女子美の中高大連携授業
哲学について語りませんか?
国家の品格について語り合ってから早一年が経ちました。
その節は大変有意義な時間をありがとうございました。
ご意見を寄せてくださった皆さんの博識に感嘆し、
私自身も学びや気付きが多く、スレを立ててみて良かったと
思ったものでした。
その後、品格に関連する本を読んだり施設を訪ねたりしておりました。
首都圏に住んでおられる方、白州次郎邸が神奈川県にあるのを
ご存知でしょうか?品格のある人物として様々な書籍でも
取り上げられているので行ってみましたが、生活用品にも
残された資料から垣間見える言動にも確かに品格が漂っていました。
そこでよく目にした言葉、Principleは主義や主張といった意味ですが、
そこに哲学を感じました。
人が持つ主義や思想を理解しようとひもとき、それにロジックをはめて文章化すると
哲学の範疇に入ってくるように思います。
私はなんの変哲もない文学部英文科の出身なのですが、
人文系学部には哲学科を擁しているところもいくつかありますよね。
この期に及んで大変自分勝手なのですが、哲学を修められた方や
興味のある方、考えることが好きな方とまた語り合いたいなあ・・・
なんて思いまして、学際的スレとして立ててみました。
よろしかったらお付き合いください。
哲学といってもあまりに難しいことは考えていません。
今個人的に考えているのは、人はなぜ易きに流れるのか、です。
勉強から逃げて遊び呆けている子供たちをみて、心乱れています。
これに関しては、親としてのなんらかの達観が必要な私です。
私自身は昔からどちらかというと敢えて成り難い方を選ぶ性格です。
わからないことやできないことを放置できない性格、というだけのことですが、
世の中を見回すとそういった易き流れる例(タイムリーな事例では年金問題)
にはよく遭遇しますので、人の行動パターンとして哲学的に言えるのでは
ないかと。最近注目し始めた土屋賢ニ氏なら、なんと表現するだろうか、と。
☆ナンチャッテ哲学講座☆
本日は、多数ゲストにもお越し戴き、解説をお願い致しました。
(図は、哲学誕生時の主軸だった派を右、近代伸びた派を左位置としました)
*かなり無理矢理ですが、素人レポートであります旨ご容赦下さいませ。
人生の意義
/
/
/\
/ \
◆生死哲学基盤 / \ ◆死生哲学基盤
「どう生きるか」派___/ \__「なぜ生きるか」派
・現実主義/理系タイプ(現在は右へ) ・理想主義/文系タイプ(現在は左へ)
・科学を主に進展させた(頭で生きる) ・芸術を主に進展させた(心で生きる)
・キリスト教の生の重視(復活感謝祭) ・仏教にみられる死重視(鎮魂仏回帰)
(キケロの頃からの死哲も生を重視、 (死者を大変重んじる。寺では供養、
初期で科学を弾圧したが、近代で 鎮魂、人は仏に回帰するため日々
生への思想が、科学を進歩させた) 考えながら生きてゆくものである)
「文明って本当にいいもんですねぇ」 「鯖が鮪を産むなんて何だか嫌だわ」
そこへアリストテレス様が現れた!
『これ!おまい達、中庸で理性的に生きられよ』
・そんなに悩むなら、自衛隊をつくりなされ。
・「インスタントカメラ」「ワンタッチカメラ」「使いきりカメラ」
と、俗称されよ。(取りきりは、コニカだからダメなんじゃ)
〜しかし、両者はスッキリしない、中庸は便利だけど中途半端〜
あひゃ〜さん曰く、 胡乱さん曰く、
「学研の科学も学習も買ってたョ!!!」 「わびさびが好き,わさびは苦手..」
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金八先生のご登場。
「冒頭の両者の間に『人』という字が見えますね〜。人は最低二つの意見に分かれます」
まとめは、NHKドラマ“純情きらり”の冬吾さん、桜子役の宮崎あおいちゃんです。
(ドラマでも画家vsピアニスト志望で、二人はよく禅問答のようにしていましたね)
冬吾「人の字と一緒で、人には2つの教えがあっていいんだべ」
桜子「イスラム教は、中庸なの?」
冬吾「アッラー主神で思想は仏教っぽいんだが、世界三大〜ってよく言われんべ?
