在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
親の責任
親子関係のほうでは、手に負えないお子さんを育てている親御さんの書き込みをよく目にします。
壁に穴を開けたり、親に向かって暴言(ウザイくらいならまだしも、○ネ!も頻繁にあるようです)を吐いたり、ひどいお子さんだと親に殴りかかったり。しかも道具を持って。
兄弟(主に下のお子さんですが)への暴力行為、教師への反抗も少なくないようです。(お子さんが先生を拳骨で殴ってしまった話を、まるで武勇伝のように書いていらっしゃるお母様もいてびっくりしました)
真ッサラの状態で産まれたはずなのにこのように育ってしまう子がいる、それはどこに原因があるのでしょうか?遺伝?もって産まれた資質?親の育て方?それとも何らかの病?
また、そのような暴力が家庭内でとどまっているという保証はあるのでしょうか?現代の社会問題のひとつである「通り魔事件」のような形に発展する可能性はないのでしょうか?
こういうお子さんを持ってしまったら親はどうすればいいのでしょうか?それ以前に、親の育て方にも関わってくるのなら、こういう子にしないために私たち親はどんなことに気をつけたらいいのでしょう?
正直、うちの子ども(もうある程度の年齢ですが)も身内の子たちも、暴力はもちろん暴言さえ吐いたことがなかったので、そういうお子さんを放置している(少なくとも私にはそう見えます)親御さんが不思議でならないのです。
実は、先日親子関係カテで、私がずっと抱いていたこのような疑問について語り合うスレッドができ、興味深く拝見していたのですが、なぜかスレストどころかスレごと削除されていました。
とても残念でしたが、あちらはどちらかといえば「問題を抱えているお子さんをお持ちの方」が多く、どうしてもそういう子と親に甘くなり勝ちのような気がしていました。
こちらの教育論カテは「教師」の立場の方もいらっしゃるようですし、こちらのほうがふさわしいと思い、私はこちらに立てさせていただきました。
1つ皆様にお願いですが、他のサイトの紹介はなさらないようにしてください。
特に伏字でもURLを書き込むと、それが原因で削除されてしまうようです。親子関係のスレッドもおそらくそれが削除の理由だと思います。
たくさんのお子さんと関わってこられた学校や塾の先生方、カウンセラーの方からの、守秘義務の範囲内でのご意見もお待ちしております。
そもそも親に氏ねと言ったり乱暴な子がみんな凶悪な犯罪者になるんですかね。
それに、ある程度の年齢になれば嘘をついてごまかそうとしたり、都合の悪いことは省いて親に話したりすることもあるだろうし。親に見せる顔がその子の全てじゃないと思いますけど。いじめとか万引きなどが発覚して、「えーっ、うちの●●ちゃんが。信じられない。」なんて話は珍しくはないですよね。子供のことすべてわかってるなんて、自分と親のことを思い返してもありえないでしょ。
親子板にいけば、強圧的な親に苦しめられつついい子を演じてきた人のエピソードは一つや二つじゃないですし。子供側からいえば、そういうのは成功した子育てとは言えないでしょ。
他人を糾弾できるご立派な親なんて存在するのかな。事件があったらそれをえらそうに評論なんかしないで、自分の子育てを省みるよすがにすればいいと思います。
かっぱ様、少しちがうと思うんです。
「本当に危ない、子どもの中の何か」を見つけられるのは、まずは親だということ
なんです。
親に見せる顔、見せない顔、勿論ありますよね。
でも本当に、社会性を欠く、人間性を欠く、危ない何かが芽生えた場合、
まず、それを発見できるのは親だと言うことだと思います。
親は自分の子どもを、社会に有害なものとしてでなく送り出す、重い重い責任を、
引き受けて、生きていかなければならないのだと思います。
一言だけさんの言うことはその通りです。
でもそれを私は自信をもってやりましたと言い切れる人がどれほどいるのかと思います。反抗期にどうすればよいのでしょうという人はエデュにもたくさんきてますよね。そういう難しい時期に親としてまちがわないでいられる人、迷わない人がどれほどいるんでしょうか。
私は一生懸命やりました、ともにがんばりましょうというならいいと思いますけれど、私はこんなに立派に子供を育てました、犯罪者になるような子供を育てた親は無責任な親だ、司法で裁くべきなんてご意見には賛同できません。傲慢だと思います。
>まず、それを発見できるのは親だと言うことだと思います。
片手間に垣間見るぐらいでテキトウに見ていても、
目をこらして一生懸命で見ていても、
「見えない何かはある」と思います。
それを「だからしょうがない」と言うつもりは全くありません。
それでも、それでもですよ、親と子であっても
極言すれば、一人の人間と人間で「しかない」以上、
「お互いに見えない何か」は必ずあるものなんです。
人は、他の人間の性向を完全に掌握することができるものでしょうか?
