女子美の中高大連携授業
哲学について語りませんか?
国家の品格について語り合ってから早一年が経ちました。
その節は大変有意義な時間をありがとうございました。
ご意見を寄せてくださった皆さんの博識に感嘆し、
私自身も学びや気付きが多く、スレを立ててみて良かったと
思ったものでした。
その後、品格に関連する本を読んだり施設を訪ねたりしておりました。
首都圏に住んでおられる方、白州次郎邸が神奈川県にあるのを
ご存知でしょうか?品格のある人物として様々な書籍でも
取り上げられているので行ってみましたが、生活用品にも
残された資料から垣間見える言動にも確かに品格が漂っていました。
そこでよく目にした言葉、Principleは主義や主張といった意味ですが、
そこに哲学を感じました。
人が持つ主義や思想を理解しようとひもとき、それにロジックをはめて文章化すると
哲学の範疇に入ってくるように思います。
私はなんの変哲もない文学部英文科の出身なのですが、
人文系学部には哲学科を擁しているところもいくつかありますよね。
この期に及んで大変自分勝手なのですが、哲学を修められた方や
興味のある方、考えることが好きな方とまた語り合いたいなあ・・・
なんて思いまして、学際的スレとして立ててみました。
よろしかったらお付き合いください。
哲学といってもあまりに難しいことは考えていません。
今個人的に考えているのは、人はなぜ易きに流れるのか、です。
勉強から逃げて遊び呆けている子供たちをみて、心乱れています。
これに関しては、親としてのなんらかの達観が必要な私です。
私自身は昔からどちらかというと敢えて成り難い方を選ぶ性格です。
わからないことやできないことを放置できない性格、というだけのことですが、
世の中を見回すとそういった易き流れる例(タイムリーな事例では年金問題)
にはよく遭遇しますので、人の行動パターンとして哲学的に言えるのでは
ないかと。最近注目し始めた土屋賢ニ氏なら、なんと表現するだろうか、と。
従軍慰安婦の問題など日本軍の悪行を、戦後に良心の呵責か左翼に転じてか証言する人がいて、真偽は分かりませんが、現場ではいろんなことがあったんでしょう。
日本でだって貧しい農家では娘が売られてたんですから。親はお金をもらってるかも知れません。
こういうことに政府が直接関与するとは思えませんが、軍部が業者に許可したことは確かでしょう。たぶん。証拠など残さないでしょうが。
安倍総理は、ひたすら謝るしかないでしょう。
慰安婦だった方に個人賠償もすれば。
日本軍が慰安婦を従軍させたのは、中国などで暴行などが多発すると、現地人の感情が悪化することを危惧したのと、むしろ兵隊への性病の蔓延を恐れたのです。
なぜ、従軍慰安婦の問題が日本にだけ顕在化しているかと言えば、他国の軍隊は皆、それを現地で調達してきたからです。
ドイツに侵攻したソ連兵の8割は婦女暴行したとされ、ベルリンだけでドイツ人女性20万人が強姦され、約1割の2万人が自殺し、ドイツ全土では少なくとも200万人のドイツ女性が暴行され、翌年にかけて多くの人工中絶があったといいます。
当時のドイツの人口が分かりませんが、あまりの多さに唖然とします。200万人って、首都圏の(適齢)女性の半分くらいです。
終戦時に満州に侵攻したソ連兵による残留日本人への暴行も悲惨でした。
他国に占領されてから被害を被るのは、男性以上に女性です。(女兵士も怖いんですが)
アメリカにしろ韓国にしろ、どうやら、現地調達の方が得策だったということか?
