女子美の中高大連携授業
親の責任
親子関係のほうでは、手に負えないお子さんを育てている親御さんの書き込みをよく目にします。
壁に穴を開けたり、親に向かって暴言(ウザイくらいならまだしも、○ネ!も頻繁にあるようです)を吐いたり、ひどいお子さんだと親に殴りかかったり。しかも道具を持って。
兄弟(主に下のお子さんですが)への暴力行為、教師への反抗も少なくないようです。(お子さんが先生を拳骨で殴ってしまった話を、まるで武勇伝のように書いていらっしゃるお母様もいてびっくりしました)
真ッサラの状態で産まれたはずなのにこのように育ってしまう子がいる、それはどこに原因があるのでしょうか?遺伝?もって産まれた資質?親の育て方?それとも何らかの病?
また、そのような暴力が家庭内でとどまっているという保証はあるのでしょうか?現代の社会問題のひとつである「通り魔事件」のような形に発展する可能性はないのでしょうか?
こういうお子さんを持ってしまったら親はどうすればいいのでしょうか?それ以前に、親の育て方にも関わってくるのなら、こういう子にしないために私たち親はどんなことに気をつけたらいいのでしょう?
正直、うちの子ども(もうある程度の年齢ですが)も身内の子たちも、暴力はもちろん暴言さえ吐いたことがなかったので、そういうお子さんを放置している(少なくとも私にはそう見えます)親御さんが不思議でならないのです。
実は、先日親子関係カテで、私がずっと抱いていたこのような疑問について語り合うスレッドができ、興味深く拝見していたのですが、なぜかスレストどころかスレごと削除されていました。
とても残念でしたが、あちらはどちらかといえば「問題を抱えているお子さんをお持ちの方」が多く、どうしてもそういう子と親に甘くなり勝ちのような気がしていました。
こちらの教育論カテは「教師」の立場の方もいらっしゃるようですし、こちらのほうがふさわしいと思い、私はこちらに立てさせていただきました。
1つ皆様にお願いですが、他のサイトの紹介はなさらないようにしてください。
特に伏字でもURLを書き込むと、それが原因で削除されてしまうようです。親子関係のスレッドもおそらくそれが削除の理由だと思います。
たくさんのお子さんと関わってこられた学校や塾の先生方、カウンセラーの方からの、守秘義務の範囲内でのご意見もお待ちしております。
スレ主さんの意見に真っ向から対立という人もいないのではないかな?
どなた様も、親の責任については否定していないでしょう。
ただ、親の責任を問うとすれば、その事例の背景を細やかに分析しないと
責任も軽々しく問えない状況だとお考えなのだと思いますね。
スレ主さんは、どうもその個々の事例に付いて検討するという発想が
弱いのかな?、と書き込みを読んでいて思います。
そういう意味でも、私を含めて何人かの方が、育児書系断定系の本ではなく
学術的な本で、犯罪心理なり、発達心理なり、犯罪者社会学を読んでみたら?
と薦めたのです。
書いている人の主観バリバリの本を読んでも洗脳されるだけです。
違う視点からさんも仰っていますが、この問題を語ると、障碍の話も出てきます。
先にどなたかも言っていましたが、異常か普通かがわからなくなる領域でもあります。
また、親の責任と共に、社会的な問題に付いてもふれないと難しい。
私は皆さんが言っているスレのことは以前にちょっと読んだだけで、詳しい事は
わかりませんが、「親の責任」を話し合うには、もう少々ポイントを限定しないと
話は混線するだけの様な気がします。
多分、スレ主さんは「大した努力もしていないのに、子どもの問題行動を社会責任に
したがる親の無責任さについて」を話したかったのではないのかな?
