在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「カーネーション」スレッド
本日より「カーネーション」スタートです。
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誠に勝手ながら、ネタばれは禁止とさせていただきます。
ホームページ、新聞予告等での情報はお控え下さいませ。
それでは半年間よろしくお願いいたします。
勝さんの出征に関しての糸子の態度は
勘助の出征の時と随分違いましたよね。
勘助の時には
むしろ喜ばしい事、名誉な事と本気で思っているようでした。
でも、今朝は違いました。
不安で涙していましたし。
これって、戦況の変化ということなのでしょうか?
見送る近所の方々も万歳しなかったですし。
勘助の頃は
今までのような勝ち戦に行く感じ。
でも、戦況の悪さは生活の困難さからも察せられるわけで
そんな戦場へ送り出す、その違いかしら?
それとも、夫(家族)を送り出す事と
友達を送り出す事の差?
そうだったら嫌だな・・・
糸ちゃんは周囲の人にとってみれば
確かにカンにさわる女なんでしょう。
みんなの心に余裕があれば、それはサラッと受け流せるけれど
余裕のない状況では許されなかったりしますよね。
私もパーマの機械の供出を免除してもらえば・・・というあたりから
糸ちゃんの無神経ぶりが気になり出しました。
無神経ぶりが気になっていただけに
まさか、夫と友達という差だけで
出征に関して、この態度の差ということはないだろうと思いつつ
やっぱりそれが気になります。
私は、周りの万歳がなかったことが意外でした。壮行会とかを派手にしてはいけないのはわかるのですが、寧ろもっと表向きは喜んでる風を装わなきゃいけない雰囲気になっているかと思ったんですが…。この頃には民間にも悲愴感が漂ってたのでしょうか。赤紙が届いた時も、あんな露骨に「来てしもた…」という表情で良かったのだろうかとか心配になりました。本当の感情を表に出してもいいような町の雰囲気があったのかも知れませんね。神戸の伯父さんだけは、小さくですが「おめでとう」と言ってましたが、その後心配している表情は悲痛でしたね。田中隆三さん、糸ちゃんの結婚式もほんとに泣きそうに見えたし、出番はそんなに多くないけど、すごく役に入り込んで糸ちゃんを温かく見てはるんやなと思いました。
出征の時の態度の違い、それは当然と思いました。
勘助の時には、まだ勝ち戦のムードがあった
それが日々厳しい戦況が伝えられ、これから出征する人が安全に帰ってくる保証はない。
そして何より、戦争に行くという事がどういう事なのかを
勘助の一件で皆が思い知った。
あれで喜んで送り出す方がおかしいでしょう。
別のスレは、とにかく糸子崇拝派がすごく
て、やっとここにたどりつきました。
やっぱり糸子はどんどん昇り調子になってきて、弱者の気持ちがわかりません。
きょうも、この御時世に、どうやって入手したのか、豚カツをつくり、若い男の職人さんが、喜んだとたんに、あのセリフ、きついなあ。
もうちょっと違う言い方できないのか。
今日は、大将に先たべさせてあげてや、ごめんなとか、言い方あるやろに。
あの職人さんも、いつも糸子の勝手で使いまわされてるのにね。
それにしてもあのトンカツおいしそうだった。どうやって入手できたかわかる方いますかいな?
今日のさいごのくだりは、すこしざまあみろって思いました。
少し天罰がくだったなあ。
トンカツどうやって手に入れたんだ、とおばあちゃんに聞かれた時に
糸子がちょっと表情が固まったように見えました。
普通なら気にならないのですが、何せあちこちに伏線があるので
ついつい気になってしまいます。
お金の代わりに物を置いていってくれる、と言ってはいましたが
何かわけありのトンカツ!?と思ってしまいました。
戦時中も、あるところには食べ物があったようですね。
昭和20年になっても、毎朝バターロールを食べた家の話とか(ただしコーヒー豆は無かった)、
自宅用の牛肉や砂糖やバターを内務省に注文して、調達できなかったら、
若い役人を罵倒したり殴ったりした陸軍幹部の話などを聞いたことがあります。
そういったものを入手できる立場の人の洋服を縫えば、
調達できた可能性もありますね。
軍服を縫っていた神戸のおじさん経由とか。
あの時代は、若いのに戦争に行けない者、心身の問題で除隊させられた者は、
思いやりの対象ではなく、邪魔者や蔑みの対象だったと聞いています。
糸子さんは弱者の痛みを知らない・・・というけれど、
社会全体ではもっとひどかったはずですよ。




