家は四柱だども、三角の家って最近流行ってて、空間は最低で三柱が必要。
茶道で裏と表は有名だどもな、三千家ってのがあったりすんのよ。
言わば、第三の目っちゅうんかなぁ?」
冬吾「本来、人にゃあ2つ、世界は3つで語るもんだなぃ!」
桜子「じゃあなぜ、哲学者は苦労して1つの真理にしようとするの???」
冬吾「そりゃあ結局、み〜んなで、一つになりてぇんだろうなぁ。
冒頭図を見てみれや。生きる入り口は2つだが、目指すもんは1つなんだな」
(私生活で新婚さんの宮崎あおいちゃん、桜子の役で何かをつかむのだった)
ー 完 ー
しか〜し!!!、
この図は見事に、私達の暮らしの中で、活用されているものがあるのだ!
ここからが真髄、哲学堂のウンチクのはじまりはじまり〜、なのです。
プレゼン必勝法は、勢いにノル事!なので続きます。
一目瞭然に、図にしてしまいましょう!
☆人哲を活用する法哲学(法理学)☆
◆法価値
人生の意義 法の意義
/ /
/\ ◆法方法論 /\ ◆法概念
どう生きるか/ \なぜ生きるか どうあるべきか/ \なぜあるものか
歴史学者は歴史哲学者で在れ、というように、人生哲学は実に法に適応するものです。
(私的にはもう少し重く、死者への敬意を感じられる法律であることを望みたい)
さて、私の推薦したい歴史上の人物は「田辺 元」という哲学者です。
ハイデッガーと交友で、何といっても、西洋も東洋も極めている点が凄い!
東大理数学科〜文哲学科→京大の哲学博士・西田幾太郎(きたろう)の後継者となる。
キリスト教の“懺悔”をどこか合理的な生者への糧だと感じ、
第二次大戦の尊い学生達の死を念って、仏教に帰心してゆきました。
『科学は科学哲学にまで自覚を徹底する時、必然、宗教に通ぜざるを得ない』
二律背反・共鳴・循環を大切にしながら、自ら「死の哲学」と呼称しました。
*検索のおすすめ・・・田辺元の〈死の哲学〉 ↑これぞ死哲なのじゃ!
胡乱さんも別格と仰った「靖国」は、神社であり(墓)寺。
(単一宗教法人で、神社本庁にも加盟していない、単立神社)
中庸とも、第3の目とも言い難い、不完全で不思議で幽玄な場所になりました。
・・・相対 → 中庸(×) → 1つの真理を求め続ける・・・
胡乱さんは、もぅ何度も哲学のメリーゴーランドを回っているのですね。
人の定義は数々あれど、なぜ「人間は考える葦」が一般的なのか?
今もなお哲学が現存することが、その理由でしょう。
ところで「考える葦」には、こんな解釈もあります。
(人の考は無限なのだ、有限の宇宙よりも)
はてさて、どちらが無限で、どちらが有限なのでしょうかね?【終】(〃・ω・〃)?
