女子美の中高大連携授業
哲学について語りませんか?
国家の品格について語り合ってから早一年が経ちました。
その節は大変有意義な時間をありがとうございました。
ご意見を寄せてくださった皆さんの博識に感嘆し、
私自身も学びや気付きが多く、スレを立ててみて良かったと
思ったものでした。
その後、品格に関連する本を読んだり施設を訪ねたりしておりました。
首都圏に住んでおられる方、白州次郎邸が神奈川県にあるのを
ご存知でしょうか?品格のある人物として様々な書籍でも
取り上げられているので行ってみましたが、生活用品にも
残された資料から垣間見える言動にも確かに品格が漂っていました。
そこでよく目にした言葉、Principleは主義や主張といった意味ですが、
そこに哲学を感じました。
人が持つ主義や思想を理解しようとひもとき、それにロジックをはめて文章化すると
哲学の範疇に入ってくるように思います。
私はなんの変哲もない文学部英文科の出身なのですが、
人文系学部には哲学科を擁しているところもいくつかありますよね。
この期に及んで大変自分勝手なのですが、哲学を修められた方や
興味のある方、考えることが好きな方とまた語り合いたいなあ・・・
なんて思いまして、学際的スレとして立ててみました。
よろしかったらお付き合いください。
哲学といってもあまりに難しいことは考えていません。
今個人的に考えているのは、人はなぜ易きに流れるのか、です。
勉強から逃げて遊び呆けている子供たちをみて、心乱れています。
これに関しては、親としてのなんらかの達観が必要な私です。
私自身は昔からどちらかというと敢えて成り難い方を選ぶ性格です。
わからないことやできないことを放置できない性格、というだけのことですが、
世の中を見回すとそういった易き流れる例(タイムリーな事例では年金問題)
にはよく遭遇しますので、人の行動パターンとして哲学的に言えるのでは
ないかと。最近注目し始めた土屋賢ニ氏なら、なんと表現するだろうか、と。
>>胡乱さん。
あひゃ〜の予測?は、控えめなんですよ!
とりあえず、下記のURLを読んでくだされば、
根拠の無い事でも無いと感じてくださるかしら?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9
より精細なバックグラウンドテクノロジー情報が、求められるのであれば。
NHK出版
著者:レイ・カーツワイル
ポスト・ヒューマン誕生
原題:THE SINGULARITY IS NEAR:WHEN HUMANS TRANSCEND BIOLOGY
を、お読み下さい。
>>胡乱さん。
厳しい事を言うようですが、
Ver.1.0の人間に、人格はありますが
タマシイは在りません。
なぜなら、その生物学的身体の機能停止と同時に、
その記憶情報とニューラルネットの反応属性情報が、
失われるからです。
それらを、保存再展開可能とするのが、タマシイと言う名の
テクノロジーなのです。
礼を失する事は、承知しておりますが。
霊は、いまだ居ないのです。
あひゃ〜 さん
> なぜなら、その生物学的身体の機能停止と同時に、
> その記憶情報とニューラルネットの反応属性情報が、
> 失われるからです。
はい、これは魂に質量があるかのような仮説実験をした学者の
話に呼応してですよね。
私も科学が世を牛耳る現代に、これまた古風な学者もいたもんだ、と
最初は思ったものでした。
でもでも。これは逆であったと最近思いました。
私たちはいつのまにか、目の前の科学で証明できることしか
信じられなくなっています。本当に価値があって大切なものは、
目で見ることのできないものばかりです。
本当は、科学なんてものは、まだまだ生まれたての赤ん坊レベルだと
思うのです。
生物学的死と非科学的タマシイを結びつけて仮説実験して
証明しようとした学者氏は、科学とsomething greatを
融合させようとしたのでは? これはもしかしたら最先端かもしれない、と。
私にはまったくそれを証明できる素養はありませんが、そう思うには根拠があります。
同じように、心と遺伝子の研究をしている村上和雄氏の講演を聴いたことが
あります。牛の脳下垂体を3万5千頭分も集めて脳神経の研究をしたとき、
科学には裏の顔(ナイト・サイエンス)があり、研究者の間では、最後の神頼み
や時の運を信じる者が多いと気付いたそうです。
科学を究めるほどに、それを信じ始めると。
そのsomething greatこそが、科学の真髄であると。
生きているとはどういうことか、母親の胎内での38週が人類進化の
1億年分に相当することを物理的に説明できても科学的に説明できず、
(人の設計図である遺伝子情報、これは既に「書かれていたもの」であり、
では一体誰が書いたのか?どこからやってきたのか?など)
この尊さを科学の語句で証明してこそ、哲学や宗教と同等に語れると。
どうやら科学はまだ哲学には達していない、と言いたかったようです。
> それらを、保存再展開可能とするのが、タマシイと言う名の
> テクノロジーなのです。
保存再展開可能というレベルは、私が想像していたものとは
残念ながら違っていました。まさに、創造することを想像して
いました。ずっとずっと先ですね・・(笑
> 礼を失する事は、承知しておりますが。
> 霊は、いまだ居ないのです。
いえいえ、そんなことはありません。
どんなご意見も尊いものです。
ミジンコ さん、
ミジンコさんの思考の変遷を辿ると、最後の最後で
哲学の目的は「思いやりの発露」となっていますね。
これは、先のあひゃ〜さんの書きこみに関してついでに
書いてしまった「心の分野」ですね。
人の心は目に見ることができません。
脳波をとったところで、まあ喜びと怒りの違いは表れても、
「これは思いやり」「これは優しさ」、もっと言えば、
「これは目下の者に対する思いやり」
「これはあふれんばかりの友愛だ」
などと明確な分類は不可能でしょう。
哲学は、まだ稚拙な科学が到達し得ない部分を担っているという
役割があるのかもしれません。
いくつもある目的の中にこのことを加えられますでしょうか・・
つきつめていくと最後には科学(物理的様態)と哲学(思想的様相)が
ごく自然にマーブル模様となって混ざり合うのだ、という感覚を
金子みすヾの詩に感じましたのでご紹介します。
蜂と神様
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。
***
ミクロはマクロのなかに。
マクロはミクロのなかに。
どちらに普遍性を感じますか?
