在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
哲学について語りませんか?
国家の品格について語り合ってから早一年が経ちました。
その節は大変有意義な時間をありがとうございました。
ご意見を寄せてくださった皆さんの博識に感嘆し、
私自身も学びや気付きが多く、スレを立ててみて良かったと
思ったものでした。
その後、品格に関連する本を読んだり施設を訪ねたりしておりました。
首都圏に住んでおられる方、白州次郎邸が神奈川県にあるのを
ご存知でしょうか?品格のある人物として様々な書籍でも
取り上げられているので行ってみましたが、生活用品にも
残された資料から垣間見える言動にも確かに品格が漂っていました。
そこでよく目にした言葉、Principleは主義や主張といった意味ですが、
そこに哲学を感じました。
人が持つ主義や思想を理解しようとひもとき、それにロジックをはめて文章化すると
哲学の範疇に入ってくるように思います。
私はなんの変哲もない文学部英文科の出身なのですが、
人文系学部には哲学科を擁しているところもいくつかありますよね。
この期に及んで大変自分勝手なのですが、哲学を修められた方や
興味のある方、考えることが好きな方とまた語り合いたいなあ・・・
なんて思いまして、学際的スレとして立ててみました。
よろしかったらお付き合いください。
哲学といってもあまりに難しいことは考えていません。
今個人的に考えているのは、人はなぜ易きに流れるのか、です。
勉強から逃げて遊び呆けている子供たちをみて、心乱れています。
これに関しては、親としてのなんらかの達観が必要な私です。
私自身は昔からどちらかというと敢えて成り難い方を選ぶ性格です。
わからないことやできないことを放置できない性格、というだけのことですが、
世の中を見回すとそういった易き流れる例(タイムリーな事例では年金問題)
にはよく遭遇しますので、人の行動パターンとして哲学的に言えるのでは
ないかと。最近注目し始めた土屋賢ニ氏なら、なんと表現するだろうか、と。
から騒ぎです。楽しく飲んで来ました。
胡乱さん
> から騒ぎさんの比喩は、個人とおっしゃってますが、
> 日本国政府のことを言っているのでは?と思いましたが
> 違いますか?日本政府の行動には品格はありませんね。
> ぴたりとあてはまると思います。
> でもから騒ぎさんは
> 「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」
> を引用されている・・ということは、日本を私とは正反対の立場で
> <ふがいない>と思われているのですよね。
個人の信条と書きましたが、日本人の意識というか精神性の例えです。
国民は日本人の集まりですから。
憲法は、政権が変わっても立法・行政に一貫した制限をはめるものですから、
日本国民の総意を示すものであると思います。
改憲には、国会議員の1/3の賛成で発議し、国民投票で過半数の承認が必要なわけですし。
「覚悟がすべてだ」ハムレット
「成熟がすべてだ」リア王
> それだから余計に、ミジンコさんの逆バージョンはすごい!と思えました。
> ミジンコさんの最後の 結局どちらの主人公もダメそうというクダリ、
> まさに表裏一体の証明とも思えました。
> 逆バージョンの主人公とは、まさに世界の警察を豪語する国に思えますもの。
あちら側は書かなかったのですが、お上手でしたね。
国家と国民意識も相通じてる気がします。
あひゃーさん、私が寝ている間に同名HNさんが出没していたのですね。
私に代わってご指摘ありがとうございました。
嬉しいです。
うっかり人のHNを使ってしまうことは私も過去にありましたが
気づいた時は謝罪しました。
でも知らないうちに潜在意識に私のHNが棲みついたということで
これこそミームかも!
そしてスピリチュアルな一致!!