確かに、そういう方はいますからね。
でも、それをするにしても、大した努力のレベル問題もありまして・・・
正直、お父さんが息子さんを殺した事件などは、かなり大した努力をした結果
での選択だったでしょうね。
大した努力をできる、力が親に備わっていた。それでもダメだった。
力の無い親の子は、親の意志がどうであれ周囲から見ると放置に見えるでしょうね。
子育てに悩んでいる母親ばかりを責める風潮に
「ちょっと待ってよ」と常日頃思っていた私ですが、
「どうしようもない親」というか、「親の資格がない」という親は存在するかもしれません。
でも親自身が「普通」の状況で、ある程度幸せだと思えているならば、
子どもにしわ寄せがいくこともないでしょう。
虐待や過干渉、放任、いずれも腹立たしい親の行為ですが、
虐待は言語道断、放任は無責任かつある種の病気で、
そして過干渉はともすると教育熱心な親が陥りやすい問題だと思っています。
過干渉は、前の2つとは性格の違うものですので犯罪にもならないのもうなずけます。
前の二つをするような親のもとで育てば、子供も何らかの問題を抱えると想像できます。
ただ、その場合は親の状況を解決しなければ、親に「ダメじゃないか」といっても無理でしょう。
過干渉の方は、子どもに対する自分の態度や考え方を見直すことで改善される可能性はあるとおもいます。
ただ、過干渉と世間でよく非難されることすべてが本当に悪いこととは私は思いませんが。
なぜなら根底に「子どもへの思い、愛」があるならば、
やり方が少々間違っていても子供はそれを感じて成長していくと思うからです。
問題児の親がどういう状況なのか、
「親」に焦点を当てることは間違っていないと思いますが、
もし「原因」が親にあるとしても、その責任をすべてその親に問うような「悪いこと」をしたとは考えるべきではない、というのが私の考えです。
また、マナーについてですが、
これに関しては私は結構厳しく他人をみます。
親として教えるべきことを教えないで、
「仕方がないじゃない」と堂々としているひとはちょっと…です。
わかっちゃいるしかたがないという感じならば、自分の経験によって寛容にもなれるでしょうが。
たとえば、自転車の3人乗りについて、
とくに、私は自分が自転車に乗って移動しないもので、(車も運転しません)
ほかに手段はないのかなとおもってしまいます。
そもそも歩道を自転車で走ること自体、禁止されているのに。
都会の道は広い歩道ばかりではないので、危ない目に何度も会いました。
でもそういう人にどなっているような人を見ると、悲しくもなり、
自分自身は防衛委手段を取るようにしていますが。
中高一貫校のスレなどでも、
校則をやぶってもお腹がすくからしょうがないとか
安全のためには禁止されている携帯もしょうがないとか
子どもにこびる書き込みをする人がいますが、
現実の実際の状況には寛容に、でも原則(しつけ)の意味では厳格に、というのが親の態度だと思っています。
これらは全て「大人の意識」の問題だと思います。
横でしたね、ごめんなさい。
空の蒼さん の意見に同意します。
どの親も子供を育てることに努力していますね。
その努力にその人らしさあることに、関心をもっています。
どうしても、親自身の生育暦の中で自然に刷り込まれた
「〜すべき」とか、また親へ反面教師から「〜すべきではない」
などその人らしい「こだわり」が子育ての信念となっている
ように思えます。
その親自身の「こだわり」が、強すぎて子供の持ち味を
潰してしまったりすることもあるのではないでしょうか。
反抗心がしっかりある子は、たくましく成長していくのでしょうが
素直すぎる子は、親の強い「こだわり」に順応しすぎて
思春期または成人になってから苦しむ場合もあります。
一生懸命努力している親自身が、自分自身の「こだわり」について
深く自問自答できることがは、子育ての醍醐味のように感じます。
わが子が、あまりに順調に育っていると感じている場合
自分自身について深く考えることはしないかもしれません。
そういう意味で、親の責任か否かというより、それぞれの親の努力(こだわり)
が、それぞれの子供(兄弟でもちがいますね)にどういった
影響を与えているのか、大変興味があります。
