インターエデュPICKUP
51 コメント 最終更新:

1/2成人式

【1798228】
スレッド作成者: ぱぱりん (ID:qu7ylnh4sSM)
2010年 07月 14日 10:29

皆さんのところでも、3学期になると二分の一成人式ありませんか?
あれって、いつから始まったのでしょうか? 総合学習が始まってからですか?

実は今年の2月にうちの子の二分の一成人式があって出席したんですけど、率直に言って、違和感をおぼえました。
舞台上で子供たちがあれこれせりふを言ったり、歌ったりするんですけど、どれもこれも自然じゃないというか、
子供がこんなこといわない!ていう感じを受けました。

特に、「産んでくれてありがとう¥」、「育ててくれてありがとう」にはドン引きしました。
親として、そんな言葉は欲しくないですし、子供が自発的にそんなことを言うはずもない。
親子の言葉ではいわく言いがたい言わずもがなの感謝の気持ちとか、その表現方法があるじゃないですか?
そんなものとはまったく異質ななんて言うんでしょう、人工的というのかわざとらしいというのか。
ありていに言えば、教師がつくって子供たちに言わせている、子供たちはただ言わされているって印象を受けました。

なかには涙流して感動している親もいましたけど、私は「こんなのなんで必要なの?」という印象しかありません。
2年後には下の子のそれに出なければならないのですが、正直言ってイヤです。

学校の先生方も大変だとは思うんですけど、「産んでくれてありがとう」なんて、ご自分のご両親に面と向かって言われたことあるんでしょうか? 普通、ないんじゃないですか? 言葉に出してしまってはかえって・・・ということありますよね? そこらあたりの人間関係のリアリティーというものが、先生方というか教育現場には欠けているのでは?だから、学校の先生は世間知らずとか言われてしまうのではないでしょうか?

私は、1/2、あえて必要な行事だとは思いませんけど、皆さんいかがですか?

やるなら、いかにも「大人が作って子供にやらせている」っていうのは、カンベンして欲しいです。「産んでくれて」、「育ててくれて」は要らないです!

【1799217】 投稿者: 剣 桃太郎   (ID:5DWQaYQPenw)
投稿日時:2010年 07月 15日 12:36

1/2成人式って、そんなに強制されてやっているものなんですか?
しかも「公衆」の面前で。
 
うちでは、授業参観で作文を発表する程度のものなので、
その雰囲気が分からなかったのですね、すみません。
 
生い立ちを発表することが、そんなに悪いことですか?
いろんな環境があり、いろんな育ち方をしている人がいると、知ることは、子供にとっても、親にとっても有意義なことだと思います。

【1799239】 投稿者: スレ主です。   (ID:qu7ylnh4sSM)
投稿日時:2010年 07月 15日 13:14

私の書きようが悪かったと思います。

私的には、子供が大人にいわれたのではなく自分のことばで「産んでくれて・・」なら、それは子供の心のなかから自発的に出てきた言葉なのでよいと思います。(もっとも、子供自らそんなことをいうケースって滅多にないと思いますけど)

でも、うちの子供の場合はそうではなかったのです。先生が作ったシナリオがあって、その中のセリフとして「さあ、ステージのうえでみんな声を揃えてっ!」という「産んでくれて」だったのです。現にわたしは、子供に台本を見せてもらっていますから。

子供は、大人=教師の糸に乗せられて、言われるがままに一学年百数十人が声をそろえて「産んでくれて」、「育ててくれ」だったのです。

それで、親子のいわずもがなの関係のなかに、他人にいきなり素手を突っ込まれたような嫌なという不快な気持ちになってしまいました。

子供たちは個々に手紙も書きましたが、それは発表せず、親に直接渡してくれました。

ところで、生い立ち云々の件ですが、生い立ちを他人の面前で言うことが悪いとは必ずしも思いません。さもなくば、自伝はX、日経新聞の「私の履歴書」なんかもXということになります。

ただ、大人が書く自伝と学校で子供がする生い立ち発表の大きな違いは、自主性でしょうねえ。

地域や学区によっては、わけありの家庭が多いというところもありますから、そういうところでは、やはり
生い立ちをしゃべらせるのはまずいということになります。昔某所の花街で若い学級担任が子供に「ぼく(わたし)のお父さん」という作文を書かせて保護者の猛反発をくらったなんて話があります。今はそこまで極端なケースはないんでしょうけど、地方の温泉街なんか、わけありの母子家庭なんてのが今でもちょくちょうありまして、そんなところにある学校で、
「私の生い立ち」というのはうまくないんですよ。親だけじゃなく、子供もつらい。