慰安婦決議案 報告書に「吉田証言」 米下院「根拠」は虚構
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/47566/
韓国の歓楽街のいかがわしい店は、朝鮮戦争以来、米軍駐留兵のためでしょう。
ロムせん さんへ:
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> 私は無条件に原爆反対です。例えどんなに日本に落ち度があろうとも、
> それを使用したことを断固として間違いだと断定し続けるつもりです。
> 「批判するために」行う批判ではなく、純粋悪として批判しています。
> 戦争に至った経緯がどんなものであろうとそれは無関係なのです。あの場面で
> 原爆を使用しない自由があり、アメリカは意志を持って投下を決断実行した。
> その行いに対して、単純に「ノー!!」というのみです。
--
残念ながらロムせんさんの原爆反対は「無条件」とは言えないようです。
「無条件」とは、他の事を全く考慮しないという意味です。
「「日本は過去の罪に目を向けて謝罪すべき」ではない」と主張している
と思われる人が原爆投下の効果をはっきり発言した場合には、看過して
いますね。あるいは「日本は過去の罪に目を向けて謝罪すべき」と主張
する人だけに注目しているのでしょうか。
--
> 【686916】
> もし、アメリカが原爆投下で日本を降伏させて、ソ連の日本上陸を阻止
> していなければ、今の日本はなく、ソ連が北方領土に留まらず北海道や東北
> まで占領しています。 日本の敗戦で戦勝国入りした中国国民党の蒋介石は、
> アメリカに「九州をくれ」と言いましたが、マッカーサーに一蹴されました。
--
実は私はこれを読んだとき即座にロムせんさんがきつくお灸を据えてくれると
思っていたのに、見過ごされ非常にがっかりしていたのです。
「無条件」「絶対」この言葉はそれを使う人を選ぶ非常に論理的な言葉
だと私は考えています。
--
> もちろん細かく見れば違いはあるでしょう。しかしいじめも、いじめられる側に
> 常に問題がないとは思いません。いつも被害者に落ち度がないとは限りません。
> でもいくらいじめられっ子が嫌われ者であっても、「いじめてよい」理由には
> ならないと思うので、それと同じ文脈です。
--
いいえ、いじめられる側にはまったく問題がないのが「いじめ」なのです。
いじめられる側にいったいどんな問題があるのでしょうか?
原爆投下で亡くなった多くの市民にもなにか問題があったのでしょうか。
「絶対」にありません。それと同じ文脈のはずはありません。
問題があったとすれば広島・長崎の市民「以外」のところであり、
そこを厳格に「絶対」的に「純粋」に、切り分けなくてはいけません。
そうして初めて「無条件」に原爆投下にノーが言えるのだと思います。
そうでなければ
「私は広島・長崎の市民にも問題はあるけれど原爆投下に関しては
絶対にノーを言い続けます」という論理になってしまいます。
--
ロムせんさんの身近には広島・長崎の被害に近かった人はいないそうですね。
偶然ですが私の極身近にそういう人がいますが、そういうことを抜きにしても、
実際に被害者にあった方が、アメリカという国を憎むか、アメリカの将軍を恨むか
B29のパイロットを憎むか、原爆を開発した科学者を憎むか、日本を戦争に導いた
日本政府を憎むか、原爆症をいつまでも認めない裁判所を恨むか、そういうことを
いつまでもやめない人間を憎むか。それは個人個人に聞かないと分からないものです。
--
だからこそ、被害を受けなかったという意味で第三者である我々が目標とすべきことは、
敵「国」にだけ注目するのではなく、
「本当は何がいけなかったのか」「人間は、世界は、変えられないのか」と
問い続けるほうなのではないでしょうか。
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> 私はなかなか強さを持てずにいますが、本来の強さとは、誰かに匕首を
> 突きつけられたとき、あきらめるでもなく抵抗するでもなく、動じずに
> それに対峙できること、その緊張感に耐えきれることをイメージしていますので、
> 争いは避けたいものの、無抵抗ですぐ降伏するとか報いを甘受するといった
> 気持ちにもあまり共感できません。でも理解はできるのですよ。
--
私は「強さ」に「価値」を見いだしません。「強さ」は生き残っていくために、