家という病巣様。自分がスレ主になった時、個レスをする、のが一番ややこしくならずに済みます。そりゃ、ちょっと大変ではありますけど。
子供が子供を育てている、本当のことであっても、だからこそ余計に、目をつむらざるを得ないのだと思います。嘘から出た真で、みなさん立派な方ばかり、ととりあえずは言っておくと、ほんとにみなさん立派になってしまうのですから、不思議です。
いじめは、お金の流通していない世界でもって、特にひどいのではないか、と感じています。その観点から見ると、お金はいじめを防ぐための、社会を流れる血液のような役割を果たしている、と考えられます。
こどもを信じる様。歩道でベルを鳴らす、罰金刑付きの、道路交通法違反です。取り締まりもせず、注意喚起もしない警察署に、かなりの責任があります。
エスカレーターについては、片側を空けるにしても、基本緊急通路として開ける、急いでいる人は階段、急いではいないのだけれど立ち止まるのが苦痛に感じる人は歩いてもよい、ただし前の人が止まっている時は歩かない、またそろそろと揺れないように静かに歩く、などを呼びかける方が一番安全なのではないか、と考えています。新幹線では、私は寝かせる派、です。
スレ主さんのことなのですが、スパゲティ屋さんの壁の穴、それからその店名の由来のシェークスピア、ご存知ないことが少々驚きました。犬を育てる時、良い血統のものであればあるほど生まれてくる子の優劣が激しく、雑種では育て方次第のことが多いです。子供は育て方次第だ、生まれつきは関係ない、と言い切られること、世の中の全ての犬が雑種である、と言い切られているような印象を持ちました。
自転車については、道路交通法、安全の面では子どもを乗せての3人のり、4人のりは危険、でも子どもを持つ母の立場としては、危険を承知でもやむを得ずやらなければ動けない。
それはそうなんです。
よく分かるんです。
でも、ベルは使うべきではありません。
口で言えば済むことです。
そこは歩道なわけですから、「すみません。横を失礼致します」といって、徐行して通ればいいわけです。」そして通りがけに「ありがとうございました」と言えばいい。
「ベルは、通りますから気をつけてください。という意味もあります。」
これは間違いです。気をつけてくださいは曲がり角で使うよう道路交通法では決められています。
通りますから気をつけてくださいというのは、お互いに見えているんだから口で言うべき。
曲がり角で見えないからこそベルでお互いの存在を知らせなければ分からないんです。
山道で、車が時々プッとクラクションを鳴らしあって、向こうから車が来るかどうかの存在を知らせあうのと同じです。
チン!と軽く鳴らすだけでもどけどけに聞こえます。
後ろから自転車がきて、自転車を降りて、「すみません、通らせてください」とたのめば、よほどいじわるな人でなければ道をあけてくれます。
歩道では、自転車が優先ではありません。
歩行者優先です。
自転車は通ることを許されているだけの話で、立場は弱いのです。
堂々と通ってはいけないと思います。
反対のこともありました。うちの近所には自転車道路があります。
先日、ハイキングの歩行者に完全に占領されていたことがありました。
歩く道と自転車の道があるのですが、自転車の道の方をゆうゆうと歩行者が5列くらいに広がって歩いていたのです。
そのときには、とおれなかったので、さすがに、止って、「こっちは自転車の道です。歩行者の方はそちらを通行お願いします。」といいました。
せっかく並んで気持ちよく歩いてたのに〜と嫌な顔をされました・・・。
リュックをしょったハイキング風のおばちゃん軍団でした。
ルールは守るべきです。
そしてお互いにお互いを配慮するべきです。
とはいえ、そこは本来誰が通る道なのかは、やっぱり大事なことなんです。
車のクラクションも同じです。
よほど危ないときの危険を避ける場合にしか使ってはいけないらしいですよ。
知り合いに挨拶でプ!っと鳴らす人多いですが、道路交通法ではあれも違反だそうです。
子どもに、次のように教えています。
「道は、本来人が歩く道だった。人が歩けば歩くほど、そこに道ができた。
けものが歩く道もあった。
でも今の道路はどうだろう?