いろいろな環境を知るということは良いことですが、その一方で知られたくない人たちもいるんです。そのあたり、学校側がきめ細かい対応をしないと、かえって子供を傷つけます。

【1799254】 投稿者: ?   (ID:uPSkNEdLro.)
投稿日時:2010年 07月 15日 13:30

10歳といえば節目の卒業まであと1~2年。


卒業時に今までの思い出とかを発表してもらうならいいけど、いくら成人20歳の半分とは言ってもなんだか無理につくったみたいで中途半端な感じがします。

他にやることが山ほどあると思いますが・・・。

【1799258】 投稿者: 行事なしの学校へ   (ID:uZFwS3U0e9.)
投稿日時:2010年 07月 15日 13:37

10歳程度で自主性を前面に押し出して行事をさせたら
不揃いバラバラ個人差の目立った見栄えの悪いものになるでしょう。
それを嫌う親もいる。
まとまった見栄えの良い仕上がりを期待されるから
そうなってしまうのでしょう。
運動会の組み体操やマスゲーム然り。



「産んでくれてありがとう」というセリフ。
確か、10歳位が思春期前の
「産んでもらった側」の立場・気持から発言できる
最後の時期にあたるそうですよ。まだ甘えたい年頃。
それ以降は、思春期に差し掛かる。
だからその頃に、赤ちゃん時の写真や思い出の品をみて
自分の生い立ち、「子ども時代の自分史」を振り返り、総括する。
それが、「二分の一成人式」
運動会や展覧会とは一風違った内面的な成長を祝うものでしょう。
それ以上になると、性教育が入ってきて別の意味合いになってくる
心配しなくとも、それ以上に成長されると、
「産んでくれてありがとう」どころか、
「別に」が会話のすべてだったりしますから。



勝手に感想を言われるのも自由ですが、
親も素直になって、成長を喜び、
頑張ったお子さんたちを褒めてあげるのも忘れずにね。

【1799455】 投稿者: 10歳   (ID:6OPx713DpMQ)
投稿日時:2010年 07月 15日 18:28

たぶん、スレ主さんの違和感は、親と子供の間の個人的な親密なお祝いを、公でステレオタイプなものにまとめられたことに対するデリカシーのなさに感じたのではないかと思います。
 
20歳の成人式は選挙権も与えられる年になったという事で「社会人の自覚を促す」意味もあってのイベントだと思いますが、
10歳には現代では公にするような意味合いが本来ないのに、まあ生い立ちを振り返る道徳的・教育的なものに利用できるという事ではやってきたように思います。
 
でも小学生の時期は子供によって成長のペースに差が大きい時ですから、
一斉に発表するのはなんか無理が生じそうですよね。
 
話はずれますが、卒業式にする全員合唱や思い出を一言ずつ叫ぶような演出はそれなりに感動を与えるものですよね。

個人的なものは卒業文集に書かれます。

文集の形にすればいいのにね。
自然だと思います。そうしていたクラスもありました。
 
卒業の時に書かせる《将来の夢》も、成長の早い子供ほど迷うものだと思います。
「夢」を持つことが「善」である、生まれたことを親に感謝するのが「善」であるという価値観ははたしてただしいのか、考える子供もいるかもしれませんね。

ただ、学校という場はそういう「平均的な価値観」を学ぶ場だと割り切ればいいのかも。

学校での発表会はそれとして、それを機会にそれぞれの親子で今までの成長を話しあってみたりするのもいいかもしれませんね。そのきっかけ程度に考えればいいのでは。

一つだけやめてほしいのは、先生の価値観を子供に押し付けることですね。
それさえなければ子供はあくまで自由です。

【1799898】 投稿者: スレ主ですが、   (ID:.iDJtWJfRKI)
投稿日時:2010年 07月 16日 06:15

行事なしの学校さんへさんは、少々私の言わんとしたことを誤解されているのではないでしょうか?

