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【353506】教師にどうしてほしいですか

投稿者: 公立中学教師   (ID:2LFpKf3QkaY) 投稿日時:2006年 04月 25日 23:18

公立中学で教員をしています。今は産休です。近所の公立中学は生徒の素行、とくに喫煙が問題となっています。男子よりむしろ女子がひどいようです。
商店街で、女性二人の立ち話が耳に入りました。その女子中学生たちの喫煙についてでした。どうやら二人ともその中学に子どもを通わせているようです。
一人の女性が「先生がだめよ。だって注意することしかできないんだもん」といっていました。そこまでしか聞き取れませんでしたが、一般の方は教員に何を求めているのでしょうか。産後、頭がぼけているのでよくわかりません。体にさわっただけでも「体罰」「セクハラ」とたたかれる時代に、根気強く注意したり、話をしたりする以外に、教員にどうしてほしいのでしょうか。
その女性は「息子に、だったらお母さんが注意すればって言われたけど冗談じゃないわよ」とも話していました。(盗み聞きしてすいません)

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  1. 【353876】 投稿者: 役割分担  (ID:m7JHh8MzuPU) 投稿日時:2006年 04月 26日 12:46

    2番目に投稿した  お仲間に入れてください  です。
    ハンドルを  役割分担  に変えます。

    学校という集団の場でしか教えることのできない多様な価値観の中、
    自分というものを確立していく術・・・これは家庭内では難しいので
    先生というか、学校教育で担って欲しいところです。
    友人関係、師弟関係の中でのコミュニケーション、
    その場で子供に深く考えさせることをしていただければ。
    教科教育だけなら塾で結構、という話になってしまいますもの。
    一方、家庭の役割は、基本的生活習慣や情操分野を担うことと、
    なによりも愛情をかけることだと思います。
    自己愛を育んでおかないと、集団の中でうまくやっていけませんものね。


    スレ主さんに質問ですが、
    教職は指導者だと思いますか?
    支援者だと思いますか?
    今の時流は、どちらかというと、支援者の方に傾いていませんか?


    賛否あるでしょうが、私は子供を客観視できる第3者が良い指導者として
    人間教育するのが好ましいと思っています。そのためには先生方の
    プロとしての向上心や勤勉性を求めます。きついでしょうか。
    逆に、親は支援者でいいと思います。子を主観的にしか見れない親が
    指導をすると確執が生まれやすいと思います。基本的には、親は子の
    お世話係で、支援しながら伴走しているに過ぎず、
    よりよい教育環境を求めて能動的に動き回ることはあっても、それは
    直接的指導ではない、と考えます。他力本願なのではなく、一線を
    画す、ということです。そうした親の立ち回りを愛情だとして
    きちんと感じ取ることが出来る子を育て、必要な知識や立派な大人像を
    師から素直に学び取る、そんなことを思っています。伝わるかしら?

    とどのつまり、先生にお願いがあるとしたら、子供の良いお手本=師匠
    となって欲しいということです。だから、先生には「尊敬される人」で
    居て欲しいです。教科の専門性でもいいし、人間的に大きな器、大人度を
    魅せつけて夢を持たせて欲しいです。スレタイに則して、お願いごとを
    書いてみました。勿論、家庭の役割も両輪で考えていきますので。


  2. 【353894】 投稿者: 禁煙指導  (ID:OFWgkbQnxjw) 投稿日時:2006年 04月 26日 13:05

    よろしかったら以下のリンク先をごらんください。
    直視し難いほどのインパクトのある画像もたくさんですが、EU加盟国の中にはたばこのパッケージにこの表示を義務づけているところもあります。目に訴えるこうした画像を学校でも家庭でも積極的に禁煙指導に使用すべきでしょう。性的にも乱れている輩(生徒のみならず教師も?)には”性的不能の誘発”があらためてショッキングのようでした。
    http://www.pat.hi-ho.ne.jp/ten250/biyou/eu.html
    http://www.eu-info.jp/news/fp-tab.html

