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哲学について語りませんか?

【655621】
スレッド作成者: 胡乱 (ID:S93o/W7FJDk)
2007年 06月 09日 17:40

国家の品格について語り合ってから早一年が経ちました。
その節は大変有意義な時間をありがとうございました。
ご意見を寄せてくださった皆さんの博識に感嘆し、
私自身も学びや気付きが多く、スレを立ててみて良かったと
思ったものでした。


その後、品格に関連する本を読んだり施設を訪ねたりしておりました。
首都圏に住んでおられる方、白州次郎邸が神奈川県にあるのを
ご存知でしょうか?品格のある人物として様々な書籍でも
取り上げられているので行ってみましたが、生活用品にも
残された資料から垣間見える言動にも確かに品格が漂っていました。
そこでよく目にした言葉、Principleは主義や主張といった意味ですが、
そこに哲学を感じました。
人が持つ主義や思想を理解しようとひもとき、それにロジックをはめて文章化すると
哲学の範疇に入ってくるように思います。
私はなんの変哲もない文学部英文科の出身なのですが、
人文系学部には哲学科を擁しているところもいくつかありますよね。
この期に及んで大変自分勝手なのですが、哲学を修められた方や
興味のある方、考えることが好きな方とまた語り合いたいなあ・・・
なんて思いまして、学際的スレとして立ててみました。
よろしかったらお付き合いください。


哲学といってもあまりに難しいことは考えていません。
今個人的に考えているのは、人はなぜ易きに流れるのか、です。
勉強から逃げて遊び呆けている子供たちをみて、心乱れています。
これに関しては、親としてのなんらかの達観が必要な私です。
私自身は昔からどちらかというと敢えて成り難い方を選ぶ性格です。
わからないことやできないことを放置できない性格、というだけのことですが、
世の中を見回すとそういった易き流れる例(タイムリーな事例では年金問題)
にはよく遭遇しますので、人の行動パターンとして哲学的に言えるのでは
ないかと。最近注目し始めた土屋賢ニ氏なら、なんと表現するだろうか、と。


【666805】 投稿者: 胡乱   (ID:S93o/W7FJDk)
投稿日時:2007年 06月 21日 22:33

あひゃ〜さん、
> そして、塾や私学が導入する。
> さらなる!格差社会の登場です!!!

格差社会って、一般の方がたは誰も望んでいませんよね・・
望んでいないのに、半ば「諦め」という「受容」をしているようにも見えます。
むしろ積極的に格差社会を狙っている方がましなくらい、
諦めなのかなんなのか、おとなしく行動しない。
公立が本腰を入れたら投入資金は私立の比じゃないし
教員の融通性だって規模だって、また隠れている人材を拾い上げるのも
相当な力となりえるのに、もったいないと思っていました。
格差社会は、結局最後はみんなが困ることになります。
全体おしなべて国力があがることは単なる理想で無理だとか
そうしなくて済む者まで躍起になってあげなくて良いだとか
の意見をこれまでも見かけましたが、やっぱり良くないものは
良くないのでは?と小さな声ですがあげていきたいと思います。


> 公立こそが開発導入し、手の掛からないまでに家庭で
> しつけを受けた児童生徒達は
> エキスパートシステムから、最適教育刺激を受ける。
> そして
> 空いたリアルマンパワーを、エキスパートシステムでは
> 指導不能な自動生徒の教導に向ければ、
> 塾要らずの、教育システムが出来るのに!!!


あひゃ〜さんの具体的処方・・ですね。
エキスパートシステムというのは、型のことを言うのですか?
から騒ぎさんのおっしゃるDSのようなハード&ソフトの利用、
これって、手っ取り早いのでしょうが、本来の学習からすると
対極にあるんですよね。がんがん詰め込まれるというか。
人間の柔らかな表現力から学び取る学習はもう時代遅れなのでしょうか。
何が言いたいのかって、
十を聞いて十の知識を得る(ほぼ当たり前)のが機械型のシステム、
一(まあ、ニ〜三くらいかな)聞いて十を自分から学び取るのが人間型システム。
機械型は効率重視すぎて臨機応変に対応できる人間の養成には
不向きだと思うのですが。与えられたことしかマスターできない。
(だから私は公文式が大きらいなんですよね・・。)