・・把握が全く違っていたりして・・・・。
しょせん言葉と言うのはその人の受け取り方次第ですね。
だからこそおもしろいし怖い。
憲法にしても国家間の覚書にしても
「解釈」で多少幅を狭くも広くもできると言うのはわずかに残された自由度でしょうか。
学者もそこに活躍できるのでしょう。
でもだからこそとくに国際的には
「言葉」を使い、したたかに戦略的にしかし誠実さと真剣さを伝える外交手腕を持った代表者が不可欠だと思うのです。
もちろん「哲学」にも「科学」にも精通した人がいいですね。
「狂人」から身を守る手段は必要ですが
「狂人」の周りにまともな人が存在することを信じたいです。
哲学にとって、いかに生きるか?とともに、いかに死ぬか?は最大の問題ですね。
「人間は考える葦である」の言葉で有名なフランスの哲学者パスカルは、自らも物事を徹底的に考え抜いた人でした。
パスカルにとって、死は最大の関心事でした。
「死より確実なものはなく、死期より不確実なものはない」(パスカル)
「すべての人間は幸福になることを求めている。これには例外がない。そのための手段はいかに異なっていようとも、皆この目的に向かっている。意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。これはあらゆる人間の、自ら首をくくろうとする人々に至るまでの、あらゆる行為の動機である」
ところが、現実の人間はみな空しく、その空しさをまぎらわすために、常に気晴らしを求めている、と彼は言います。ではなぜ、人生はそんなに空しいのか?
「多数の人々が鎖につながれ、死刑を宣告されているさまを想像しよう。幾人かが日ごとに眼前で絞め殺され、残った者は、自分たちも同じ運命をたどることを悟り、悲しみと絶望の中で互いに顔を見合わせながら、自分の番がくるのを待っている。これが人間の状態なのである」
人間はいつかは死ぬ、その意味で、人間は生まれながらの死刑囚であるとパスカルは言います。
「来世(死後)の幸福に何の光も持たない者にとっては、幸福は存在しない」とまで述べています。
先に、文芸評論家の江藤淳さんが、強く生きることを説かれていたにも関わらず、妻に先立たれた失意と病苦が重なり、「形骸を断ずる」と遺書を残して自死された話がありましたが、通じるところがあるかも知れません。
自分の寿命や死期は分かりませんから、人間に選べるのは、いかに精一杯生きて、どう死ぬかですね。
ギリシャ哲学のキケロは、「哲学を究めるとは、死の準備をすることに他ならない」と言い、
キケロを愛読したフランスの哲学者モンテーニュは、「世のあらゆる知恵と理論は、結局、我々に死を少しも恐れないように教えるという一点に帰着する。」と言いました。
「あらかじめ死を考えておくことは自由を考えることである。死の習得は、我々をあらゆる隷属と拘束から解放する」
モンテーニュは、更に辛らつに指摘します。
「人生の有用さはその長さにあるのではなく、その使い方にある。長生きをしても、ほとんど生きなかった者もある」
今は亡き俳優の勝新太郎が、先立った石原裕次郎の葬儀で弔辞を述べました。
「世の中には、生きてても死んでる奴がいっぱいいるのに、死んでも生き続ける奴がいる。」
モンテーニュも、人生の真理を求めながら得られず、彼の苦悩は次第に深まっていきました。
「結局、我々には不変のものは何も存在しない。我々の判断も、たえず流転する」
哲学者の結論は大概このあたりに落ち着くのですが、そこからどうすべきかは誰も教えてくれません。
僕は実は、死ぬこと自体はあまり怖くないんですがね。
「明日の自分は今日とは違うかも知れない。未来はもっと良くなるだろう。」と思えば、今死んでしまうには惜しいこともいっぱいあって、子供の成長も楽しみなので、まだまだ生き長らえるつもりです。
胡乱さん、
わかりました。哲学...すべてつながりました。(私的に)
(昨日も、自衛隊駐屯地を車で通って、考えが深まりました。)
でも、西洋哲学始祖、タレスから約2500年以上前〜今を
勉強しすぎて疲れました。ちょっと、寝ようかな。
その前に、お二人に訊ねたいことがあります。
◆まず、あひゃ〜さん、冬吾さんから質問です。
「電磁ぱるす(EMP)で無になるって、新しい死って事でねぇべか?」
◆から騒ぎさん、本当に痒い所に手を届けてくれる方!(上記レスも有り難し!)