哲学堂 さんへ:
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> 人生の意義
> /
> /
> /\
> / \
> ◆生死哲学基盤 / \ ◆死生哲学基盤
> 「どう生きるか」派___/ \__「なぜ生きるか」派
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--
よく「どう生きるか」がいきなり分かってしまう天才がいますね。
芸術家とか、やり手の実業家とか、スポーツ選手とか。
凡人は「なぜ生きるか」がわからないと悩んでしまって
なかなか「どう生きるか」まで行けません。天才が羨ましい。
そして「どう生きるか」を一旦決めても貫けずに、すぐ行き詰まって
「なぜ生きるか」に戻ってしまいます。
世間の中でうまくやっていけず、行き詰まりが多いと
「なぜ生きるか」を考える哲学者になってしまうのかも。
す・すばらしい・・・
哲学堂さん、本当にこのスレを鳥瞰してきれいにまとめられていますね。
胡乱がわさびが苦手、というのはおなかを抱えて大笑いしました。
だって、真面目に当たってます。
そう、そして本当にメリーゴーラウンドに乗ってぐるぐるしています。
だって、それが楽しいんです。(目が廻って苦しくなることもあるけれど^^)
哲学堂さんは神社仏閣のプロフェッショナルでいらっしゃるから、
胡乱の中の宗教的な部分を本人(本人はきわめて感覚的なので解説はできない)以上に
見事に解説できるのですね。胡乱の心を代弁という以上に、すっかりまるごと
解説していただいた感じです。読心もさることながら的確な観察眼の賜物ですね。
すごい能力ですね。編集のお仕事はさぞ成功されていたことと推察いたします。
なんと感謝したらよいやら。感謝と驚嘆と絶賛と全て。
あひゃ〜さんが科学応援団として、時に優しく時に厳しく文系人間にも
教えてくださる。自分を基準にしたときは最も遠いところにいる方だと
思いながらも、それは生き方の違いなだけ、と理解は進みました。
哲学とからめて科学を語るはず(と意識してくれてましたよね?)が、
どんどん科学応援団として科学の話題に没頭するところが(失礼ながら)
可愛いとさえ思いました。あひゃ〜さんの活躍しどころは科学だったのかと
新発見でした。教育関連スレなどではここまでの人柄理解はできなかったので
他の方にとってもあひゃ〜さんにとっても、良かったのでは?と思います。
ミジンコさんは、哲学的な思考が何段も上で、普遍的な事柄を詩のように
美しく紡いで魅せてくれました。比喩の美しさも、七対子のような完結性も
深くて、本当にじっくり味わわないともったいないですね。
最後の番外編へのレポートは別に書きますが、ミジンコさんの連文は
身の回りの出来事が見事に解説できることばかりです。すごい観察眼と表現力。
私などはミジンコさんの足元の地下数メートルもぐらないといけないくらい遠く
及ばないので、深く味わうのにどれくらいの時間をかけねばならないのか
と思ってしまいます。
から騒ぎさんは、めもめも団@だけあって、バランスの取れた知識で
中庸に立ってくださり、なくてはならない存在でした。しかもいつも
冷静で、おちついた文体でのご登場がスレに安心感を与えてくれていました。
ふむふむさんとのやり取りでも、理性と感性のやり取りが議論好きな夫婦の
会話のようで面白かったです。
一旦ここで用事を済ませてきます。
一旦のつもりが一夜明けてしまいました・・
から騒ぎさんとふむふむさんのやり取りが議論好きな夫婦の会話のよう、
というのは、男性と女性の特性がよく出ていると思ったからです。
他意はないのですが、もしも変な表現だったらごめんなさい。
ふむふむさんは前スレでもお世話になっていました。
ふむふむさんの書くことは、「あれ?私が書いた?」と思うほど
そっくり同じ思考をしていることが窺え、世の中には似た人っているのだな、
と思ったものでした。哲学堂さんのご指摘のとおり、ふむふむさんも私も
文系的理想を胸に熱く抱いているのですが、それは通常、外部に向かって
激しく主張するものでもなく普段は特にアピールしていないかと思います。
でもいざこういう場が与えられると粘り強く懇々と語るエネルギーは
持っているのですよね・・。
哲学堂さんが、それをして
>文明陶酔社会へ警鐘する使者として、適任でもあるはず
とおっしゃっていただけたのは、やはりよくふむふむさんや私の特性を
見抜いているからなのだと感心すると同時に、哲学堂さんの客観視のおかげで
ふむふむさんの静かだけれど筋の通った論を今後もみることがあったら、
私にはわかるだろうなという自信に繋がりました。
そしてうが〜さんとロムせんさん、
お二人ともスレをずっと見ていた(うが〜さんは最初に足跡残されてますが)
代表として、新鮮な空気を入れてくださいましたね。そのおかげで
進行に方向性が出たと思います。
このスレでは理系派に与し、でも立場は中庸だとおっしゃったロムせんさん、
>いろんな事は有機的に絡まり合っている、けれどその中から珠玉のシンプルな
考えを導き出すことができれば快感!
