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【71456】カトリック信者について

投稿者: 疑問のある親   (ID:Fg/yj2WI8YA) 投稿日時:2005年 04月 04日 12:42

 中学受験の洛南スレで、洛星の説明会で「ボーダーの場合はカトリック信者を
優先すると話した」との書き込みがあります。
 合格最低点が公表されていますから、そこに達した受験生は全員合格させるべ
きですし、いくらカトリックの学校といっても受験はオープンにしている以上、
カトリック有利というのもおかしいのではないでしょうか。憲法に保障されている
「信教の自由」にも触れる重大な発言ではないのでしょうか。

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  1. 【73117】 投稿者: まあ  (ID:okFD.yhgwkY) 投稿日時:2005年 04月 07日 18:49

    讃美歌は、主イエスをことさら讃美する歌ですけど

  2. 【73132】 投稿者: あの〜  (ID:ql8Loex2Mek) 投稿日時:2005年 04月 07日 19:42

    私はカトリック信者ではないので解釈が間違っていたらごめんなさい。命の大切さと平和への願いを歌ったものだと思っていました。

    洛南の校長先生がよく、仏教ではこういう解釈ですがキリスト教ではこういう解釈ですと比べてお話になります。解釈の違いがあれど、命の大切さを教え、平和を願う心は共通に同じですと述べられます。祈る対象が違うのかもしれませんが、同じ心を持っているのだなと思ったことがあります。認め合っているので、勧誘活動さえしなければ、それを表現してもとがめられるとは思えません。

    またこれ以上この件について詳しいことは解らないので、意見を述べるのはこの位にしておきます。皆さんの意見を拝見させて頂いて、とても勉強になりました。ありがとうございます。

  3. 【73503】 投稿者: ミッションスクール  (ID:vnB8RrNFzy.) 投稿日時:2005年 04月 08日 17:43

    ミッションスクール・・・ミッションとは伝道、布教の意味です。
    つまりもともとキリスト教の布教の目的で作られた学校であることを認識すべきですね。
    キリスト教徒にならなければならないということは勿論ありませんが、
    キリスト教に全く興味がない家庭がその進学実績だけで選ぶと
    衝突が出たりしませんか?
    例えば、某大学への進学者数の増減とかで一喜一憂ばかりでは
    ミッションスクールの本筋ではないですからね。
    人を活かすことを目的に作られた学校でしょう。
    勉学であれ、それ以外であれ、その子の賜物を見出すために
    派遣された学校ですから。

  4. 【73677】 投稿者: 本来はそうですね  (ID:DW6U/5GC8F.) 投稿日時:2005年 04月 08日 23:32

    ミッションスクール さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > ミッションスクール・・・ミッションとは伝道、布教の意味です。
    > つまりもともとキリスト教の布教の目的で作られた学校であることを認識すべきですね。
    > キリスト教徒にならなければならないということは勿論ありませんが、
    > キリスト教に全く興味がない家庭がその進学実績だけで選ぶと
    > 衝突が出たりしませんか?
    > 例えば、某大学への進学者数の増減とかで一喜一憂ばかりでは
    > ミッションスクールの本筋ではないですからね。
    > 人を活かすことを目的に作られた学校でしょう。
    > 勉学であれ、それ以外であれ、その子の賜物を見出すために
    > 派遣された学校ですから。

     でも、大半が6年一貫校で難関大学の合格実績で地域のトップ校が多い
    ですね。「人を活かす」を目的なら試験システムを変えることも可能だと
    思います。優秀な生徒を獲得したいのが本音ではないですかね。
     ラ・サ−ル、栄光、洛星、大阪星光、広島学院、みんなそうですよね。
    その子の賜物を見出すために派遣された学校なら、生徒選択でそれなりの
    セレクトの仕方はあるでしょう。


  5. 【73882】 投稿者: ミッションスクール  (ID:vnB8RrNFzy.) 投稿日時:2005年 04月 09日 12:38

    確かに最初はそうでしたね。
    今、カトリック自体が方向転換を図る局面を迎えているんじゃないでしょうか?
    もともと優秀な生徒を集めて教育し、優秀な人材を社会へ送り出すことが
    福音宣教への近道と考えたのでしょう。
    しかしながら宣教とその方針、また結果(キリスト教的社会奉仕者、
    あるいはその指導者の育成)がそれほど伴わない事、
    他宗教経営の同様な教育方針追随の中で、当初の思いとは違う
    過当な競争社会を生み出した事への反省もあったと思われます。
    学内でのカトリック、非カトリックの力関係もあるでしょうが、
    建学の精神を見つめなおす必要に迫られているのかもしれません。
    福音宣教のあり方そのものが問われる今、カトリックへの改宗のみが
    成功と考えるより、カトリック的価値観の宣布によりミッションスクールとしての
    役割が果たせると考えているのではないでしょうか。

    そういう意味では、大学入試競争の激しい地域にあるミッションスクールほど
    他の私学におされ気味になっているのではないでしょうか?
    そのことの真偽はわかりませんが、今後ミッションスクールの有名大学合格のみが
    強調される事は減ってくる事が予想されます。
    しかしながら洛星の教育方針に納得されて入学された方には、
    それなりに得るものがあるでしょうし、
    元来優秀な生徒であれば、それなりの結果も残せると思います。