他を支配するために、殺すために、ケダモノ達が本能で身につけようとする性質に
すぎません。
ミジンコ さんへ: から騒ぎ本人です。
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>【686916】
> もし、アメリカが原爆投下で日本を降伏させて、ソ連の日本上陸を阻止していなければ、今の日本はなく、ソ連が北方領土に留まらず北海道や東北まで占領しています。
僕は、アメリカの原爆投下が正当だったなどと一言も言っていません。
アメリカが、ドイツでなく日本にだけ原爆投下したのは人種差別があったとも言われ、
広島と長崎に落とされたのは軍需工場や軍港があったのと、連合国捕虜施設がなかったからだといわれます。
原爆の悲惨さは、一瞬にして十万人もの市民が無差別に大量殺戮されることと、その惨状の有様、そして生き残った方々の後遺症の残酷さにあると思います。
今後、使われてはならないし、世界に向かって核兵器の廃絶を訴えるべきだと思います。
ただ、日本は、原爆を落とされて、やっと降伏したのだという事実を言ったまでです。
では、原爆が投下されずに、日本があくまでも本土決戦に臨んで米国に一矢報いて和平しようとしていたら、
南から米軍と北からソ連軍が上陸して地上戦になり、一般市民の死者は数百万人に上ったでしょう。
軍部や国民は、勝てる見込みはなくなっても、一億玉砕の覚悟で、本気で最後は神風が吹くと信じていました。
だからこそ、日本人は、原爆の犠牲になった方々に(身内であろうとなかろうと)哀悼の気持ちを持ち続けるのです。
あなたの倫理観は全くもってOKですが、
歴史にifはないとしても、過去の歴史や当事者の判断の是非を考える時は、
もしそうでなかったら、どうなっていたか?、想像してみて下さい。
理解せよ、しかし許すな、ということです。
余談)
ベルリン陥落でヒットラーが自決してドイツが無条件降伏し、連合国が日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が出た頃、鈴木貫太郎内閣・東郷茂徳外務大臣はソ連に和平交渉の仲介を依頼しますが、米英ソ首脳のヤルタ会談の密約で対日参戦を決めているソ連は返答を引き伸ばし、日本は返答を待ち続けます。
そして、1945年8月、日本は広島と長崎に原爆を投下され、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏しました。
しかし、日本は降伏文書に調印しなければ停戦にならず、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破って(ソ連は国際法違反の常連)して満州に侵攻し、北方領土を不法占拠しました。
近衛文麿首相にしろ東条英機首相にしろ、あの時代に戦争を止めようとするにも、命をかけなければ止められませんでした。その責任のある地位にいる人は、やはり命をかけて国難に当たるべきだったと思います。
昭和天皇の責任を問うこともできますが、ドイツ帝国ワイマール憲法を模範とした大日本帝国憲法とイギリス立憲君主制式の「君臨すれども統治せず」の狭間で、政治への不関与を悩みながら、やっと戦争を止められたのも昭和天皇です。
終戦の前日8月14日朝、鈴木貫太郎首相は御前会議で昭和天皇のご聖断を仰ぎます。
原爆投下に至って昭和天皇は、「これ以上戦争を続けることは無理だと思う。…自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」と涙したと伝えられています。
阿南惟幾・陸軍大臣や梅津美治郎ら陸軍は、天皇制の国体護持がない限りポツダム宣言の無条件降伏を拒み、今だ100万の兵を擁する本土で決戦を主張しましたが、天皇の終戦の意志が固いと知り、陸軍将校らが軍事クーデターをほのめかす軽挙妄動を戒めます。
「即時終戦のご聖断が下った。もし諸君が、これでも納得いかぬと言うなら、まずこの阿南を斬れ。阿南を斬ってからやれ。」と言ったと伝えられます。
阿南・陸軍大臣は、終戦の前夜に割腹自決し、翌朝絶命しました。
彼陸軍最高責任者としての責めを自ら腹を切る事で果たし、「一死をもって大罪を謝し奉る」の遺書とその最期によって、軍部の暴発という事態を防ぎ、国内の混迷を最小限に抑えた行為は評価に値すると言われています。
映画「日本の一番長い日」で、阿南・陸軍大臣を三船敏郎が迫真演技しています。