車がとおることを前提に舗装してある。二車線になっている。歩道もある。ということは、道路は車の道だ。そこを我物顔で人が通れば事故につながる。くやしいけど、道路は車の道だと思って通った方が安全だと思う。
通るとき、わたるとき、本当に十分注意して、車にアピールしてから渡らないと大変なことになるよ。」
エスカレーターは、「郷にいれば」というよりも、本来、そこに立って上まで運んでもらうものです。
そういう意図で作られたものであって、そこを歩くとそれだけ負荷がかかりよくないそうですよ。
エスカレーターにも「真中に立って、手すりに手をそえてまっすぐ立ってください」と描いてありますよね?
お子さんは手をつないで乗るように絵が書いてあります。
そのお子さんを一人で乗せて、横を人が一人通れるようなスペースをあけておくのは、世の中の人が忙しくなって、エスカレーターを「階段より早く上まで連れていってくれるツール」と間違った自己中心的な道具にしてしまったからでもあります。
もちろん急いでいる方には先に行っていただいて構いませんが、それなら階段というツールもあるわけだし。
時間に余裕は持ちましょう。
急ぐのかそれとも楽に行きたいのかどちらかにしましょう。
「関東では左側に立ち、右側は歩いて登る。関西はその反対」
こんなこと、誰かが勝手に自分勝手に決めたことであり、急いで行きたい人が勝手にきめたわがままルール。
体がつらいお年寄り、右手でしか体を支えられない人だっています。
そうしたら、その人に「どけよ!」って言うんですか?
自分が急ぎたいのは自己理由。
どうしても先に行きたいのであれば、「ごめんなさい。ちょっと急いでいて、後ろから失礼致します」って声をかけていけばいい。
そっちのほうが勝手な理由なんだから。
「真ん中に立つことの方が、配慮の足らないことだ」
どうして?エスカレーターですよ。
立って上までいくんです。
そのためのものなんです。
私の母は左手が不自由で、右手でしかエスカレーターを支えられません。
その母に変な持ち方でエスカレーターに乗れというのでしょうか?
それともぐいっと押されてどけどけをされるのでしょうか?
子どもには、エスカレーターは階段じゃない。
歩くんだったら階段を使いなさいと教えています。
確か何かの番組で、このことを特集していたことがあります。
電車会社でも、これは困っていることのようですよ。
エスカレーターの傷みも激しいそうです。
できるだけ均等に重みがかかるほうがいいそうです。
しかもドンドンという振動は良くないそう。
階段を上るのはまさに振動ですよね?
メンテにも相当な無駄な費用がかかる。
でも乗客が減っても困るし強くいえない。
それをいいことに、どけどけルール。
急がないやつは俺達に道を開けろよルール。
完全に強者が弱者を押しのけているルールですね。
世の中の勝手な人たちが勝手に作ったルール?(自分勝手法)が、あたかもそれが常識のように勘違いしているケースってけっこう多いですよね。
私にはどけどけベルと同じ匂いを感じます。
ベルなんて、たらたら歩いててじゃまな歩行者にならすためにここについてんだ!という勝手な理論と同レベル。
新幹線での子どもの声・・・
周りの人が配慮してあげて、「よかったら、お菓子をどうぞ!」って声がけしてあげるとこまではいいとおもいますよ。
でも、それを子どもにいただくかどうかは、親に任せていいとおもうし、
親が「子どもにはあげないことにしているんです。せっかく言っていただいたのにすみません」
というのであれば、それはそれでしょうがない。
親のその行動が周りへの配慮のなさにとられてしまうのは、何だか悲しい。
親も、子どもに「何度もお菓子というようなら、デッキにいかなければならないのよ。ここは寝ている人もいる公共の場だからね。静かなお声でしゃべろうね。」と言い聞かせればいい。
私はよく新幹線で子どもと行き来しますが、お菓子お菓子と何度も言うなら絶対にお菓子はあげません。
スーパーでも「買って買って」では絶対に買ってあげませんでした。
親だけさっさと本人を置いて帰ってきたこともあります。
一度あきらめて店の外に出たとき、本人に、「買って買ってとごねたときは絶対に買ってあげないよ。」と何度も言い聞かせました。
そういう方針ですから、もしうちの子が新幹線でお菓子お菓子とうるさければ、絶対にお菓子はあげないと思います。
うちの子は、そうすれば絶対にもらえないと知っているので、うるさくは言いませんでした。
ただ、声が大きいので、しょっちゅう「し〜!もっと小さい声で話しなさい」は連発ですが・・・。
