさだって、辛い思いをしているからこそ分かるもの。薄っぺらな優しさか、本当の優しさか、他人のために言っているのか、自分中心でものを言ってるかなんてことも見抜く力も備わるものです。
騙されるうちは、誰かにどうにかしてもらおう、と甘えているんだと思います、つけ込まれるということは。
苦しみから抜け出すのは、あくまでも自分自身です。
江原さんは、自分をどうにかしなさい、内観しましょう、と仰っています。
つい先程目撃した光景が目に焼きつき、忘れられそうにありません。
わたしの目の前を歩く若い女性。巻き髪をゆらし完璧なメイクの横顔に高いヒール靴。ガラスに映る自分の姿をチラチラと眺めながら、颯爽と歩いていく・・・その後ろを小走りでついていく2歳くらいの男の子。雑踏の中を必死でその若い女性のあとを追っていくのです。
デパートの重いガラスの扉を手で押して入る時も、その女性はまったく後ろを振り返らず、戻ってくる扉を押さえようともしなかった。男の子は隙間をすりぬけて通っていきました。デパートに入ってから男の子は女性の横へ追いつき、顔を見上げ女性の左手に自分の右手をのばし握ろうとしては、すっとかわされていました。何度も何度も・・・。
ああ、あのかわいらしい男の子はあんなにもお母さんが大好きで、自分を見てほしくて手をつないでほしくてたまらないのに、あの若く美しいお母さんは何故それをわかってあげられないの?あんなに小さくてあんなに必死に手をのばしているのに何故受けとめてあげられないの?胸がしめつけられました。
子どもは無条件で愛され守られるもの。ましてや自分の子どもは愛おしくてたまらないもの。人間の本能として誰しもが持っている感情と思いたいけれども、こういった悲しい光景を目の当たりにしたり、最近の小学生たちの思いやりの心が育っていない様子を見るにつけ、愛する本能の欠如した親に育てられた、どこか欠落した心の子どもたちが増えていくのだろうと思います。
痛ましい事件が多いですね。
今の若いお母さん達は、まず自分の生活があって次に子育て…と考えていらっしゃるようです。
本当に綺麗に巻き髪にして完璧にお化粧もして乳母車を押しているお母さんを多く見掛けます。
一昔前は、綺麗でも小さなお子さんの手を引いているお母さんの横顔は、まさに”お母さん”でした。
でも、お母さんとして本当に輝いて見えたもの…。
今は、一人で歩いていたら、みんな独身に見えそうなお母さんばかり。
子供の泣き声を聞いて、今どうして欲しいのか?なんて考える優しいお母さんなんて、果たしてどれ位いるのでしょう。
ただ、「うるさいな〜!」としか感じないお母さんの方が多いような気がします。




