別視点で、塾要らずの、というよりも塾が学校に内包されてもいいかもしれませんね。
教員の補助目的で学校が塾(人材とシステムまるごと)を導入というのはいかがですか?
補習的補助と知的好奇心をくすぐる発展的なものとの両方。
中庸を受け持つのが学校。学校に行けば、補習も発展的学習も
両方フォローしてもらえる状況。帰宅後の通塾の負担が減ります。
あくまで人に拘りたいのですよね・・人間関係力ありきです。



中庸といえば、世の中の中庸こそが本来の多数派のはずなのに、
現代社会に中庸って存在していると思いますか?
中庸という価値観がすくなくなってきているような気がします。


あらら、そうすると中庸を受け持つ学校というのも矛盾ですね(汗



【666857】 投稿者: あひゃ〜   (ID:xScMcr7/.xk)
投稿日時:2007年 06月 21日 23:45

>>から騒ぎさん。
素晴らしい能力の、マスコットさんですね!
エキスパートシステムの可能性を、具体的に
>>胡乱さんに、
言語上で触れるが如く緻密に、表現して下されば
恩にきます!


私では、具体的開発現場の雰囲気等!知らない事は
表現不能ですし。
リアルな開発のお話、私も聞きたいし。

【666873】 投稿者: あひゃ〜   (ID:xScMcr7/.xk)
投稿日時:2007年 06月 21日 23:55

>>胡乱さん。
>エキスパートシステムというのは、型のことを言うのですか?
エキスパートシステムは、その分野の超一流権威達の
その分野におけるノウハウを、データーベースとして
集約した物です。
当然現代の情報テクノロジーに立脚した物ですから。
一度開発されれば、無数に無劣化でコピー可能です。
そして、適切な対人インターフェースと組み合わせれば。
誰でも、人間国宝級のその分野の名人と同等のバーチャル師匠の
ノウハウを、受け継ぐ事が出来るのです。

【666882】 投稿者: あひゃ〜   (ID:xScMcr7/.xk)
投稿日時:2007年 06月 22日 00:07

>>胡乱さん。
エキスパートシステムは、なんせ幾械だから
其の辺の名人には、及びも着かない忍耐力と
しつこさが、有るのよね〜!!!

【666907】 投稿者: あひゃ〜   (ID:xScMcr7/.xk)
投稿日時:2007年 06月 22日 01:05

>>胡乱さん。
>芸術には超感覚でしか表現できず感応できずの性質があるからでしょうね。
なんで?すぐに超自然的解釈を、するの?


アヒャ〜的には、
芸術は、その製作者の表現であり。
その受容者へのインパクトと訴求性は、
作者の内面的希求性と情熱に起因するため。
その合理?不合理!と無関係な、ある種の信念によって
個性付けられる!!!
したがって、製作者の信念体系を揺るがす思想は、
たとえ一般的合理的ものですら、
制作の著しい阻害要因と成り得る。


と!
思うけど!!!

【667498】 投稿者: ミジンコ   (ID:vGEUXAY8mh6)
投稿日時:2007年 06月 22日 21:20

> 中庸といえば、世の中の中庸こそが本来の多数派のはずなのに、
> 現代社会に中庸って存在していると思いますか?
> 中庸という価値観がすくなくなってきているような気がします。
--
「差別がある」と言えば自棄に陥る。
「差別がない」と言えば自暴に陥る。
 賢者は「ある」とも「ない」とも言えない。
--
「諦める」といえば自棄に陥る。
「諦めない」といえば自暴に陥る。
 賢者は「ある」とも「ない」とも言えない。
--
「ある」と「ない」の間に実解があるのかどうか。
それは賢者にも解らない。
--
中庸は賢者の見解。
賢者は石ころに混ざるダイヤモンド。

【667548】 投稿者: 胡乱   (ID:S93o/W7FJDk)
投稿日時:2007年 06月 22日 22:13

あひゃ〜 さん、
>>胡乱さん。
> >芸術には超感覚でしか表現できず感応できずの性質があるからでしょうね。
> なんで?すぐに超自然的解釈を、するの?