>残念ながらロムせんさんの原爆反対は「無条件」とは言えないようです。
>「無条件」とは、他の事を全く考慮しないという意味です。
>「「日本は過去の罪に目を向けて謝罪すべき」ではない」と主張している
>と思われる人が原爆投下の効果をはっきり発言した場合には、看過して
>いますね。あるいは「日本は過去の罪に目を向けて謝罪すべき」と主張
>する人だけに注目しているのでしょうか。
ん〜ごめんなさい、私の読解力がなさ過ぎるんでしょうか。「原爆を使う正当性に
どんな理由もない」と言う意味、つまり「ある条件下で正当性をもつ原爆使用と
いうものはありえない=核兵器の無条件悪」という意味で書きましたが。
>> 【686916】
>> もし、アメリカが原爆投下で日本を降伏させて、ソ連の日本上陸を阻止
>> していなければ、今の日本はなく、ソ連が北方領土に留まらず北海道や東北
>> まで占領しています。 日本の敗戦で戦勝国入りした中国国民党の蒋介石は、
>> アメリカに「九州をくれ」と言いましたが、マッカーサーに一蹴されました。
--
>実は私はこれを読んだとき即座にロムせんさんがきつくお灸を据えてくれると
>思っていたのに、見過ごされ非常にがっかりしていたのです。
申し訳ないです。自分の関心の薄い部分は読み飛ばしていて、今じっくり読みましたが、
5回くらい読んで意味がわかったという感じです。(歴史的にあのときこうだったら、と
いう話しにあまり食いついていけなくて。)
でも確かに、「だから原爆投下に効果あり」と言う主張なら、
対決しなければなりませんでしたね。
つまり「このような経緯をたどったから使用した」とか、「使用した結果
こんなに良い結果がうまれた」とか、「他にもむごい兵器がある」とか、様々な
理由でもって正当化される存在ではない、と思っている訳ですから。
ここが哲学なのかもしれません。もう既に人類はその発展によって
核兵器を持ってしまいました。しかも使ってしまい、増えこそすれ一向に減りません。
最初に科学が発達を始めたときから、この流れは止められないものだったのかも
しれません。科学そのものには善悪がなくても、それを利用する人間には。
利用を目的として作られた兵器を使いたくなるのが人間なら・・・。
(あひゃ〜さんのお題、核保有国数を限定する方法にはもう答えが出たんでした
っけ?これ、知りたいです。本当はどうしたら廃絶できるかという方法が
知りたいけど・・・心理学の範疇でしょうかね。)
そしてこのことを考えるとき、私は自分を第三者とはとうてい思えません。
(私の両親は広島の隣県出身なので、当時の様子を聞いたことはあります。
ただ、本当に深く自分の感情を揺さぶられたのは大人になって読んだ「二人のイーダ」
でした。こんなものは人類の誇りに賭けて許してはならないものだ、と確信を
持ったのでした。)
>いじめられる側にいったいどんな問題があるのでしょうか?
子ども達に聞くとわかりますが、「汚い」「のろい」「自己中」「うるさい」など
いろいろと理由を挙げ、「それを直さないのが悪い」と思っている、つまり
相手が悪いからいじめる、というふうに自分を正当化しますね。その場合相手に
問題は「ある」のか「ない」のか。あると思う人にはあり、ないと思う人にはない。
でも、じゃあ問題があるならいじめてよいのか?私は否、と思います。
しかしここで、いじめとリンクさせたことで「広島長崎になにがしかの問題があった」と
とらえられるのは本意ではありません。(私の文章を読んでそうとらえる可能性は
わかります。そんなとらえ方をする方はそう多くないと思いますが、もし用語が
哲学的正確さを欠いているとすれば、議論の相手として私は相当力不足ですね。
まあできるところまでがんばってみます。)
しかし、アメリカ側が、「広島長崎を含めた日本国」に問題ありと見なしているのを
我々も黙って聞いていることはないですよね。私は、憎しみでも責任追及でもなく
事実を知るべきと思うわけです。
自分たちの使用した武器がどんな結果を生んだか、まず直視してください、と。
日本が落とされるような経緯をたどったから落とされたのであればこの先も、
どこかの国が何かの落ち度のために原爆を落とされた場合やむなしと思わなければならなくなります。
日本のたどった経緯、歴史の必然を知識として知ることは、結果を丸ごと受け入れる
ことにつながりますか?あの時の行いは間違いだった、とアメリカに主張することは
それを敵視することですか?その時の日本を擁護することになりますか?