全く同じです^^
>>私たちが今生きているこの現実そのものに即した哲学だからこそ意味もあるのでは。
ですが、こちらは同じ言葉でも受け取り方がまずもって違っているようです。
ミジンコさんの連文にはそのことがちりばめられています。
(人は奇跡的な補間によって差別と分断を繰り返しているにすぎない)
現実とは理想の対義語ですが、現実に即した哲学と理想に沿った哲学との差異は
あるとしても、少なくとも私は近づけていくものとして哲学を考えています。
現実の日々の実業から生まれ出づる哲学には、「こうありたい」という目標や理想が
内包されているものですよね。現実をあまりに直視できないようであれば確かに問題
ですが、恐らくインターエデュをごらんになるようなおうちは、逆にあまりに現実を
見すぎて<理想の役割>がより大きくなる、という部分もあるかもしれませんよ!?
(このスレに書き込みされたみなさまは、終了されて余裕のある方ばかりでしょうね)
漫画スレのスレ主さんであるうが〜さん、
(私はうが〜さんがスレ主さんであることを知る由もないころに
既に書きこみしております^^私も漫画は大好きですよ^^)
うが〜さんが、デカルトさんの最初の登場から書き込みを続けていれば?
そのままロムを続けていたら?
うが〜さんの再登場を受けてロムせんさんも書かれたのかもしれませんよね。
うが〜さんの<存在意義>表現は、本当に考えさせられました。
その直後、『存在するものはすべて合理的だ』(ヘーゲル)
の言葉にも出遭いました^^
それは相対性や主客転換の発想では、私の存在意義だって問うものであるからです。
そもそもここにスレ立てした自分の経緯やら行動やらのすべてが、
うが〜さんの一言に繋がるとも言えます。そのように考えて楽しむのが私流。
私の中では哲学というのは、とにかく鳥瞰視と相対性視で思考していくこと。
その中で真理を見つけるのはそのおまけくらいかもしれません。
まだまだ私の振り返りは続きます^^
「差別はあるか」(理論編)あとがき(1)
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1
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例えばフィクションの世界ではミスター・スポックが、論理的な思考に
忠実に従って行動した末に自殺した。
前提:多くの人が死ぬより、一人が死ぬ方が良い。
仮定:私が死ぬことで、多くの人が生き残る。
結論:私が生き残るより死ぬ方がよい。
私の知る限りでは現実の世界でもっとも論理的な人はマザー・テレサだ。
徹底して論理的に生きるということがどれだけ大変なことであるのか、
論理を重んじると言う人のほとんどが忘れている。誰もが大層な前提を
持っているくせに、結論を直視できる人間はほとんどいないのだ。
前提:差別は悪である。
仮定:差が真実なら、差別は悪ではない。
結論:差はない。
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2
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熱素は存在しなかったが、熱素を基本に据えた学問は今もそのまま
エンジンや原子炉を設計するのに役立っている。
引力は力と関係のないまったく別の記述でも表しうるが、引力を
基本に据えた学問は今もそのまま振り子やビルの設計に役立っている。
ある「粒子という現象」の振る舞いはまったく別の時空にある特定の
「粒子という現象」の振る舞いの影響を直接的に受けるが、
そんなこととは関係なく、現在のところそんなものを「粒子」と呼び、
それを基本に据えた学問は今やそのままサイクロトロンの設計に
役立っている。
熱いという現象を説明するために「熱」の存在を仮定する
という社会「現象」。
物が落ちる現象を説明するために「引力」の存在を仮定する
という社会「現象」。
高エネルギー現象を説明するために「粒子」の存在を仮定する
という社会「現象」。
さらには、
これらの社会「現象」を説明するために「差」や「心」や「我」や
「国」や「世界」の存在を仮定するという社会「現象」。
何十段もの仮定の上の仮定にすぎないこの社会現象は・・・
しかしこの現象は差別という現象を引き起こすのにりっぱに役に
立っている。
(つづく)




