良いことを聞いてくださいました^^
ここまで自分が科学をどう見ているのか、特に考えをまとめて
いませんでしたがいい機会なので客観視してみます。
本当に、そう、私は超自然的解釈ばかりしていますね。
それは、科学で全て解決できるとは思っていないからです。
科学で解明できることはまだまだ少ないと思っているんですよね・・


芸術を科学的に解明しようとしている分野もあるのでしょうか?
もしあるとしても、近づこうとして近づくことはできても、
つまり真似はできても厳密に言うところの創作は無理なのでは?と考えます。

文芸。短文は可能でも小説などを書くほどの人口知能が
   実現可能か?出来たとして、言葉が活き活きとしているのか?
音楽。音階を並べて出来上がったものが完成度が高いとして、それに命があるのか?
絵画。絵心という概念的なものをコンピューターが学べるのか?
e.t.c.限りなく人智としてのreal thingに近い出来だとして、
逆に胡散臭さとか人間くささとか蓋然性だとかを表現できるのか?
とまだ疑っているのです。


ここからは、芸術から離れて役に立つテクノロジーについて。
実際にはずいぶんとテクノロジーの恩恵を被って生きているし、今後期待もしています。
テクノロジーを非難するつもりは全くないので誤解していただきたくないのですが、
<<テクノロジーはおごり高ぶってはいけない>>と思うのです。
例えば、遺伝子操作で癌が解決するとしましょう。
本人も家族も癌という病の克服を大変喜びます。
私も自分の身の上にふりかかったら必ずやその助けを借ります。
そして、心から科学技術が発展していて良かった、と思うでしょう。
しかし、自然生命活動・自然の摂理としてみたとき、それは本当に良いことかどうか、
私にはなんともいえなくなってしまいます。
癌になってしまうことはなにかからのメッセージであり、そこで
本来の死を迎えるべきだったのか、打ち勝つものだったのかは
細胞が選ぶこと(アポトーシスというシステムが働くか否か)
だったのではないかと思うのです。それなのに作為があってよいのかどうか・・
科学技術はいつも自然の摂理(本来の姿・道・運命)への影響を意識していなければ
いけないのでは?とどうしても思ってしまうのです。自然界に対して畏敬の念を
持っていないととんでもないしっぺ返しに遭うという思い。
あるものをきわめていくと、必ずや限界がきて新しい概念が生まれるといいますね。
限界がきて次にシフトできればいいのですが、よもや地球を破滅に追いやるまで
気付かない、なんてことのないように願います・・


少し戻って、便利の追求というテクノロジーについて。
携帯電話の奴隷と化した我々ですが、例えば待ち合わせひとつとっても
可能性を想定して行動決定する、という能力を使わなくなってしまいました。
いきあたりばったりでも携帯ですぐに繋がるから、時間の流れに沿って
無駄のない行動が取れてしまう。一見そのほうが合理的だし便利です。
が、何らかの想定範囲外の出来事への対処能力は格段に落ちています。
人々は待つことが以前よりも苦手になっているし、情報受信過多による
受信感度の低下や早くて軽くて浅いのが良いという価値観、好むと好まざると
取捨選択を常に強いられているストレス常態に陥っています。
また、発信も過剰になってくると自ずと自己中心的になってしまいます。
便利については際限がないでしょうね。今は手に持つ携帯電話ですが、
そのうち画面は眼鏡のように受話器は耳にヘッドフォンのように身に纏い、
しまいには身体に埋め込んでしまうのでは?それくらい人の欲望には
際限がないですから・・
余談ですが、耳に近いところに電磁波を浴びている影響、これから
その影響がいかほどか出てくると思うのですが、脳腫瘍などの危険性も
計り知れませんね。(電磁波の影響は全ての家電製品にいえますが)


また、テクノロジー全般、科学はさまざまな現象の解明までは純粋な学問であるのに、
実用化を睨んだ時点で利益追求に転向していくものも見受けられます。
また、科学の道を選ぶ者の中には、いきなり「儲かるから」と言う人も。
いい悪いはさておき、科学はそれを行使する人の倫理観によって
行く末が心配になる学問だと思うのです。


あひゃ〜さんは、純粋に科学の応援団ですよね。
あひゃ〜さんのように、明るい未来を想定して可能性を広げていく
人材も応援団もあれば、胡乱のように怖がりで古臭いことを言う人間もいます。
でも大丈夫、このような考えを抱いているだけで、まったをかける力もなにも
ありません。(人畜無害)




【667585】 投稿者: あひゃ〜   (ID:xScMcr7/.xk)
投稿日時:2007年 06月 22日 22:45

>>胡乱さん。
>あひゃ〜さんは、純粋に科学の応援団ですよね。


あひゃ〜は、地球環境の悪化との競争だと思っています。
文明が崩壊する前に、タマシイと言う名のテクノロジーに
たどり着けるか?
其れ以前に、環境悪化と資源確保の軋轢で、
文明が崩壊するのか。
ギリギリの、タイムレースでしょう!!!

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