「赤の女王説、メビウスの輪ですか? それとも特異は別の輪ですか?」
新たな方もふえて楽しそう♪
「はかなさ」「マザーテレサ」「結晶」、何と美しい言葉の融合。
ふむふむさんの一言が、謎を説く鍵でした。
「あけぼの公園」「星の王子様ミュージアム」ググってみて下さい。いい所ですよ〜
「差別はあるか」(ライブ編)
あひゃ〜さん、
> >9条に見合う国家になりきれなかったところに問題があった
> >かの国にミサイルを向けさせる大義名分を与えているのは、紛れもなく
> >自国なのだと、まず認識することですね。
> あひゃ〜は、強い不快感と共に、上記の訂正と謝罪を求めます。
> あひゃ〜は、9条の想定に見合う周辺国家が、無かっただけだと思いますよ。
> あひゃ〜は、自らの子供達を無防備に国際社会の中に放置する事に、
> 決して同意しません。謝罪無ければ、>>>>胡乱さん。貴方は、私だけでなく
> 私の子供達の敵として今後執念深く敵対します。
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これは、胡乱さんの
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9条に見合う国家になりきれなかったところに問題があった、
ということです。せっかくの哲学の金言を唱えていても、当の本人が
中途半端な態度でいたら効果半減。せっかくの9条を台無しにしている
のは、中途半端な態度(自衛隊の保有)ですね。諸外国から
なんて胡散臭い国だろう、と思われても仕方ない行動をとっている。
かの国にミサイルを向けさせる大義名分を与えているのは、紛れもなく
自国なのだと、まず認識することですね。
9条を持ち、9条に思いを馳せる日本人としてのアイデンティティ。
ここのところのミーム(文化的な遺伝子?)はどうなっているのでしょう。
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という部分の抜粋に対してですが、胡乱さんのこの部分、私には大変難解
に思え、どのような解釈によって、あなたが、この文の何に対して
不快感を覚え、胡乱さんにどのような訂正を望み、胡乱さんが誰に対して
何を謝罪すれば良いのか?が見えてきません。
さらに、胡乱さんのこの文によって、なぜ、胡乱さんがあなたの子供の敵に
なるのか、どのような害が胡乱さんからあなたの子供に与えられるのか?
分かりません。
あなたは胡乱さんは分かると思っているのですか。
きっと困っていると思います。
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あなたも「同意です。」と言われたように、
『このスレは、胡乱さんの人徳ゆえに 維持されているスレです。
胡乱さんが居なければ、維持できないスレなのですから。(部外者さん)』
というのはこのスレの存在意義を感じる常連すべてとって前提のはずです。
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「ばかちょんカメラ」はあなたの言葉でしたね。語源が違うとはいえ、
かつて「ちょん」と卑しめられた人たちにとっては、不快感を覚える言葉
以上の差別語です。プラス解釈によっては普通の言葉として認めざるを
得ない発言に一発言者の不快感によって謝罪を求められ先々の敵対を宣言
される、そういった人間として本当に胡乱さんが値するのですか?
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もしあなたの
>今後執念深く敵対します。
が実行された場合、あるいはこの言葉によって胡乱さんのエデュでの自由な
発言に支障がきたされた場合、また、このスレの存在意義がなくなった場合、
私は、あなたを私の敵として今後執念深く敵対するということを、ここに
宣言しておきます。
>>ミジンコさん。
やる気なら、あひゃ〜は
受けてたちますよ。
先ず第一に、貴方の不当な言いがかり!!!
>666119
を、よく読んだ上!!!
謝罪をするか、
罵倒されるか!
選択の余地を与えます。
>>哲学堂さん。
>「電磁ぱるす(EMP)で無になるって、新しい死って事でねぇべか?」
タマシイと言うテクノロジーを手に入れた人類も、
エネルギーを取り入れ、エントロピーを排出する生命である以上。
死と子孫を残す事からは、逃れられません。
無になる!!は、人格データーが失われる事ですから。
確かに、新しい死です。
所で核攻撃に伴うEMPは、Ver.1.5に移植された
各種デバイスに過大サージ電流を発生させ。
デバイスを焼くだけでなく、接続されていた脳神経系に
損傷をもたらします。
内観的には、サーバント人工知能やエキスパートシステムが
ダウンするだけに留まらず。
アップロードもバックアップも不可能で、通信すら出来ない完全孤立。
しかも、生体脳も損傷していますからどこまで現実把握が出来るのか?
それすら、不明です。
記憶ですら、どこまでサルベージできるのか不安です。




