「まず、発見できるのは親」は同意できません。
逆に「親だって、いや親だからこそ見えない部分」がある、という覚悟というか、認識こそが大切だと思います。
それが「親だけが育てるのではない」ということの根幹だと思うのです。
なぜ見落としたか、なぜ放置しておいたか等々…というような親の責任を云々することも、
無意味とは言いません。
そこに何かしらの問題があったのなら、それを追求する(糾弾するのではなくて深く考えるといったようなこと)のは十分意味があるし、やらねばならないことでしょう。
もちろん、犯罪者となってしまった人間の親は、そこに、反省や贖罪の気持ちもあってしかるべきでしょう。
でも、
「見えない何かは必ずある」という、「見えなかった何か」が、
なにゆえ後に犯罪事件を巻き起こすような「大事」にまでなってしまったか、を
家庭も含めての環境全般からも追求することをしなくてはならないのではないか、と思います。
なぜなら、親とて子どもを完全に掌握はできないからです。
「親なら分かるはず」などという、
「人間の完全性」に期待するということは、
己の不完全さを自覚する者(きっと殆どの人がそうでしょう)にとって、
愚挙に等しいコトだと思います。
また、
犯罪者となってしまった者の親の「子育て」と、
いわゆる間違った育て方をしていると「客観的に見てそう見える・そう思われる」親の「子育て」と、
子ども自身の資質として「育てにくさ」と感じながら育てている親の「子育て」
(もっと言えば、何らかの障碍を抱える子どもの子育てすらも…)を、
一律に、同じ土俵で語るのは、大いなるムリがあると思います。
まして不始末の責任を問うばかりでなく断罪云々など、
あまりに乱暴ではないでしょうか。
>ともにがんばりましょう
甘いと言われるかもしれませんが、
私も、「最後」に述べられるべきは、この一言に尽きると思います。
そうなのかしらさんのおっしゃるとおりだと思います。
「本当に危ない、子どもの中の何か」を見つけられるのは、親だけとは思えません。
そういう外へ向く危険な兆候は、逆に親には見えないほうが多いような気がします。
親が知らない子どもの姿を、友達やその親が知っていることは多くないですか?
でも、結構友達もその親も放っておいたりします。
心配して忠告しても、自分の子はいい子だと思っている多くの親は人の話が信じられません。
自分だけに見せるいい子の我が子を信じます。
たとえ少し信じかけても、目の前のいい子を見て、すぐ打ち消します。
ほとんどの親が。
自分の子はかわいいし、どこかで悪いことをしているなんて疑いたくもないですから。
どんなにその親子のことを思って忠告しても、恨まれるだけということは多くないですか?
頑張って一度伝えることすら少ないです。
逆に家で暴れる子どもは、外ではいい子だったりしませんか?
家でちゃんと躾けられているからこその親への反抗。
だから、外でやってはいけないことを知っている気がします。
もちろんすべてとは言いません。いろいろなケースがあるでしょう。
でも、私自身はどちらかというと家で暴言を吐く子より家でいい子を演じる子のほうが怖いです。
家でストレートに気持ちを吐き出せない分、どこかに向くのは自然なことですから。
知らないうちに周りを傷つけているかもしれません。
いい子であるならば、不満をため込んでいないか、より注意するべきじゃないかと思います。
柔軟性 さんへ:
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> そうなのかしらさんのおっしゃるとおりだと思います。
> 「本当に危ない、子どもの中の何か」を見つけられるのは、親だけとは思えません。
> そういう外へ向く危険な兆候は、逆に親には見えないほうが多いような気がします。
ひと言だけさんは「親だけ」とは言ってないでしょ?
ひと言だけさん:
> 「本当に危ない、子どもの中の何か」を見つけられるのは、まずは親だということ
なんです。
子供のちょっとした変化を最初に見つけるのは、一緒に暮らしている親であることが
多いという意味なんでは?なんで「親だけ」になるの?