焦点がずれた意見だったらすみません。何だかいろんなことを派生して
考えてしまうので・・・。
責任、という言葉は当事者が感じることで、他人が「責任を取れ」とか
「責任者出てこい」と言う形で使うのは、直接被害を受けた場合以外
私は使わないと思います。
「親の責任」を考えずに子育てをしてしまった場合、どこかで必ず親には
ツケが回ると思うので、それは他人が指摘するまでもなく、そのことでいつか
親自身が悩むときがくると思うのです。そこで責任をあらためて自覚すれば
そこがまた新たな出発点、になると感じます。
カウンセラーなど本職の方は、虐待する親に対しても、責めても
逆効果だと言われますよね。事件などを見聞きすると、素人としてはとんでもない
と怒りがわきますが、そういった親にまでもプロならば共感、理解を示し、
彼らの行動を変えていく方法を取るのだと思います。
虐待親は一様に「躾だった」と言い、あまり罪悪感を感じていませんが、自分たちも
そうやって育てられた面があるからなのでしょう。ここからは虐待、という一線が
躾にはなく、他人の家庭の方針にはなかなか口をはさめないということもあります。
でも、どんなときでも親を責めることが解決にはならないでしょう。
つい先日のバスジャックした男の子、あまり親に叱られたことがなかった
ようですね。
諏訪哲二さんの「オレ様化する子どもたち」という本を読んだ
ことがありますが、今は社会全体が「個」を大切にする消費社会になっていて
過去の農耕社会(助け合いが生きていた)から、個人の利益追求型の社会に
変わってきた、など興味深い話でした。
大分の事件でもそうですが、「わが家、わが子が良ければそれでいい」と
いった考えを大人も持ってしまっているんだろうと思うのです。
当たり前と思って無意識に生活している中でも、子どもにいろんな影響を
与えてしまう、その中に怖さも潜んでいるんだろうなと思います。
私たちの目に見えていることなどはほんのわずか、時々おこる極端な
事例は、それでも私たちの子育てと地続きで、どこかにここからは異常、という
境界線もない以上、やっぱりわがこととして、つながっているとしか
考えられません。こちらは正しい、あちらは間違い、という世界で生きている
とは思えないのです。
スレ主様の義母さまがお怪我をなさったとのことですので早く良くなることをお祈り申し上げます。
さて、本題ですが
>先天的要因、つまり遺伝による子どもの資質について、それも含めて「親の責任」があると思っております。
>もちろん、後天的な育て方のほうが影響は大きいでしょうが。
>両者を含めて、兄弟が同じように成長しないのは、親の側が同じかかわり方をしているとは限らないためだと思います。
>特に異性の兄弟の場合は、全く同じに育てることは少ないのではないでしょうか?
このコメントを読んでスレ主様はご自身が「一人っ子の母」であるということで複数の子どもを育てている親に歩み寄る姿勢が全くない(もしくは考えることの出来ない)方なのだということがわかり大変残念に思いました。
私は2児の母ですが、上の子と下の子に「全く同じ関わり方をする」なんて物理的にも無理な話です。
上の子のときから当然私も夫も年を取ります。上の子のときに出来たことが下のときにも容易に出来るかといわれたら否です。
上の子のときには子ども一人のことを集中して見てやることが出来ても、下の子のときには常に上もいますからそれもかないません。
その所為か、上の子は少し神経質な性格をしているのに対して下の子は頑固で豪胆な性格です。
でも、同じ夫婦の間から生まれてきたこともを全く同じように育てなくてはならないのでしょうか?少なくとも私たち夫婦は上の子と下の子を「同じように成長して欲しい」とは思いません。
それこそ「個」を無視する考え方です。
ただ、何点か絶対に譲れないものだけは兄弟ともに教えています。
(教え方も違います。あくまでも乳幼児相手の内容であることをご理解ください)
1. 自分が嫌なことは人も嫌。自分が嫌だと思うことは絶対にしないようにする
2. わざとではなくても人に嫌な思いをさせてしまったら素直に「ごめんなさい」を言う。わざと嫌な思いはさせない
3. 困った人がいたら自分が出来る範囲でお手伝いをする
4. 家族で父親(パパ)が一番えらい。パパが言ったことは絶対に守らなくてはいけない
先天性の要因まで含めて「親の責任」と言い切れるのはある意味傲慢だと思います。
身近に心的なものでなくても先天性の疾患をお持ちの方やお子さんはいらっしゃらないのですか?