    さらにこうした最近の情報もあります。
    http://www.kin-en.info/release_050810.html
    http://www.kin-en.info/release_041215.html

  3. 【353946】 投稿者: お願い  (ID:zMHFltUB2II) 投稿日時:2006年 04月 26日 14:53

    常識のない親が、子供に常識を教えられるはずがない。
    問題のある子は、その親も問題あり。
    親を呼び出して話しても通じるわけがない。
    公立の先生は本当に大変ですよね。
    勉強だけでなく躾までやりなおさないといけないなんて。
    でも、まともに育てられていない子供は
    いわば被害者。親を選べませんものね。
    そのまま大人になったら、もう注意してくれる人はいません。
    大変でしょうけれど、何とか学校にいるうちに
    まともな常識を身につけてやって欲しいです。
    将来私達の子供が住む、未来の日本が良くなるように
    先生方、よろしくお願いします。

  4. 【353959】 投稿者: チキンリトル  (ID:Ma062ggqjuw) 投稿日時:2006年 04月 26日 15:31

    はあ・・様:


    >子供が何か悪いことをして、親が学校に呼び出された時に、
    >「あの子だってしたのに、どうしてうちの子だけ」という親がいるそうですが、


    学校に親を呼び出す・・・って、子にとっても親にとっても重い出来事じゃないですか?
    子供相手に叱るなら「あの時ついちょっとカッとなって先生、叱りすぎちゃったかもな。
    ごめんな。」で済む事でも、親を呼んでしまったらゴメンで済まない場合もあると思うんです。
    親を呼ぶ以上大事になるのですから、「慎重」「公平」であってほしいと思います。


    私も小学生の頃、よく先生に叱られる子でした。
    ほかの子もやっている事でも、ささいな事でも、私はなぜかいつもきつく叱られるんです。
    大人しい女の子なら、私が先生にされたのと同じ仕打ちを受けたら自殺しちゃってもおかしく
    ないんじゃないかと思うような理不尽で恥ずかしい罰を受けた事がありました。
    恐らく、先生にとって私は叱りやすい子だったんだと思います。
    明るくて、叱られても平気そうに見えたんでしょうね。
    でも、私は決して平気ではなかったですよ。
    あの時の堪らなく惨めで身の置き所のないような恥ずかしい気持ち、
    今でもはっきりと心に焼き付いています。



    >よく、誉めてくれない、認めてくれないなんて言う親がいますけど、
    >社会に出たらそんなことは日常茶飯事ですよ。怒られることはあっても誉められません。


    オムツをしている子供に「もうちょっと大きくなったらオムツなんてしないんだから」と
    はずしたりしないですよね。
    離乳食を食べさせる時期の子供に、「もう少ししたら普通食食べるんだから、離乳食なんて甘やかしだ」
    といきなり普通の食事はさせないですよね。


    成人するまでは、「まだ大人ではない」「大人の愛情と指導を糧に大人になっていく」期間ですよね。
    「大人になればどうせ・・・・・・・だから」と言ってしまえば、学校に通う事自体、必要ない
    という極論になりませんか?
    学校の中で先生が子供に対する接し方と、大人社会での対人関係とは同じに語ってはいけないという
    気がします。


    家庭でも親の愛情をしっかり受けた子の方が自立が早く、愛情不足だった子は何かと発達上の
    問題を抱える・・・と言われるように、学校教育においても、相手は子供なのですから、
    やはり愛情ある指導が基本だと思います。


    勿論厳しさが必要ないとは思いません。先生も大変なお仕事・お立場だとはお察しします。
    でも「社会に出れば厳しいのが当たり前なんだから、学校教育も厳しくていいんだ」という
    理屈はちょっと考え直してほしいんです。