私は自主性ということばを生い立ち発表について言及して使いました。たしかに、おっしゃる通りで、一般論として、小学校レベルで自主性重視では行事も成り立ちません。

自主性というのは、大人が書いた自伝と一部に二分の一成人式でさせられるという生い立ち発表の違いについて述べたもので、学校行事そのものあるいは全般に対して自主性を重んじろなどとは一言も言っていません。

私の言わんとしたのは、生い立ち発表に関して、子どもそれぞれいろいろな事情を抱えています。温泉街のわけあり親子でなくとも、離婚等が当たり前の昨今。親と生き別れた子どももいます。離婚がより一般的なアメリカ等では子どもも平気などという話もありますが、実はそうではなく、心の傷を負っている子どもが少なからずいるというそうです。私も若い頃米国で数年を過ごしましたが、複数の友人の親が離婚を経験。必ずしもあっけらかんというわけではなく、むしろあえて「親も一個人としての幸せを追求する権利がある」みたいな考えにそって、平静を装っているというのが実態という印象を受けました。まあ、離婚は一例ですが、語りたくない生い立ちをもった子もいるという現実を考えれば、一律に「語らせる」というのは、いかがなものかと思ったのです。現に花街のケースは、担任は即刻担任を外されました。場合によっては、当事者にとって、生い立ちを明かすということはそれほど敏感な問題なんです。ないがなんでも、生い立ち発表でなくてはならないということではないでしょう? そのあたり、教師も人の子、人の親であるならば、もう少し人情の機微というものを示してもよい。それこそ心の教育では?

勝手に感想を言われるのも事由だ、素直になれとのことですが、素直な気持ち、100人以上の子供が壇上から声を揃えて「産んでくれてありがとう!」というのは、違和感がありました。親子関係を水臭いものにされてしまったような感じがして、素直な気持ち拒絶感を感じましたが? それでも、私が素直でないと言われてしまうのであれば、それはもはや行事なしの学校さんの「勝手な感想」であって私の心のうちにあるものではないという他ありません。

【1800030】 投稿者: 私は   (ID:4urpVzmeiGU)
投稿日時:2010年 07月 16日 09:44

スレヌシさんの「なんだかなあ…」な、もやもやしたような気持ち、共感できます。
別に行事に反対というわけではないのですが…。
言葉では言い表しにくいのですが、やっぱり「なんだかなあ…」なんです。

【1800042】 投稿者: 行事なしの学校さんへ   (ID:uZFwS3U0e9.)
投稿日時:2010年 07月 16日 09:55

お気を悪くされたようですね、
そんな深い意味はありません
いろんな事に文句をつける方がいるなぁ、
というのが素直な感想です。


20歳の成人式まではかなりあるけれど、
10歳になったんだなぁ、という区切りの行事として
良い試みであると私は思いました。
膨大な練習時間を費やす運動会より余程好きです。
現に、スレ主さんの行事の際にも、涙を流していらした
親御さんもいらっしゃるようですし。


セリフに文句付けて壊さないでほしいなぁ
そういう行事。
学年行事って臨機応変に決まる面もあるので、
クレームが入ると学校としては無難なものを目指し、
すぐに、つぶされて
「合唱会」だの「バレーボール会」とかになる。


「産んでくれて」「育ててくれて」ありがとう、
家庭の事情があるにしろ、子どもの側からすると、必ず、
「育ててくれた」「産んでくれた」誰かがきっといる訳です、
だから自分は10年という短い間に
平均3キロ、50センチ程度の赤ちゃんから
心身ともにこんなに大きくなった。
次の10年とは全く違った意味での10年です。だから、2分の1。
自発的にではなく無邪気に言わされているとしても、
普段は面と向かっては言えなくとも、
そういうセリフを皆で言ってみる事も良いと思いますよ。
別に言わされてる訳だから仕方ないけどさぁ、なんて言い訳しながら、
そこに居る誰か、そこにいる事の出来ない誰かに。
意外に子どもって、(感じない子も多いかも知れませんが)、
何となく心に残っているかも。


決まりセリフの大合唱がそれ程気に障るなら、
下のお子さんの学年でより素晴らしいプレゼンテーション、
もしくは行事の代替案を提示されてみたらいかがでしょう
壊す方向でなく創造する方向で。
創造的な提案と話し合いは担任と理解を深める良い機会にもなりますよ。


目くじら立てずに、親子の絆的な事は親子でじっくりと、
確認する時間を持たれるとよいのでは。

スペシャル連載

すべて見る

サイトメニュー