  6. 【490658】 投稿者: そつぎょうせい  (ID:mcD.fWurGgA) 投稿日時:2006年 11月 09日 22:19

    ずいぶん昔の卒業生です。ちなみに家の信教は浄土真宗です。さて、当時(80年代)、洛星では中1、中2、高3で州1コマの「宗教」の授業があり、中1、中2には「倫理」という授業もありました。

    「宗教」…中1は聖堂で、礼拝、新約聖書の講義、聖歌の歌唱がありました。中2は座学で旧約聖書を勉強。高3では当時の村田校長が、時事問題に対する聖職者的、道徳的な見方を講義していました。聖堂での授業は形式上はミサに似ていました。ひざまずき台に座り込んで聖書の講義を聴くなど、ちょっとした異文化体験でした。高3のときにはディスカッションもあり、中南米の解放の神学と、ポーランドの連帯に対するバチカンの対応を「二重基準だ」などと校長に食ってかかる同級生もおりました。
    「倫理」…中1、中2で週1コマ。カトリックに基づく道徳の時間という感じですが、イスラムや仏教など他の宗教の基本的な世界観、内的規範(道徳)と外的規範(法)、国家と国防、自我と性など、トピックはさまざま。担当の先生はカウンセラーを兼ねた、割に保守的な人でした。般若心経ですが、威力妨害どころか、これに関する詳しい講義もありました。「無神論」とか、唯物論に関する講義さえありました。

    「宗教」「倫理」の授業の主眼は、カトリックのプロから「カトリックとはなんぞやを学ぶ」ことであって、カトリックの世界観の強要ではありませんでした。そもそも信者は学年で2、3人でしたし、6年間の在学中に新たに洗礼を受けた人は、ことうちの学年では皆無でした。生徒部、教務部といった学校の部局に「宗教部」というのもあり、課外のイベントとして宗教講演会というものもあって、比叡山高校の校長(もちろん、ばりばりの真言密教)を呼んだりもしていました。とにかく、生活の中、社会の中、規範の中に「宗教」がある、ということを教える一貫した姿勢があったと思います。

    このほか、部活とは別枠で「宗教研究活動」と称する時間があり、経費を学校が負担して、生徒のボランティア活動(古切手集め、障害者制作グッズ販売、障害者施設訪問、難民向け募金など)をやっていました。

    また、折節にカトリックの宗教行事があります。クリスマスには中学1年は全員参加で、聖歌隊をやらされました。このほか、死者のためのミサとか、入学式、卒業式に先立っての祝福の儀式、学園(フランスに起源を発するヴィアトール修道会)の創立記念日にはラテン語やフランス語の歌を歌ったりもしました。

    こうした宗教活動に対して、「異文化体験!」として流せる寛容な立場の人なら、洛星の宗教色はそんなに恐ろしいものではないと思います。実際、京都という土地柄、寺の住職の息子って生徒も結構いました。しかし「絶対に自分が信じる超越的存在以外の何者かにひざまずいたり、賛美する歌を歌うことはできない」という立場に立つ人は、かなり居心地が悪いと想像します。修学旅行に行っても、長崎の浦上天主堂で「天にまします…」と主の祈りをやりましたし、部活の合宿でも「きょうこの食事を用意して下さった人を祝福して下さい…」とやっていましたから。私の部活の後輩で、在学中に一家でなんたらの証人の信者となってしまい、勝ち負けのあるスポーツができないため、体育の授業を受けられなくなって、退学した人はいました。

    私自身は寺にも行かぬ仏教徒ですが、洛星の宗教教育によって、いわゆる古典的な「宗教」へのアレルギーはなくなりました。イスラム圏の国々で仕事をすることもありましたが、超越的な力を持つ神を信じることを道徳の柱とする社会規範の体系、というものに、難なくなじめました。それから、ヨーロッパ思想の根幹をなすキリスト教の大筋を勉強しているわけで、高校の倫社、現代社会や世界史の勉強は楽でした。大学も文系でしたので、古典を読むときには役立ちました。サムソンとゴリアテとか、カインとアベルとか、モーゼの出エジプトとか、日本人にはなじみの薄い旧約聖書の登場人物を借りた比喩もよく理解できますしね。

    古典的な主要宗教のことを一通り勉強しますので、ありがたいことに、新興宗教の「効能」「即効性」をかかげる教義にはまずひっかかりません。(ああいう連中が日曜の朝から戸別訪問に来たら、「私はカトリック信者でして…」と昔取った杵柄で撃退しています)まあ、噂では、わが同学年の男が原理運動にはまって幹部にまでなったという話もあり、やはり百%洛星の宗教教育がいいものだとはいえない面もあるようです。




  7. 【495678】 投稿者: 小四の母  (ID:xfBdGPFHw8k) 投稿日時:2006年 11月 15日 01:50

    そつぎょうせい 様
    息子が洛星中学を希望しています。
    学校見学会や文化祭にお伺いしてその雰囲気にひかれ、すぐに第一志望と決めたようです。
    我が家は特に(結婚式は神式、お葬式ならお寺でといった程度で)特定の信仰もないのですが、学内での実際の雰囲気や、人による受け止め方の違い、良い点・悪い点などをありのままに、特定の見方に偏ることなくうまくまとめていただいており、大変参考になりました。
    洛星の卒業生の方には、やはりこのような方がいらっしゃるのだなと感じました。
    また、有意義な投稿をお願いしたいです。ありがとうございました。

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