女子美の中高大連携授業
1/2成人式
皆さんのところでも、3学期になると二分の一成人式ありませんか?
あれって、いつから始まったのでしょうか? 総合学習が始まってからですか?
実は今年の2月にうちの子の二分の一成人式があって出席したんですけど、率直に言って、違和感をおぼえました。
舞台上で子供たちがあれこれせりふを言ったり、歌ったりするんですけど、どれもこれも自然じゃないというか、
子供がこんなこといわない!ていう感じを受けました。
特に、「産んでくれてありがとう¥」、「育ててくれてありがとう」にはドン引きしました。
親として、そんな言葉は欲しくないですし、子供が自発的にそんなことを言うはずもない。
親子の言葉ではいわく言いがたい言わずもがなの感謝の気持ちとか、その表現方法があるじゃないですか?
そんなものとはまったく異質ななんて言うんでしょう、人工的というのかわざとらしいというのか。
ありていに言えば、教師がつくって子供たちに言わせている、子供たちはただ言わされているって印象を受けました。
なかには涙流して感動している親もいましたけど、私は「こんなのなんで必要なの?」という印象しかありません。
2年後には下の子のそれに出なければならないのですが、正直言ってイヤです。
学校の先生方も大変だとは思うんですけど、「産んでくれてありがとう」なんて、ご自分のご両親に面と向かって言われたことあるんでしょうか? 普通、ないんじゃないですか? 言葉に出してしまってはかえって・・・ということありますよね? そこらあたりの人間関係のリアリティーというものが、先生方というか教育現場には欠けているのでは?だから、学校の先生は世間知らずとか言われてしまうのではないでしょうか?
私は、1/2、あえて必要な行事だとは思いませんけど、皆さんいかがですか?
やるなら、いかにも「大人が作って子供にやらせている」っていうのは、カンベンして欲しいです。「産んでくれて」、「育ててくれて」は要らないです!
なんだかなあ、の気持ちわかります。
ある意味幸せでない場合ほど、心が早く育つので、
「ありがとう」のセリフは残酷かもですよね。
それに(いちゃもんみたいだけど)「産んでくれてありがとう」っていうセリフ、全員で言うにはあまり素敵と思えないし。
先生がどれだけ繊細な心に寄り添える人柄かで、小学校の行事って同じものでも変わってしまいますよね。
そういえば、私の尊敬する児童精神科医の方の言葉のなかに「子どもは子どものうちは親に感謝などしなくて良い」というような意味のことありました。
なるほどなあ、と思いました。
ちなみに、わが子の学校ではなかったですが、親戚の子どもの学校にはあり、その時は頼まれて「20歳の○○さんへ」という手紙を書きました。封印して20歳の時読むそうです。
それはおもしろいなあ、と思いました。
自分史は、私自身は小学校卒業の時、作文の一環として書きました。もちろん、皆の前で発表するようなことはありませんでした。
違和感を感じたら世間や学校に訴える、必要だと思います。
理想は、提供される教育が始めから完璧。
しかしながら現実にはそれは難しい。
ならば保護者が感じた違和感を伝えるくらいの余地はあけておいてほしい。
行事の運営に人手が必要ならボランティアもやぶさかではないけど、
ここで混同したくないのが保護者と教師の役割分担。
企画はあくまでも教育者サイドでしてもらわないと。
「こども」っていうのは、大人がそのまま小さいのとはわけが違うじゃない。
中には「産んでくれて、育ててくれてありがとう」と思わなきゃいけない呪縛に
苦しんでいる子供や子供時代を過ごした大人だっているんですよ。
生い立ちについては、調べることに「意味」はあると思うけど、必ずしも結果がその子にとって「善」とは
ならないかもしれない。
調べたことを、大人なら語りたければ語ればいいし、語ってと言われて嫌なら断れるけど、
10才のこどもにはその判断はまだ出来ない。
ご自分のお子さんの1/2成人式に肯定的だった方の学校では、それらの配慮がされた式や活動だったか、
あるいはそうした配慮のいらない、いわゆる「幸せ」な子だけが通う恵まれた環境の学校なんでしょう。
それはそれでとても良いことだと思いますよ。
でも中にはそうした配慮がなく、傷ついてしまった子や、これから傷ついてしまう子が
いるかもしれない。
それを心配してるんですよ。
スレ主さんへ