***
宇宙的広がり、宇宙感は終いには
(途中割愛)
例えば。
自分の目線のずっと先に自分の後頭部をみるような感覚ではないですか?
これは子供のころからずっとずっと思っていたことでした・・
***
あひゃ〜さん、サイパンのばんざいクリフへお行きなされ。
どんな人のカメラでも霊は写りますよ。(ツアコンに説明されました)
雪が降っているような白い玉の各々に男女や年齢の区別がわかるほど。
友人に見える人がいて、私的には全く信じ難い事でしたが、納得しました。
彼女曰く、「片目だと見え安い。だから一眼で撮れるんだと思う。」
そのツアーコンダクターの現地の方は、決して観光のためではなく、
こうした歴史を知ってほしいと思っているように感じられました。
胡乱さん、私も何かで「タマシイの計量」見ました。
その時は、ちょいとオカルトっぽいな、と思いましたが、上記の体験談で思う。
「さすがに僧侶のタマシイは、常人の倍だ」なんて立証される日が来たりして。
ミジンコさん、真面目で優しい人。
うが〜ちゃん、元気かな?
僕は哲学を習っていませんが、悪妻がいるので哲学しています。
古代の哲学者は智恵を愛する天才や賢者で、思想家であり科学者や数学者であり芸術家でもあり、学問として未分化でした。
自然界の真理を追究する科学は、観測測量や実験の発展によって法則性や原理が発見され、現象の再現性があるため、天才の手を離れて一般に活用が可能になりました。
〜であることを証明するのは科学ですが、
〜であるべき、〜すべき、という理想の世界を追究するのが哲学だと思います。
から騒ぎ さんへ:
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> 僕は哲学を習っていませんが、悪妻がいるので哲学しています。
空騒ぎ様、奥様は小柄な方なんですか?
眠たい昼下がりです・・
から騒ぎさんのレスが真上にあるので、
そこから見ています。
悪妻がいるから哲学している、にはウケました。
そうなんですね・・人は有事のときに深く考えますものね。
さて、
>〜であることを証明するのは科学ですが、
〜であるべき、〜すべき、という理想の世界を追究するのが哲学だと思います。
について。
科学についてはその通りだと思います。
生まれた「なぜ」を解明・証明するために科学は存在していると思います。
が、哲学については私の考えはちょっとちがっています。
理想の世界を追究している部分も確かにありますが、
同じように「なぜ?」の問いに答えているものも多いからです。
あるべき理想の姿を教示するよりも、シンプルな言葉で事象を言い当てている、
言い得て妙であるという性質のものの方が多いと思うのです。
事象を言い得て妙という状態は、日々の観察眼から得た論証でありましょうが、
これが数字的に証明が出来うる類のものであればまさにそれは科学そのものですね。
その表現も、世の中の動きや人の心に迫り、真理真髄を言い当てているのもあれば、
単に巧言?と思われるようなものもあり。
現代において科学が証明しようとしてもできないでいることであっても、
哲学者の舌でいとも簡単に、証明されてはいないが納得できること、
というのも結構多いでしょうし。
余談ですが、大昔であっても現代科学に通じる素がちりばめられているような場合も
ありましたね。
突然ですが、【無知の知】について。
これが最も哲学的な言葉なのではないかと思っています。
世の中の全てを把握するなんて、神以外は不可能ですね。
ということで、神の存在にも気付かされるわけですが、
脳の力のほんの5%〜7%程度しか使っていないといわれている人間が、
では脳の全てを駆使して思考するようになったら神に近づくのか?と言えば、
大体の方はノーと言うでしょうね。コンピューターには近づくが、
神には決して近づかないだろう、という思い。
数学で言うところの無限大で説明をつけるのがやっとですね。
哲学堂さんのおっしゃる、僧侶のタマシイの重さ(質=重さ?)が常人の倍だと
立証されるかも、は感覚的に、やっぱり脳の重さやら皺の多さなど目に見えるものと
タマシイの質とはぜんぜん違う、という感じですよね。
思考の深さやなどの各人の違いは神経伝達系統に記録されているはずなのに、
心や感情といったものを顕微鏡で見ることはできないですね。
人の思考の違いを本当の意味で物理的に見ること、無粋な科学でしょうか。
眠くて意味不明なことをぐだぐだ書いていると思いますが、せっかく書いたので
そのままあげます。




