正直言って「人の母親」である方からこういった発言が平気で出ることにショックを受けました。
>我が家での父親の役割ですが、娘ということもあり、基本的には私の教育方針を尊重してくれています。
>もちろん、男親の視点で「こうしたほうがいい」と言うようなことはありますが。
>大きな問題が生じれば別なのでしょうが、幸い今のところそういうことはないようです。
↑
これが先の私のレスでの質問の回答だとしたら・・・という仮定ですが
ご主人はお子様の成長には基本的にノータッチの極普通の男性ということですね。
他の方も書かれていましたがお子様が女の子でお一人しかいないことが幸いですね。
今は「いてもいなくてもいい存在」といったところでしょうか?
将来お子様が自分の洗濯物と一緒に父親の洗濯物を洗うのを嫌がったり、直接触ることも出来ず箸などで吊り上げるようなことのないようにお祈り申し上げます。
男の子家庭でこの程度の父親のかかわりでしたらかなり問題なのですよ。
色々と悩んでいる男の子のご家庭の大半でも、父親はもう少し子どものことにタッチしていると思います。
少なくとも私の周りのご家庭では「母親の教育方針を尊重して口出しをしない父親」はいません。大なり小なり夫婦で子どものために「あぁでもない、こうでもない」と相談しています。たまにそれが元で夫婦喧嘩になるご家庭も少なくないですが。。。
>先日3人乗りの母親の自転車にぶつけられたところがかなりひどい痣になっていることがわかりました。
>警察に相談して被害届けを出すことにしました。
これにはビックリを通り越してあきれてしまいました。
何故それほどギスギスされているのですか?
少なくともスレ主様のお子様は犯罪などは起こさなくても、社会的弱者に対して思いやりを持つ人には育たないでしょうね。
ちょうど昨日のことですが、下の子を保育園に迎えに行ったあと上の保育園に向かう途中の一方通行の道路(歩道ナシ)を歩いていたところ後ろから車にクラクションを鳴らされました。
下の子がよちよち歩いておりましたので「危ない」と抱っこして振り返るとタクシーでした。
振り返ったときに再度クラクションが鳴ったので少し不快に気持ちになりましたが、これは私ではなく少し後ろを歩きながら携帯メールを打っていたサラリーマンに「危ないんですが・・・」の意思で鳴らしていたようです。
私としては特に後ろから突然車がぶぅ〜と横を通り抜けられるよりも「通りますよ」と先に意思表示するクラクションは非常にありがたいです。
ですから、横を通り抜けるときにドライバーに軽く会釈をしたら先方も会釈を返してくださいました。
抱っこしていた下の子はバイバイをしながら車を見送りました。
「後ろからのクラクションやベル」も鳴らし方にもよりますが、捉え方でもかなり違うのではないかと思います。
あえてけんか腰で過ごさなくてはならない社会ではないと思います。
スレ主様はきっとゴミのポイ捨てを目の当たりにしたら、捨てた人を捕まえて「あなたのゴミなんだから責任もってゴミ箱に入れなさい」というタイプなのでしょうね。
(ルールはルールと強固な考えの方でたまにいます)
私の子どもたちはポイ捨てされたゴミを見つけると「あ〜あ。ゴミはゴミ箱に入れないとダメだよね」と言って拾ってきて私に「ママ、はいゴミ」と渡すので黙ってかばんに入れ自宅で捨てます。
ポイ捨てを見ても「いけないよねぇ〜」とは子どもと話しますが、子どもは当然のように私のところに持ってきますので「そうね、いけないね。街をお掃除してくれる人が大変だからこれはうちで捨てておこうね。捨てた人はきっと間違えちゃったんだろうね(そんなわけありませんけどね)」と言っています。