10才の子が、頭では理解していないかもしれないけど親に対して感じている「感謝」の気持ち、そのことは100人以上の子に一斉に言わせなくても、母として十分感じているし、単刀直入な言葉を教えて言わせるのではなく、もしやるのなら10才なりの感じ方で親への思いを考えさせてほしかった。そういうことですか。
補足です。
例えば子供を産んですぐに母親が蒸発なり育児放棄なりしてしまったとします。
その子はおばあちゃんが大事に育てているとします。
こんな時、10才くらいの子供だったら「私は母親に捨てられた。だから他の子みたいにお母さんがいなくてさびしい。
おばあちゃんなんかじゃなくお母さんがほしい!」
と思う子は多いと思います。
でも世間は「おばあちゃんに育ててもらったことを感謝しなければいけません」、
「おばあちゃんに大事に育ててもらってあなたは幸せ」となりがち。
またその子にしてみれば、こんなさびしい思いをするなら生まれてこなければ良かった、という気持ちにもなりやすい。
その結果「自分は育ててくれたおばあちゃんにも、産んだお母さんにも素直に感謝できない悪い子」だと思い込んで苦しむ。
産みの親、育ての親に感謝するべきだという呪縛に苦しむというのは、こういう例を言いたかったのです。
スレヌシさんもそうだと思うんだけど、
(意見を読んで)
気に障るとかそういうんじゃない、と思う。
やっぱり、
なんだかなあ…しか表現できないけど。
文句つけるとかそういうんでもないだろうし、
目くじらとかとも違う…。
どうして「反対」とか「目くじら」とか「文句」とか
そういう解釈になるのかなあ、なんだかなあ。
うんうん。
生い立ちは個人的でそれぞれのものなのに
統一して言わせるのがそもそもおかしいですね。
子供が親に感謝するのは誰もが賛同する《善きこと》という価値観に疑問がないというのが、
大雑把な学校教育というものなのです。
そしてそれは親たちが喜ぶものだという思い込みがあるのでしょう。
親子の関係というのは結構微妙なもので、「それぞれ」の形がある。
そこを尊重してほしいですね。
子供たちをなんか知らないけれど「洗脳」されているような気になりますよね。
いちいち気にしていたら身が持たないかもしれませんが、
デリカシーというものを育てるのも教育ですものね。
それとは別に、
卒業式や出発式などのあいさつでも、このごろは先生や親や先輩への感謝の気持ちを言う時に、「○○してくれた・・・」「○○してくれて・・」という表現を使うのが気になります。
「してくださって」と言ってほしい。
逆に親が子供に対することでは「○○してやって・・」と言ってほしい。
言わぬがはな
言わずもがな
ではないですが、言葉に出さないからこそ、という感情ってありませんか?
あるいは、文学者でもない限り、とても簡単な言語表現には言い表せない思いってありませんか?
あるいは、子どもの心のなかに漠としたかたちでありながら、まだ彼らの精神年齢や能力では言い現せないような思いってあるんじゃないでしょうか?
それを大人の手で大人の感覚で言葉に置き換えられてしまう。
そこに親子の情の結びつきみたいな部分に、いきなり手を突っ込まれたというか、土足で入り込まれたような気分を不意に、あの場で味わってしまったんです。
「産んでくれてありがとう」に無機的なものを感じてしまって。
あくまでも私の個人的な感情から出た思いで、それに対して皆さんいろいろおありでしょうし、学校としても、いろいろおありでしょうけど、生い立ち発表も含めて、
もう少し、人の情、人同士の感情の交錯を含めた人間関係の機微というものに敏感であっても良いのではないかと思うのです。
そういうのって、自分が親になって初めて親のありがたさが分かるもんでしょ。
10歳の子供にいくら言ってもありがたさなんて分からないと思います。
特に、「産む」「育てる」というのは親側の権利と義務であって、
そのことで子供にありがとうと言わせるのは、ちょっと違う気がします。
「料理作ってくれてありがとう」とか「働いてくれてありがとう」
だったら、言われて嬉しいですが。
それに、10歳じゃまだまだ育児の途中ですよね。
20歳で「育ててくれてありがとう」はまだ理解できるけど、
10歳でそんなこと言われたら「まだまだ大変なのはこれからじゃ!」
と、つっこみたくなります。
うちの娘が読んでいた少女マンガに、バースディパーティで
お誕生日の子に「生まれてきてくれてありがとう!」と言っていたのも
ものすごーい、違和感がありました。




