親も子供の全てを知ってる訳ではないこと百も承知です。でも、生まれた頃から育て
ていれば、それなりに子供の特徴、長所や短所を把握してるだろうし、ちょっとした
変化にも気づくのでは?だから「まず(最初)は親」ってことでは?
ポコペンさんへ
そうですね。すみません。「だけ」とはおっしゃっていませんね。
でも、「まずは親」とも思えません。
ごめんなさい。
もちろん親が見つけることもあるでしょうが、
親だからこそ見えないこともあると思うんです。
親が見えていない場合は、親は安心しきった状態だから、
そういう場合も気をつけるべきではと言いたかっただけです。
もちろん見えていない親を責めるつもりもありませんよ。
見ようとしていないわけでもないでしょうし、見えないものは仕方がありませんから。
大体人さまに注意なんておこがましいこと、普通はしませんよね。
よほど仲がよくなければ、まずしません。
すごく仲がよくても、その一言で悪化してしまうことを考えたら、
親が気づいてくれることを祈っているような感じでしょうか。
刃物なんて過激でなくても、言葉や態度で人を傷つけている家ではいい子の子ども。
その子の親は何も知らないこと、周りでありませんか?
要は、どの親もいつ何が起こるかは分からないってことです。
もちろん私もです。
すごい〜!
いろいろ素晴らしい話が出てきましたねえ〜!
これも壁の穴さんのおかげですね。
皆さまの議論、どれもごもっともで、うんうんとうなずきながら読みました。
柔軟性さまの
「子育てなんて、何が正しいのか分からない兼ね合いが難しい。
スーパーで一切お菓子を買い与えないなら、公衆の面前で駄々をこねるようなことはない。
我慢強いけれども、物事をあきらめやすく、自己主張に欠けているような気がする。
お小遣いはお使いに行ったお駄賃の数十円だけならば、妥当な金銭感覚を身につけることができる。無駄遣いもしないけれども、何となくケチで、ボランティア精神に欠けているような気がする。」
↑というご意見は、何だか我が家の実生活の悩みのようですごく共感しました。
だからこのごろは、お菓子を買わない!と言った母の前で、「どうして買わないの?」と突っかかったり、ふてくされてみたりする息子を、何だか頼もしくさえ感じることがあります。
とりあえずもう一度交渉してみることをするようになりました。
どれだったらいいの?と言ってくるようになりました。
「押しても駄目なら引いてみな」でしょうか・・・。
こやつもなかなかやるなあ〜と思っています。
お使いも、1000円札で行かせてみて、いろいろな物を買ってこさせたりもしています。
買えるかどうか考えながらね〜と。
買えなくて、レジでひとつあきらめて帰ってきただとか・・・。
そんなこともあります。
子どもって面白いですよねえ。
でも確実に成長してきているし、だんだん親のいうことも無条件ではきかなくなってきている。
これは違うよということを必ず親に言ってくる。
そこで親子でじっくり話すきっかけができる。
「子どもの人格形成が親だけの責任であれば、子どもは本当に小さな人間になってしまいます。
人間なんて、どんなに立派な人でも欠点だらけ。
いろいろな人から影響を受けるからこそ、何とかやっていける大人になるんだと思います。
↑
まさにそのとおり!
それに尽きると思います。
親の影響力は大きい。
でも親だけが子どもに影響を与えうるものではないはずです。
友人だったり、地域の大人だったり、初めて会った大人に、行動を叱り飛ばされることもありうるでしょう。
そういったいろいろな経験を通して、子どもは総合的に育つのです。
一人の人間が粘土を積み重ねるように作るわけではないのです。
だからこそ、子どもは多様に育っていくのです
親が作る作品ではないのです。
子ども自身も、自らを自らが内面から作りあげるのです。
「育てたように子は育つ」んです。
多くの良き環境となりうる大人や子どもに恵まれずに育った子はかわいそうです。
自らが、率先して、そういった環境を探して生きていくべきでしょう。
ある時点でそれに気付き、自らが切り開いていける強さがあれば、その子は大丈夫でしょう。
わがままな理由で、自分勝手に周りを攻撃してしまうような自暴自棄というかそういう人間は、残念ながら・・・。
親だからこそ、悩むし、いらいらもする。
自分の影響の大きさは百も承知。




