ハアハア・・・ちょっと頑張って疲れました。
でもこの時期です。まだまだ考えてみます。
「強さ」については、言葉の解釈上の問題かもしれないのですが、私の中では
「優しさの最上級」みたいなものが「望ましい強さ」ですかね・・・。
「動じないもの」「ゆるぎないもの」といいますか、自分の中に一本欲しい、
芯みたいなものです。
ロムせんさん、
-------------
お返事これから良く読みますが、まずは、ロムせんさんにお詫びです。
--
>>「無条件」「絶対」この言葉はそれを使う人を選ぶ非常に論理的な言葉
>>だと私は考えています。
--
後で頭の中で読み返して私はなにを偉そうな事を言っているのだろうと
恥ずかしくなりました。
--
>「無条件」「絶対」この言葉はそれを使う時と場所を選ぶ非常に論理的な言葉
>だと私は考えています。
--
に訂正させてください。(大汗)ごめんなさい。
--
あと
--
>実際に被害者にあった方が、アメリカという国を憎むか、アメリカの将軍を恨むか
は
>実際に被害にあった方が、アメリカという国を憎むか、アメリカの将軍を恨むか
の誤りです。
から騒ぎ さんへ:
-------------------------------------------------------
> 僕は、アメリカの原爆投下が正当だったなどと一言も言っていません。
--
それは分かっております。ただ、私はロムせんさんと同じで、
「核兵器使用の無条件悪」なので原爆が落とされなかったらこんなに
悪いことがあった。原爆が落とされからこういう良い点もあった。
という表現にはまず納得しないでしょう。
ご意見は今後も拙い読解力の及ぶ限りは拝聴してゆくつもりですが。
> どんな結果を生んだか、まず直視してください、と。
--
大賛成です。
--
ただ私自身も、注意してはいますが、
人づてや、本、その他のメディアで知るしかありません。
そうしてしか知ることしかできないことのへの自己嫌悪がつきまとっています。
人間は自分が見ようとしたことだけが見えるようです。
自分のほうがより直視しているということは被害者でない以上なかなか言えませんよね。
アメリカ人の方にも私以上に原爆被害を「より」直視している人がきっとたくさん
いると思います。
そういう人はきっと「自分の国の罪を認める」タイプの人でしょう。
--
> しかし、アメリカ側が、「広島長崎を含めた日本国」に問題ありと
> 見なしているのを我々も黙って聞いていることはないですよね。
> 私は、憎しみでも責任追及でもなく事実を知るべきと思うわけです。
> 自分たちの使用した武器がどんな結果を生んだか、まず直視してください、と。
--
ここでおっしゃる「アメリカ側」というのが誰をさしているのか。が
気になります。今週号のアエラ(8/13-20)に、従軍慰安婦決議の直前に
日本の「意見広告」として「旧日本軍に強制された慰安婦が存在した証拠はない」
と書きながら「旧日本軍の一部に強制された慰安婦が存在した」という
わかりにくい文章が出されていたという記事がありました。
(証拠はないけれど自己申請した?)