ですから、毎朝保育園に登園する時に街を掃除している人にあうと上の子は
「おはようございます。お掃除ありがとう」
と挨拶するように自然になりました。下の子はまだそれほど流暢に喋れませんので会釈+バイバイ程度です。
こんな子どもたちですので、本当にご近所の方から可愛がってもらい気にかけていただいています。
私は子どもは「親力」だけでは育たないと信じています。
ですから積極的にご近所の方にはすすんで挨拶し声を掛けます。
ご近所の方達のおかげと夫の父親力、両祖父母の協力もあり本当に「今」は優しい子です。
何かきっかけがあってドロップあうとしないことを祈りつつ子どもの成長を見ている毎日です。
私はスレ主様の考え方が全面的には間違っているとは思いません。
ただ、未知の世界に対する寛容さと理解しようとする努力が欠けていると思います。
また、義母さんへのやさしいお気持ちの半分程度でも外に向けられたら、言葉の刃物で他人に平気で向けるような考え(コメント)が減るのではないかと思います。
最後に改めてお子様にとっての「父親像」ですが、私の解釈が間違っているようでしたら復帰後でかまいませんのでコメントいただけると幸いです。
自転車のベル一つをとっても、いろいろなんですね。
私のベルの使い方は一男一女さんに近いです。
人の動きは、今真っすぐ歩いていても、いつ向きが変わるか分かりません。
だから、ベルをチリンと鳴らします。「通らせてください。真っすぐ歩いてくださいね」という意味で。
それで、通りすぎるときに「すみません」と言います。
狭くてよけてもらわなければいけない場合は、スピードを落として、「すみません」と言います。
ベルは鳴らさないことが多いです。
子どもを信じるさん
角を曲がるときに「自転車が行きますよ〜」と知らせるベルなら、どけどけベルとどう違うのかよく分かりませんでした。
同じ「ぶつかるかもしれないから気をつけてね」だと思えてしまうんです。
角を曲がるときは、スピードを落として、なるべく早く向こうが見えるよう大きめに曲がるよう子どもには教えてきました。
なかなかこれをしなくて、ハラハラしますが。
角を曲がるたびにベルを鳴らしていたら、角の家は大変なんじゃないかなと…。
恥ずかしながら、角を曲がる用でベルがついていると法律で決められているとは知りませんでした。
車はスピードを落として、注意しながら曲がるのに、なぜ自転車はベルなんでしょう。
法律もしょせん人間が作るものですから、詳しく知ったら、突っ込みどころ満載なんでしょうね。
鳴らしたことが免罪符にならないといいですけど。
猛スピードで来られて「こっちは鳴らしたから」と訴えられることもあるってことですよね。
角を曲がるときにはこれまで以上に注意したほうがよさそうですね。歩いているときも。
ありがとうございました。
今日の新聞に秋葉原の事件に関して読者の投稿が載っていました。
犯人の「誰かに止めてほしかった」という供述を聞いて、
コメンテーターが「そんなことを言うなら、初めからやるなって話ですよ」と語っていた。
犯行は絶対に許されないが、コメンテーターのその言葉に
事件の背景にある現代社会の冷たさを感じた。
孤独な容疑者がネットで犯行予告をしたことは
救いを求める彼の最後の叫びだったのかもしれないと思った。
自分を重ねてみている人もいるのではないか。
これ、18歳の高校生の意見です。
たかが18歳なのに、犯行は悪いとした上で犯人の心の中を想像し、孤独を理解し、
現代社会の冷たさを指摘し、今後の警鐘を鳴らせる。
どうも大の大人のほうが情けないように感じました。




