    中学時代を振り返って、先生に怒られてばかりの思い出で自分に自信が持てない、という人より、
    学校には良い思い出ばかりで、優しい恩師にも恵まれた。あの時ある先生に褒められた事が
    今でも自信になっている、あの時のある先生の一言がきっかけで今の仕事につながった。
    とにかく楽しい中学時代だった!という人の方が、あとあとの人生の幸福につながる気がするのです。


    私の考えは甘いのかもしれませんが・・・。(厳しい指導を全否定するつもりはありません)


  5. 【354004】 投稿者: 本当に  (ID:rsmT/hZMQm2) 投稿日時:2006年 04月 26日 17:11

    「役割分担」さんと「チキンリトル」さんのご意見に共感します。
    先生に何でも責任を負わせるのはもちろんいけないと思います。
    ただ、学校の中でおこっていることについては先生たちの対応が必要です。
    又、役割分担さんもおっしゃっているように、
    先生方には大きな意味での「指導者」・「大人の模範」としての自覚を持って子どもたちと接してほしい、それがプロの教師というものと思っています。

     
    親子関係に問題があって子供になにか問題が出ているばあい、
    先生に直接の責任はないですが、
    そばにいる大人としての「接する、影響を与えられる機会」のある大人として、どうぞ自信を持って子どもたちに愛を注いでください。
    親が優先なんて時には考えなくて良いと思います。
    大人はみんな子どもたちにとって責任があるのです。
    ましてや毎日接している先生には子どものことを考える責任と権利があります。
    踏み込んで話す権利があるのです。
    愛を持っているものにしかできない権利をどうぞ駆使してください。
     
    注意するだけではね・・・と母親たちが言うのは
    言葉でおざなりのことを言うだけなら誰でもできると言うことでしょう。
    もっとその先生にしかできない心からのやり方というものを期待しているのだと思います。
    これは先生や学校に何でも押し付けると言うこととは別な、
    むしろ先生や学校に期待している言葉だと思いますよ。
     
    タバコを吸うことがなぜ子供たちにとっていけないのか、
    例えばこの問題をとっても、そのことをきちんと自分の言葉で自信を持って説明できる先生ならば、その心を伝えることはできるでしょう。
    その先生が自分もタバコを吸っていては説得力ないでしょうが。
    自分の失敗談でも良いのです。
    先生が子どもたちに、自分のためではなく本当にその子たちのために心からこうしてほしいと言うことを、迷いながらでも伝える先生は子供たちから信頼されています。
     
    一番ダメな先生はきれい事をいい、自分はきちんとしていないで、教師風邪をふかして指導する先生です。
    がんばってください!
    お子さんお生まれになったのでしょうか。
    お子さんのいる先生は信頼されます。
    どうぞ自然体でやってくださいね。

  6. 【354060】 投稿者: はあ・・  (ID:TqV7v0cdTlQ) 投稿日時:2006年 04月 26日 18:40

    チキンリトル さんへ
    > 親を呼ぶ以上大事になるのですから、「慎重」「公平」であってほしいと思います。

    勿論その通りですよ。
    他の子供だってそうなら話をしてもいいでしょう。
    だけど、その前に自分の子供がやったことに対して謝らない親が多すぎるんですよね。
    私もまったくチキンリトルさんと同じように、他の子には注意程度なのに、恥ずかしいくらい叱られたことがあります。「なんでそんな些細なことで」と思っていました。
    つらかった日々を思い出すと、よく耐えられたなと自分で思いますが、今では思い出です。


    次の日の時間割も親が用意してしまう家庭がありますが、忘れ物をすると全部母親のせいにするそうです。そんな育ち方をしている子供が、社会に出たとき自分で会社に行く用意ができますか?会社で仕事ができますか?
    大人になれば・・・できることでしょうか?
    実際、娘にトイレトレーニングを全くしなかった母親が、娘が中学入学で困っています。
    未だにおむつをして学校に行ってます。
    病気や障害といった、そういうことではありません。


    > 家庭でも親の愛情をしっかり受けた子の方が自立が早く、愛情不足だった子は何かと発達上の問題を抱える・・・と言われるように、学校教育においても、相手は子供なのですから、やはり愛情ある指導が基本だと思います。