それが「そんなに悪いことはやっていない」「当時はみんなやっていた」という
弁解の印象を決議前にいだかせたというアメリカ在住日本人記者の意見です。
「これが日本政府の意志なのか」という問い合わせが数多くあったというのですが、
そういう問い合わせをした人たちにとって「日本側」とは誰のことなので
しょうか。私たちの知らない間に政府はこういうことをやっているのですね。
--
つまり、「心あるアメリカ人」の知らないうちに、私たちが「アメリカ側の意見」
だと思う意見が出されている可能性が高いと、私は思っているのです。
心ない一部の日本人の思いこみである可能性さえありますよね。
だから私は、自分は「自分の国の罪を認める」タイプの人間でありたいと思い、
心ない一部の日本人よりは心ある一部のアメリカ人と思想的に繋がっていたい
と思うのです。
--
> 「強さ」については、言葉の解釈上の問題かもしれないのですが、
> 私の中では「優しさの最上級」みたいなものが「望ましい強さ」ですかね・・・。
--
「強さ」とは負けない力と勝つ力の総称だと解釈しています。「やさしさ」とは
「弱いものを大事にすること」と解釈しています。「やさしく」て「強い」こと
を「かっこいい」と言うと解釈しています。私は、自身の内部言語を外部言語に
比べて常に多く使用し、なるべく厳密に使い分け、その定義に一貫性をもたせる
方針で行くことがこれからの哲学の方法だと信じています。
ミジンコ さんへ:
-------------------------------------------------------
ミジンコさんへ:
ミジンコさんの長い文章を最近読むことが出来てワクワクしています。
以下に書かれていること(1部抜粋したものですが・・)に共感しました。
> 人間は自分が見ようとしたことだけが見えるようです。
> 自分のほうがより直視しているということは被害者でない以上なかなか言えませんよね。
> アメリカ人の方にも私以上に原爆被害を「より」直視している人がきっとたくさん
> いると思います。
> そういう人はきっと「自分の国の罪を認める」タイプの人でしょう。
>
> --
> つまり、「心あるアメリカ人」の知らないうちに、私たちが「アメリカ側の意見」
> だと思う意見が出されている可能性が高いと、私は思っているのです。
> 心ない一部の日本人の思いこみである可能性さえありますよね。
> だから私は、自分は「自分の国の罪を認める」タイプの人間でありたいと思い、
> 心ない一部の日本人よりは心ある一部のアメリカ人と思想的に繋がっていたい
> と思うのです。
>
まさに、まさに。
私は人生とは自分と魂が響きあう人、価値観が共通の人を見つける旅だと思うようになりましたが
それは日本人、外国人に限りません。
むしろ言葉のハンディを超えて立場を超えて、
心が通じる瞬間を味わえることはこの上ない幸せでしょう。
話は少し飛躍しますが
我が子どもが悪い事をしたとき、
いつまでも子供のそばに寄り添って力になってやりたいと思う気持ちと
子供の犯した罪を認め、そのことに誰よりも心を痛める気持ちと
親なら誰でも持つのではないでしょうか。
自分の国の罪を認めるタイプの人間は
決して祖国をさげすみ、ないがしろにする人間ではないのです。
自虐史観などと言ってけん制するやからこそ
それほど自信がないのでしょうか、それほど信じられないのでしょうか、と思います。
事実を知ること、その努力をすることは本当に大切ですね。
果たして事実は、真実は、どうやって知ることができるのでしょうか。
ミジンコさんがおっしゃるように
自分の見たいもの、聴きたいことに出会ったとき、人はその話を『事実』としてより深く信じるようになるのではないかと思います。
では自分の見たいもの・聴きたいことはなんなのか、
それはその人の価値観・経験によって規定されてくるでしょう。
その話をしたり書いたりしている人をどれだけ信じるかにも関わってきますね。
私は人間を限りなく愚かなものだと思いますが
考えることによって分かり合える可能性を限りなく持ったものだとも信じています。
歴史の事実は行動の前提となる知識としての真実の追究に必要ですが
本当に必要なことはといえば
今いる私達がこれから何を(一緒に!)出来るのかということだと思います。
『一緒に』するために国際会議があるのだと思っています。
甘いといわれても
それ以外に人類ができる最善の方法を思いつきません。
--
> >
> 「強さ」については、言葉の解釈上の問題かもしれないのですが、
> >
> 私の中では「優しさの最上級」みたいなものが「望ましい強さ」ですかね・・・。
>
> --
> 「強さ」とは負けない力と勝つ力の総称だと解釈しています。「やさしさ」とは
> 「弱いものを大事にすること」と解釈しています。「やさしく」て「強い」こと
> を「かっこいい」と言うと解釈しています。私は、自身の内部言語を外部言語に
> 比べて常に多く使用し、なるべく厳密に使い分け、その定義に一貫性をもたせる
> 方針で行くことがこれからの哲学の方法だと信じています。
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