    その通りですよ。だけど、今の親や子供はそうでしょうか?
    愛情を与えられることばかりを求めていて、相手に与えることをしているでしょうか?
    与え方を教えられずに育っているからこそ、命を大切にしない、暴力をふるう・・
    そういった少年犯罪、成人になってからも犯罪を犯す人間がいますよね。
    愛情不足の人間が問題を抱えることは、ニュースでも騒がれていますが、可愛がられすぎて愛情ばかりを与えられ、厳しさを知らずに犯罪を犯してもそれが悪いことなのかもわからない人間もいます。
    私は中学時代、優しい先生もいましたし、あの授業は嫌だなあと思う厳しい先生もいました。良い思い出もあれば、苦い思い出もあります。
    何もかもうまくいくような世界なんて、どこにあるのでしょうか?
    仰る通り、良い思い出ばかり経験できればいいですよね?
    でも、そうじゃない世界だからこそ、悩んだり、苦しんだり、そういう経験をしながら、
    大人になった時、人の気持ちがわかるようになっていくんじゃないでしょうか?
    親になった時、子供の悩みにどう対処したらよいのか、考えられるんじゃないでしょうか?


    子供を守るために必死になるのは、私も親ですからわかります。
    しかし、自分の子供のことばかりを考えて、相手の気持ちを考えていないでしょう。
    叱られることは何故叱られてしまうのか、それも考えてみれば自分のためだったりもします。
    確かに叱るポイントがわかっていない先生が存在するのも事実です。
    そのポイントと、叱る中にも子供を思う気持ちがあれば、子供は言うことをきくきかないは
    ともかく、傷つくことはないんです。先生を嫌うこともないです。


    > でも「社会に出れば厳しいのが当たり前なんだから、学校教育も厳しくていいんだ」という理屈はちょっと考え直してほしいんです。

    あの〜、そうは言ってませんが・・。

  7. 【354092】 投稿者: 本当に  (ID:fVmrRTeaxZQ) 投稿日時:2006年 04月 26日 19:46

    はあさんへ:
    横から失礼。
    おっしゃることは理解できるのですが、
    イマドキの親とイマドキの子供を一緒に語るのはちょっとなあとおもうのです。
    イマドキの親もイマドキの先生も、イマドキの大人ということである意味一緒に語っても良いと思います。
    でも子供というものは常に大人が責任を持って教える対象だし、尊重されるべきものなのではないでしょうか。
     
    親に問題がある場合、その親は非難を受け止める責任があります。大人ですから。
    育ち方に問題があり、不幸な生い立ちがあったとしても、大人ですから自分の責任にしかならないのです。
    でも子供はどうでしょう。
    どんな問題児でも、子ども自身に責任をとらせるような根本的な原因てなんでしょう。
    やった悪い事を責められはすべきですが、
    子供の場合、大人のやり方でまだまだ可能性があるのではないでしょうか。
    そう言う子どもと向かう存在として、大人は同様に責任を持つと思います。
    学校と家庭という図式ではなく、
    大人と子供という図式が必要なのだとおもうのです。
     
    学校の先生と親がいがみ合っている間に子どもたちは成長するのです。
    大人一人一人が子どもという存在にもっと真摯に向かう必要があると思います。
    社会にでた時の厳しさに立ち向かえる強さは、結局育まれた温かさや、受け入れられた自信がある子にしか育ちません。
     
    過保護に育った子どもが凶悪犯罪を犯したなんて例、どこにありますでしょうか?
    確かに過保護に見えても実際は放任で愛情不足という場合はあるでしょう。
    それは大人が子供というものに誠実にむきあわなかったということです。
    手取り足とり保護しても、愛が裏打ちされていれば子供は勝手に自立するものです。

  8. 【354113】 投稿者: 王子様  (ID:H2BnEsQ785E) 投稿日時:2006年 04月 26日 20:31

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